競輪 映画。 高松美代子「48歳で競輪選手を目指す。負けず嫌いの主婦が自転車にのめり込むまで」(2020年7月17日)|BIGLOBEニュース

玉野競輪舞台に映画制作へ 市などが委員会 競技の面白さ発信:玉野市:映画:山陽新聞デジタル|さんデジ

競輪 映画

岡山県玉野市と吉本興業が共同で、PR映画を製作することになりました。 設立総会が4日開かれ、玉野市や吉本興業などから約20人が参加しました。 玉野競輪場を舞台とした約70分の映画で、吉本興業が行っている地域発信型の映画事業を活用します。 監督や出演者はこれから決定し、地元のエキストラも募集します。 (記者) 「競輪場は大規模なリニューアルを控えていて、関係者は映画との相乗効果に期待を寄せています」 (たまの地域映画制作委員会/岡田健吾 部長) 「玉野競輪を知ってもらう、(映画を)きっかけにしてもらえれば。 若い世代とかを呼び込んで、新しい競輪の楽しみ方を提案できるような施設にしていきたい」 映画の舞台、玉野競輪場は2022年3月にリニューアルを控えています。 公営ギャンブルとして全国で初めてホテルを併設します。 100以上ある客室からは瀬戸内海が望めるほか、メインスタンドにはレースを観戦しながら食事できるレストランも整備される予定です。 玉野市の魅力をPRする映画は2021年4月に沖縄国際映画祭でお披露目され、その後、一般公開される予定です。 (よしもとエリアアクション/河野亨太さん) 「熱い演出にしたいなと思っていまして、お笑いもあり、友情もあり、みたいな感じでやっていこうかなと思っています」• 2006年、高知県で起きた白バイとスクールバスの衝突死亡事故。 業務上過失致死の罪に問われ、「無実」を訴えるバスの元運転手。 食い違う目撃証言や疑問が多い証拠を徹底検証する。 貧困などから抜け出せず苦しむ途上国の人たち。 その状況を打破するため、多くの岡山・香川県出身者が活躍している。 慣れない環境で国造りの手助けをする理由とは…。 私たちができる「国際協力」について考える。 岡山県北には、昭和初期の面影を色濃く残す駅舎が数多く残っている。 1日の利用客がわずか5人程度という駅もあるが、学生や高齢者にとっては欠かせない足。 そして、駅を愛し、守り続ける人たちがいる。 「一期一会」をテーマに駅の1日を追う。

