フォード カプリ。 熱狂のシルエットフォーミュラ時代(1976

ERclassicsでの販売のためのフォードカプリII JPS 1975

フォード カプリ

初代カプリ ドイツフォードにて開発された2ドアクーペであるを、からアメリカ市場にてリンカーン・マーキュリー販売店で販売開始。 ただし車体にはマーキュリーやリンカーンであることを示すや等はなく、ただ単に「CAPRI」とだけ書かれたエンブレムが装着されていた。 つまりフォードでもマーキュリーでもリンカーンでもないブランドなしの位置付けで販売されていたため、便宜上マーキュリー・カプリと呼ばれていた。 これはアメリカ市場では同様のクラスのやが存在するために、フォードブランドではなくマーキュリーの販売網で販売することで競合を避ける意味合いもあった。 この販売方法を元にフォードはヨーロッパ製フォード車を北米で販売するためのブランド「 Merkur 」をに設立することになる。 2代目(1979-1986年) [ ] 2代目カプリ に発表。 2代目カプリは同年に発表されたマスタングのマーキュリー版である。 それまでマスタングのであったがにフルモデルチェンジした際に、のベースへ格上げされたこと及びヨーロッパより輸入されていた初代カプリを販売中止してアメリカ独自モデルとするために企画された。 プラットフォームは を使用している。 マスタングのボディは2ドアと3ドアが用意されていたのに対し、カプリは3ドアのみであった。 マスタング3ドアとはフレームが同一であるため外見上の差異はフェンダー、ボンネットほか装飾部品にとどまる。 インテリアはマーキュリーにふさわしくマスタングよりは豪華な仕様とされていた。 のマイナーチェンジではリアゲートドアが設計変更された。 これはドアフレームに基本的な変更はないが、後端まで延長された窓枠にバブルバックと呼ばれるわずかに膨らんだガラスをはめた専用品である。 3リッター直列4気筒、2. 3リッター直列4気筒SOHCターボ、V型6気筒やV型8気筒OHV、直列6気筒OHVなどがオプション設定されていた。 年式により搭載されるエンジンには何度か変更が加えられているが、これは基本的にマスタングの変更に準じたものである。 ターボはモデルを最後に生産終了している。 2代目モデルはかつてのマスタングとクーガーの関係と比較して、性格付けやグレード構成なども含めて差別化ができていたとは言い難く、販売成績は不調であった。 そのためマスタングがまで改良・小変更を加えながら生産されたのとは対照的に、モデルを最後に生産を終了した。 デザインはが担当し、の下にマーカーランプが配置された個性的な顔が特徴。 しかしこの3代目はそもそもよりにて生産が開始されたフォード・カプリそのものである。 プラットフォームはBF型/のものを流用している。 オーストラリアでフォード・カプリがデビューした1989年はや・エランなどの2シーター・オープンカーが登場している。 そのためアメリカ市場への投入が1990年後半とライバル車と比べて遅かったこともあり、マーキュリー・カプリは常に影の薄い存在であった。 ただしライバルよりも安価で、4シーターであることやこの種の車としては珍しく長尺物も搭載可能な大きめなトランクスペースを持つことなど、ライバルとは違った特徴も持っている。 しかし、MX-5やエランよりも市場への投入が遅れたこともあって販売実績は振るわず、モデルを最後に早々と販売終了している。 関連項目 [ ]• () この項目は、に関連した です。