次の

ミッドナイト競輪|TOP

競輪 映画

戦力外通告、不倫、ギャンブル、借金、 四十男が再起をかけたのは競輪だった——。 戦力外通告を受けた元プロ野球選手。 パチンコや酒に溺れ、妻子と離れてゲス不倫——。 崖っぷちの主人公が、再起をかけて挑むのは「競輪」! 過去の栄光が通じない世界に飛び込む主人公の前に立ちはだかるのは、過酷なトレーニングと20歳以上も離れた若者たちの冷ややかな視線。 ただ頑張り方が分からない——。 根性なしの主人公が不器用にもがく姿に、きっと最後は応援したくなるはずだ。 競輪発祥の地である福岡県の小倉を舞台にした本作のメガホンをとったのは、福岡発ドラマ「めんたいぴりり」の演出力が評価され、東京五輪招致映像のクリエイティブディレクションを務めるなど注目のクリエイター、江口カン。 今回が満を持して商業映画デビューとなる。 主演は競輪選手を目指したこともある安部賢一。 「この役に選ばれなければ俳優を引退する」と背水の陣で主役を勝ち取った。 ライバル役には、映画『デメキン』やドラマ「You May Dream」など出演作が相次ぐ福山翔大。 そのほか、モロ師岡や博多華丸ら多彩なキャストが脇を固める。 STORY 濱島浩司、39歳。 8年前はプロ野球選手として活躍していたが、戦力外通告を受けて以降、生活は荒れる一方。 それが原因で妻や息子と離れた濱島は、故郷の北九州で、親友の居酒屋を手伝うことに。 相変わらずパチンコや酒に溺れ、挙げ句に親友の妻と浮気するなど自堕落な生活が続く中、濱島はなじみのラーメン屋で、競輪選手になることを勧められる。 「40歳以上でも入学できる」と聞き、競輪学校に入学した濱島を待っていたのは、教官からの猛烈なしごきと、20歳以上も歳の離れた若者たちからのいじめだった。 持ち前の負けん気で過酷なトレーニングに何とか食らいつき、いじめにも屈しない濱島。 だが一方で自堕落な生活からは抜け出せず、成績は一向に振るわない。 崖っぷちな状況をみずから招いていた彼は、ある日同郷の同級生、久松孝明の存在を知る。 GUEST COLUMN 映画『ガチ星』を観ていると、 主役の濱島浩司と監督の江口カンがダブって見えて、仕方がなかった。 『ガチ星』は、プロ野球を、人生を、ドロップアウトしてしまったひとりの男がどん底でのたうち回り、かすかな光明を見つけ出すまでを描いた、ひどく暑苦しい人間ドラマである。 江口カンはあんなダメ男でも、センスのない男でもない、はずである。 しかし、最後は江口カンの生き様を見届けた気分になってしまっていた。 なぜだろう。 僕は、もしかしたら、濱島と江口カンをダブらせていたのではなく、 記憶の中にある江口カンの生み出したものと『ガチ星』を無意識のうちに脳裏で重なり合わせ、 観ていたのかもしれない。 「草刈だ!」の飛び散る汗、「おしい!広島県」の虚実の危うさ、 「スニッカーズ」の気持ちのいい裏切り、「LOVE DISTANCE」の必死さと涙、 「ベースボール・スパーリング」の戦う男の爽快さ、「ダメ田十勇士」の男たちの悲哀、 「めんたいぴりり」の市井の人の情。 『ガチ星』には、江口カンが世に生み出した、 人々の心を動かしたものがすべて詰まっている。 だから、濱島が江口カンに見えてきた。 きっとそうに違いない。 もしかしたら、江口カンは本当はあんなダメ男なのかもしれないという一抹の不安を抱えつつ、 そういう結論に行き着いた。 そのすべてを確かめに、もう一度、濱島浩司、 そして、江口カンに会いに、劇場に足を運びたいと思う。 監督_江口カン 福岡生まれ。 九州芸術工科大学 画像設計学科卒業。 ドラマやCM、短編映画などエンターテインメント性の高い作品の演出を数多く手がける。 Boards Magazine(カナダ)主催「Directors to Watch 2009」14人のうち1人に選出。 同年、ドラマ「めんたいぴりり」の監督を務め、日本民間放送連盟賞優秀賞、ATP賞ドラマ部門奨励賞、ギャラクシー賞奨励賞受賞。 前作に続き2年連続で日本民間放送連盟賞 優秀賞を受賞。 同年11月、ゲーム「龍が如く」の完全オリジナルストーリードラマ「龍が如く 魂の詩。 」の監督を務める。 本作は、ゲオチャンネルにて配信。 2017年1月レンタル開始。 12日間でレンタル回数10万回を突破した。 映画『めんたいぴりり』が2019年1月公開予定。 そもそもこの『ガチ星』はドラマのためではなくて、純粋に映画として作りたいと思って生まれた企画でした。 テレビ局の企画会議とかではなくて、自分自身のパーソナリティに紐づいた特別な作品なんです。 もともとは自転車が好きで、自転車が出て来る映画をいつか撮りたいと思っていました。 そんな時に、テレビで競輪学校のドキュメンタリー番組を見ていたら、地元の球団を戦力外になった野球選手が競輪で一から再起を果たそうとしていて。 彼は20代後半で、周りは若い子たちばかり。 その画が単純に面白いと思ったし、競輪はアスリートにとって再起の場所の一つなんだと興味を持ったんです。 また、競輪は地元福岡が発祥の地だと知っていたので、地元の映画を撮ることができる。 そんなところから企画が生まれたのですが、なかなかクリアできない問題が続いて。 諦めかけていた時にJKAの方が「せっかくだからドラマでやりませんか?」と仰ってくださったんです。 オンエアは福岡だけでしたが、映画関係者を含めたくさんの人たちから反響をいただき、純粋に作品への思い入れが強くなり。 企画を考えてから7 年。 やっぱり映画として本作を世に出したいと思い、今回新たなシーンの追加や音も劇場用に入れ直して再編集しました。 濱島役が安部賢一さんに決まるまでに時間がかかったと聞きました。 金沢君が、俳優自身も崖っぷちな人がいいということで「40代で鳴かず飛ばずの役者」を集めるオーディションをしました。 そこに安部ちゃんが来たんです。 彼には昔、野球選手を目指していたけど肩を壊して諦めた過去がありました。 その後、大分の競輪選手会長だったお父様の影響から、競輪選手を目指すも競輪学校に合格できなくて。 それで上京して役者をやるものの鳴かず飛ばず。 主人公の濱島にとても近い人なんですよね。 僕もできるだけ彼に決めたいという気持ちで面接しましたが、こちらの求める演技ができず、落としたんですよ。 それでも本人は諦めきれないと言ってくるので、競輪学校のロケハンで写真の被写体として走ってもらいながら、合間で芝居の特訓をしました。 そうして迎えた最終面接でもやっぱりダメで。 「安部ちゃん、もう次はないよ」と言ったら、泣き出しちゃったんですよ。 その時点で濱島役はまだ決まっていなかったので、安部ちゃんを東京のオーディションに呼びました。 そしたら、前回の面接から1週間しか経っていなかったのに、とても良くなっていて。 本当に崖っぷちだったんでしょうね。 彼はここまで変わったんだから、この先も変われるかもしれない。 「安部ちゃんとなら心中してもいい」という覚悟で抜擢しました。 俳優達が現役の競輪選手達と競りながらレースを走るシーンは鬼気迫るものがありました。 俳優たちには、一ヶ月くらい競輪学校で合宿をしてもらいました。 久松役の福山(翔大)君は、先生から「役者がダメになったらプロになればいい」と言われるほど身体能力が高かった。 彼もオーディションだったんですけど、顔立ちが端正で、切れ味があり、最初から光るものがありました。 一方の安部ちゃんは中年のだらしなさを出すために10キロ太ってもらいましたね。 