次の

熱狂のシルエットフォーミュラ時代(1976

フォード カプリ

:1961年から1964年にで生産。 カプリ・クーペ:1969年から1986年にで生産された。 カプリ・コンバーチブル:1989年から1994年にで生産されたのスペシャルティカー。 欧州フォード製 [ ] 1969年1月、アメリカで大ヒットとなっていたの成功をヨーロッパで再現しようと、前年発売したに次ぐ英独フォード共通モデルとして登場した。 ロングノーズ、ショートデッキ、セミファストバックのプロポーションは、リアフェンダーのプレスラインやU型のクオーターウインドーの処理が個性的で、一目でカプリとわかるデザインを持っており、特に後者は1986年の最終型まで踏襲された。 アメリカのマスタング同様、豊富なエンジンと内外装トリムレベルを組み合わせられるワイドセレクションを採用し、幅広いユーザー層を吸収した。 なお、カプリの前身はからまで、・クラシック315のクーペ版として生産された「コンサル・カプリ」であるが、商業的には失敗作であった。 Mk1 [ ] 初代モデル。 機構的には既存フォード各車からの流用が多い。 上級モデルは当初ドイツ製V6・2,000ccであったが1969年末には125の2300GTがドイツで、V6・3,000cc138馬力の3000GTが英国でそれぞれ追加された。 1970年に始まった対米輸出車は「フェデラル・カプリ」と呼ばれ、丸型ヘッドライトや大型バンパーが特徴で、用の直4・2,000ccか英国製1,600ccが搭載された。 Mk1カプリはスポーツイメージを高めるためモータースポーツにも活発に参戦、ラリーに参戦した他、のスパ・フランコルシャン24時間耐久レースに優勝した他、ツーリングカーレースでLと活発なバトルを展開した。 レース仕様の獲得のため、2,600ccV6を150馬力に強化したRS2600や拡大版RS3100も生産された。 Mk1は英独合計で100万台以上が生産されるヒット作となった。 当時のにもディーラーの・等から主に英国製の1600GTや2000GTが多数輸入され、1970年代初頭には最多販売の英国車となったほどで、その後の日本製スポーティーカーのデザインにも大きな影響を与えた。 カプリll [ ] カプリは2月にモデルチェンジされ、「カプリll」となった。 分離されていた搭乗室と荷室を単房として3ドアに改めると同時にサイズがやや拡大された。 カプリllは513,500台が生産され、日本にもフォード自動車(日本)を輸入元として2000GTが販売されたが、この頃には日本製スポーティーカーも進歩しており、初代ほど成功しなかった。 Mk3 [ ] にマイナーチェンジを受け、再び単に「カプリ」と呼ばれるようになる。 (ヨーロッパでは一般にMk3として区別される)丸型4灯式ヘッドライトと大きなエアダムスカートが特徴であったが、機構的にはllとほとんど変化はなかった。 レース用車両 Zakspeed Ford Capri Turbo 11月以降は英国専売モデルとなり(以降は全てのカプリがドイツで生産されていたにもかかわらず)、根強い愛好者向けに「Capri 280 Brooklands」などの限定モデルが販売された。 に最後のカプリがラインオフした時の累計生産台数は1,886,647台であった。 フォード・オーストラリア製 [ ] SA30 [ ] コードネームSA30としてに登場したカプリ・コンバーチブルはBF型、すなわち6代目のをベースに開発されたモデルであった。 エクステリアデザインは、インテリアデザインはが担当し、アメリカではとして販売された。 参考文献 [ ] 二玄社 別冊CG「自動車アーカイブVol7 70年代のドイツ車編」.

次の

フォード・カプリ3.0S 英国ツーリングカーの英雄、ゴードン・スパイスとの再会 前編

フォード カプリ

初代カプリ ドイツフォードにて開発された2ドアクーペであるを、からアメリカ市場にてリンカーン・マーキュリー販売店で販売開始。 ただし車体にはマーキュリーやリンカーンであることを示すや等はなく、ただ単に「CAPRI」とだけ書かれたエンブレムが装着されていた。 つまりフォードでもマーキュリーでもリンカーンでもないブランドなしの位置付けで販売されていたため、便宜上マーキュリー・カプリと呼ばれていた。 これはアメリカ市場では同様のクラスのやが存在するために、フォードブランドではなくマーキュリーの販売網で販売することで競合を避ける意味合いもあった。 この販売方法を元にフォードはヨーロッパ製フォード車を北米で販売するためのブランド「 Merkur 」をに設立することになる。 2代目(1979-1986年) [ ] 2代目カプリ に発表。 2代目カプリは同年に発表されたマスタングのマーキュリー版である。 それまでマスタングのであったがにフルモデルチェンジした際に、のベースへ格上げされたこと及びヨーロッパより輸入されていた初代カプリを販売中止してアメリカ独自モデルとするために企画された。 プラットフォームは を使用している。 マスタングのボディは2ドアと3ドアが用意されていたのに対し、カプリは3ドアのみであった。 マスタング3ドアとはフレームが同一であるため外見上の差異はフェンダー、ボンネットほか装飾部品にとどまる。 インテリアはマーキュリーにふさわしくマスタングよりは豪華な仕様とされていた。 のマイナーチェンジではリアゲートドアが設計変更された。 これはドアフレームに基本的な変更はないが、後端まで延長された窓枠にバブルバックと呼ばれるわずかに膨らんだガラスをはめた専用品である。 3リッター直列4気筒、2. 3リッター直列4気筒SOHCターボ、V型6気筒やV型8気筒OHV、直列6気筒OHVなどがオプション設定されていた。 年式により搭載されるエンジンには何度か変更が加えられているが、これは基本的にマスタングの変更に準じたものである。 ターボはモデルを最後に生産終了している。 2代目モデルはかつてのマスタングとクーガーの関係と比較して、性格付けやグレード構成なども含めて差別化ができていたとは言い難く、販売成績は不調であった。 そのためマスタングがまで改良・小変更を加えながら生産されたのとは対照的に、モデルを最後に生産を終了した。 デザインはが担当し、の下にマーカーランプが配置された個性的な顔が特徴。 しかしこの3代目はそもそもよりにて生産が開始されたフォード・カプリそのものである。 プラットフォームはBF型/のものを流用している。 オーストラリアでフォード・カプリがデビューした1989年はや・エランなどの2シーター・オープンカーが登場している。 そのためアメリカ市場への投入が1990年後半とライバル車と比べて遅かったこともあり、マーキュリー・カプリは常に影の薄い存在であった。 ただしライバルよりも安価で、4シーターであることやこの種の車としては珍しく長尺物も搭載可能な大きめなトランクスペースを持つことなど、ライバルとは違った特徴も持っている。 しかし、MX-5やエランよりも市場への投入が遅れたこともあって販売実績は振るわず、モデルを最後に早々と販売終了している。 関連項目 [ ]• () この項目は、に関連した です。

次の