ただ彼はトレーニングするとすぐに痩せてしまうので、RIZAPの方に太る食事メニューを考えてもらって。 「痩せさせる」ではなく「太らせる」のは、RIZAP史上初めてだったんじゃないかな(笑)。 クレジットにあるJKA、日本競輪選手会福岡支部の協力も大きかったかと思います。 ロケ地となるレース会場や競輪学校、自転車などの全面的な貸出のほか、競輪学校の生徒や選手の人たちからたくさんの協力をいただきました。 レースシーンの撮影も、特に安全装置のようなものはないわけですから、危険といえば危険。 そんな中、事故なく撮影ができたのは、周りの選手たちの気遣いがあったからこそ。 競輪独特の試合運びは僕たちも調べた上で撮影を組み立てていきましたが、現場の選手たちがホワイトボードを使いながら「ここはこうしたほうが試合運びとしては面白い」とみずから解説してくれて。 その結果、リアルな試合シーンが生まれたと感じています。 安部さんのキャラクターを踏まえた上で脚本に加えたこと、演出したことはありましたか? 安部ちゃんは、撮影の準備中にスタッフとおしゃべりするような陽気な人。 だから休み時間に笑うことも禁止して、「心の中でずっとイライラしていて欲しい」と指示しました。 クラインクイン前まではイライラしている顔つきの練習をLINE でやり取りしていましたね。 そうしていくうちに、だんだんとあの濱島の顔になっていくんです。 主人公なのにとにかく人をムカつかせる。 でもどこか憎めないし、最後には愛されてしまう……。 そんな主人公像を中年で表現できたのが良かったと思いますね。 「こんな濱島の人生ですら捨てたもんじゃないよ」と言えるかどうか。 それが『ガチ星』を通して伝えたかったことでした。 取材・文:大久保渉 【東京】映画『馬の骨』コラボ企画: マダオ(まるでダメなオッさん)対決! 『ガチ星』濱島VS『馬の骨』熊田クロストーク開催 『馬の骨』監督・脚本・出演の桐生コウジさんをゲストにお迎えし、『ガチ星』濱島(安部賢一)とどっちがダメ男か討論する《クロストーク》を開催します。 同日、テアトル新宿での『馬の骨』20:50の回の上映終了後には、今度は安部さんがテアトル新宿に向かい、《クロストーク》を行います。 チケット販売方法 販売方法、販売状況など詳しくは劇場ページをご参照ください。 チケット販売方法 販売方法、販売状況など詳しくは劇場ページをご参照ください。 チケット販売方法 販売方法、販売状況など詳しくは劇場ページをご参照ください。 14:40の回はマスコミ取材が入ります。 写り込む場合がございますので予めご了承ください。 チケット販売方法 販売方法、販売状況など詳しくは劇場ページをご参照ください。 さらに今回は、北九州ドームへ移動し小倉競輪開催中に競輪を間近で体感頂くツアーも企画いただきました!! 「ガチ星」の舞台は競輪発祥の地「小倉」。 当日はトークライブに加え、福岡のイベントでも大変好評だった、映画をイメージした限定メニュー「ガチ星ラーメン」をご提供頂きます。 撮影の裏話とともに、こちらのラーメンも一緒にお楽しみください。 なお、同商品は25日(金)のイベント開始時間より5月31日(木)までの期間限定です(数量限定)。 日程: 5月25日 (金) 場所: 一風堂 浜松町スタンド 東京都港区浜松町1-27-6 マストライフ大門・浜松町1F 【日時】 江口カン監督、安部賢一さん、林田麻理さん 【ゲスト】 1,500円 (ガチ星ラーメン+1ドリンク付) 【席 数】 35席 (ご予約優先) 参加ご希望の方は、メール本文に下記の必要事項をご記入の上Eメールでお申込みください。 席のご予約を受け付けいたします。

次の

競輪上人行状記 : 作品情報

競輪 映画

「家事にしても、スクワットをしながら掃除機をかけるなど、工夫してトレーニングの一環にしています」(撮影:岩村美佳) 本日の『あさイチ』の「プレミアムトーク」に登場する元競輪選手の高松美代子さん。 9年前、48歳で競輪学校の女子1期生に合格し、大きな話題になった人物だ。 その後2012年にデビューし、2017年に引退。 現在は、日本競輪選手会の一員として競輪を裏方で支えている。 実は、競輪学校の合格時に、『婦人公論』(2011年7月7日号)で、競輪学校受験までの道程と、これからの意気込みを語っていた。 第二の人生をスタートしようとする躍動感に満ちたインタビューを再掲する。 競輪選手の養成機関・日本競輪学校は、2011年1〜2月、女子の第1期生を選ぶ入学試験を実施した。 200mと1kmのタイムトライアル、適性試験、作文、面接などの厳しい試験を経て合格したのは、10〜20代を中心とした36名。 その中でひときわ脚光を浴びたのが、当時48歳の最高齢合格者、高松美代子さんだった。 21歳と24歳のふたりの娘の母にして、小学校講師と水泳教室指導員もこなすパワフルな主婦は、49歳の誕生日を迎えた11年5月、プロの競輪選手への道を歩み始めた。 合格発表は、自宅のパソコンで見ました。 ホッとしたのと、やるぞ!という意気込みと、48歳の私が48年ぶりの女子競輪復活の第1期生に選ばれたのも何かの巡り合わせだな……という感慨深さとがないまぜになり、ものすごく幸せでした。 ただ、「本当に合格かな?」という不安もありました。 昨年、アマチュア女子競輪の合宿に応募したところ、中・高生が思いのほか大勢集まったらしく、40代の応募者はすべて断られたという経験があるんです。 なので、この合格もどんでん返しで「40代お断り」になりはしないかと考えてしまって。 (笑) 私のスポーツ歴で一番長いのは、水泳です。 小学校2年生で、大阪の名門・浜寺水練学校に入り、競泳、日本泳法をメインに、シンクロナイズドスイミング、水球、水上安全指導などを学びました。 大学進学後は、競技ではなく水泳教室での指導を中心に活動。 卒業後、事務員として自分が卒業した小学校に就職したときも、結婚し、慣れない東京へ引っ越したときも、妊娠・育児中でも、とにかく水泳だけは続けました。 競輪学校に入学が決まって3月に退職するまで、小学校で算数の習熟度別指導講師をしていましたが、その間も区民プールで週2回水泳教室指導員のバイトをしていました。 ちなみに、小学校で教えるようになったのも、「水泳」がきっかけです。 学校事務員時代、同僚教員の勧めで教員免許を取得したのですが、結局「ペーパー」のまま。 それが、12年前、ある小学校で夏休み限定の水泳指導員をしていたときに、教員の方から、「せっかくの教員免許、生かしてみない?」と誘われたんです。 3月まで算数を教えていた小学校の教室で きっかけはトライアスロン そんなふうに水泳一筋だった私が自転車に乗るようになったのは、トライアスロンへの憧れからです。 もともと、20歳の頃にテレビでレースを見て興味を持ったのですが、「水泳はいいとして、走るのは嫌いだし、自転車はママチャリしか乗ったことないし……」などと躊躇しているうちに、結婚・出産で忙しくなって、しばらく忘れていました。 でも、次女が小学生になり子育てが一段落すると、また、ふつふつと「トライアスロン」の7文字が頭に浮かんできました。 そこで、夫に相談してみると、「じゃ、自転車を買おう」とあっさり。 夫はごく普通のサラリーマンですが、若い頃、自転車にハマっていたんです。 自転車を購入してからは、夫も一緒に近所のサイクリングコースで練習。 嫌いなランニングは、少しでも楽しくこなしたいので、「ねぇ、一緒に走ろうよ〜」と、娘たちを巻き込みました。 娘たちは、最初のうちは子ども向けのトライアスロン大会に参加したものの、すぐ「こんなにつらいのは嫌!」となり、全然親に付き合ってくれなくなりましたけれど。 (苦笑) 自転車を心の底から大好きになった瞬間 2000年、憧れていたトライアスロン宮古島大会に出場すると決め、トレーニングジム通いを開始。 そこで出会ったアマチュアの自転車クラブ「マリアローザ」に所属する男性の誘いで、夫も伴い、自宅のある東京都大田区から鎌倉へ、初めてのツーリングに行きました。 このときはめちゃくちゃ疲れたんですが、往復約100kmの道のりを、ほぼ無休で完走できたことで、「私ってすごい!」という実感が湧き出てきました。 これが、自転車を、心の底から大好きになった瞬間です。 途中、眠気に襲われ、約10分間地べたで仮眠をとってしまったものの、ゴールしてみれば、女子のトップ。 若い女子選手たちをさしおき表彰台に立つと、「私ってイケるかも!? 」と、嬉しくてたまらなくなりました。 トライアスロンの経験から、水泳もマラソンも年齢とともに体力の限界を感じざるをえないけれど、メカやテクニックに大きく左右される自転車は違うと確信し、ますます自転車にのめり込んでいったんです。 ただ、そのうちに限界も見えてきました。 私はゴール前のラスト200mのスプリント(短距離走)に弱かったのです。 それが悔しくて悔しくて。 たぶん、相当な負けず嫌いなんでしょうね。 私は、1つ年上の兄と一緒に水泳を始めたのだけれど、兄に勝ちたい一心で練習に没頭した結果、1年後には私のほうが上の級に進み、いたたまれなくなった兄が水泳をやめてしまったくらいでしたから。 自転車についても、あきらめる気はありませんでした。 片手間では、アスリートとしての成長は望めない スプリントの弱さを克服したいともがいていたとき、近くの川崎競輪場でトラック競技の講習があるという情報を耳にしました。 トラック競技といえばスプリント。 迷うことなく飛びつきました。 行ってみると、若い男の子たちがわんさかいて、「おばさん、何しにきたの?」といった不審の目の嵐(苦笑)。 けれど、めげずに通い、当時現役の競輪選手だった山本公明さんに指導していただいたおかげで、スプリント力がついていきました。 以降、次々と自転車のロードの大会に挑み、その大半で優勝することができたのです。 そうなると、トレーニングも楽しくなってくる。 週2回のジム通い、起きてすぐの腹筋・背筋にストレッチ、50kgのベンチプレス挙げ。 「絶対にできるわけがない」と思っていたバランスボール上でのスクワットも、何度も転げ落ちているうちにできるようになりました。 最近では、トレーナーの山本ケイイチさんが指導する「サバイバルトレーニング」にも挑戦。 60kgのベンチプレス挙げ。 60kgのタイヤや切り株を持ち上げる、20kgの砂袋を担いで走るといった訓練なのですが、これがまた楽しいんです。 家事にしても、スクワットをしながら掃除機をかけるなど、工夫してトレーニングの一環にしています。 そのほかに、競技のために気をつけていることといえば、「3食きちんと食べる」ことですね。 規則正しい食事は、便秘を改善し、無駄な体重を減らしてくれるんです。 こうしたトレーニングと食事で、体脂肪率は17%をキープ。 ただ……しだいに、主婦の片手間では、アスリートとしての成長は望めない、と思うようになりました。 私は家事も完璧にしないと気がすまないタイプ。 家にいると、ほかのことが気になってしまうので、もっと自転車に集中できる環境が必要でした。 そんなときに、1年間寮に入る「女子競輪学校生募集」の告知を見て、「これに合格すれば、自転車だけに力を注げる!」と飛びついたのです。 家族も今は協力的です。 もっとも私が最初に、「競輪学校受験を決めた。 もし合格したら、1年間、寮生活となるから家事をよろしく」と話したときには、「はいはい、頑張って」と軽い返事をしていた娘たちも、いざ合格を知ったとたん「家事はどうなるの!? 」と慌てふためいていましたが。 その後、料理方法などを尋ねてくるようになったので、いい修業になるでしょう。 夫にしても、「行きつけの居酒屋で教えてもらった料理だ!」などと言いながら、いろいろ作ってくれています。 川崎競輪場のバンクを疾走! 娘のような同級生との生活 入学前に競輪学校の資料が届いて校則の厳しさにちょっと驚きました。 制服着用、携帯電話・カラオケ・髪染め禁止、化粧品は日焼け止めだけ……。 さらに、寮生活。 私自身は娘のような子と同室になるなんて……とわくわくしていたんですよ。 ただ、娘たちに、「お母さんは箸の持ち方に始まり、マナーにうるさすぎる。 嫌われちゃうんじゃない?」と心配されてしまったので、母親目線になりすぎないよう気をつけています。 (笑) 入学が決まって慌ただしく準備を進めていた時期に東日本大震災が起きました。 私自身に直接の被害はなかったものの、いろいろ考えることがありました。 大震災の被害に今もなお苦しんでいる方はたくさんいらっしゃって、さまざまなプロ・アスリートたちがその支援をしています。 私も、そんな支援者のひとりになれれば、と感じています。 何はともあれ、プロ・アスリートの座はもう目前。 48歳の私が合格したことで、競輪界を目指す中年女性が増えてくれれば嬉しいですね。 そのためにも私が頑張らなくてはいけません。 「やはり、年配者はダメ。 次からは年齢制限を設ける」となったら、申しわけが立たない。 もちろん、年齢とともに筋肉は衰えていくでしょう。 でも、自転車の世界では、10代から競技を始めて50代まで続ける人がたくさんいます。 とすれば、30代中盤から始めた私は70歳近くまでもつのでは? と、あくまでもプラス思考でいます。 そうそう、オリンピックももちろん目指しますよ! そして、ゆくゆくはあらゆる経験を糧にして自転車競技を教える側になれたらいいなぁ、という夢を抱いています。

次の