煙突描きのリン。 千と千尋の神隠しのリンって人間なの!?別作品のキャラってマジ?

『千と千尋の神隠し』豆知識まとめ

煙突描きのリン

CONTENTS• 映画『ある町の高い煙突』の作品情報 C 2019 Kムーブ 【公開】 2019年6月22日(土)(日本映画) 【原作】 新田次郎 【監督】 松村克弥 【脚本】 松村克弥、渡辺善則 【キャスト】 井手麻渡、渡辺大、小島梨里杏、吉川晃司、仲代達矢、大和田伸也、小林綾子、渡辺裕之、六平直政、伊嵜充則、石井正則、螢雪次朗、斎藤洋介、遠山景織子、篠原篤、城之内正明、大和田健介、たくみ稜 【作品概要】 昭和の文豪・新田次郎の同名小説を原作に、日立鉱山の煙害と戦った地元村民たちの実話を映画化しました。 監督は、「日本近代美術の父」岡倉天心を描いた『天心』で知られる松村克弥。 映画『ある町の高い煙突』のキャラクターとキャスト C 2019 Kムーブ 関根三郎(井出麻渡) 煙害に苦しむ地元住民のリーダーとなる青年。 実際に日立鉱山煙害に対して日立に立ち向かった関右馬允がモデルとなっています。 加屋淳平(渡辺大) 地元住民との交渉役を務める日立鉱山庶務係。 実在する日立鉱山の角弥太郎がモデルとなっています。 木原吉之助(吉川晃司) 理想家肌の若き経済人。 「地元を泣かせるようでは事業成り立たない」という想いから理想郷を目指しています。 日産コンツェルンの創始者・久原房之助がモデルとなっています。 加屋千穂(小島梨里杏) 加屋の妹。 素性を知らない中で三郎と知り合い、惹かれ合います。 関根兵馬(仲代達矢) 三郎の祖父。 日立との交渉役を務めていました。 映画『ある町の高い煙突』あらすじとネタバレ C 2019 Kムーブ 明治末期、日本国策事業として銅山の開発が全国各地で進んでいます。 茨木・日立市にもまた、「怪物」と恐れられた若き起業家・木原吉之助によって日立鉱山が開業されました。 しかし、鉱山から排出される有毒ガスによる煙害によって地元の農業は大打撃を受けます。 祖父の兵馬が鉱山採掘の許可に判を押したことから、この問題に深い縁がある関根三郎は、旧制一校出身という輝かしいキャリアを捨てて、地元の交渉役の責任者になることを決意します。 私財を投じて煙害調査を進める三郎に、地元の若者たちもついていきます。 日立鉱山側の窓口となったのは加屋という名の庶務係の職員。 その物言いに最初は警戒する三郎ですが、やがて、会社をつぶしてでも誠実に対応するという大胆な加屋の発言が彼自身の本心から来ているものだと知ると、二人はやがて立場を超えて煙害問題に立ち向かっていく同志となっていきます。 また、三郎は調査で村のあちこちを回っている中で千穂という女性と出会い、惹かれ合っていきます。 のちに千穂が加屋の妹だと知って三郎は驚きますが、それでも二人の距離は縮まっていきます。 C 2019 Kムーブ しかし、煙害の被害は拡大、中には自ら命を絶つ農民まで出てきます。 加屋は金銭面での補償に限界を感じ、品種改良した作物や、煙害に対する気象観測所の設立などを進めていきます。 鉱毒問題の深刻化を受けて、ついに政府が重い腰を上げます。 日立鉱山にも学者が派遣され、煙道設計が進みます。 煙害は一気に解決されるかと思いましたが、かえって有毒ガスがまとまって三郎たちを襲います。 このことにショックを受けた三郎は、木原や加屋を批判し決別を宣言します。 一方で、煙道建設のために住民に我慢を強いてきた三郎もまた対策委員長としての責任を問われ、三郎は責任を取って辞職します。 また千穂が結核に罹り、茅ケ崎の療養所に身を移します。 当時は不治の病だった結核を患った千穂。 それは三郎と千穂の別れを意味していました。 深刻化する煙害になにもできないまま、ただただ窮状を見つめているしかできない三郎と加屋は、最後の手段として、当時としては世界最高の高さを誇る大煙突の建設を考えます。 時を同じくして、木原もまた中央政府を口説き落として、大煙突建設のプランを立てていました。 三郎と加屋、そして木原たちは最後の希望として大煙突建設に挑むのでした。 映画『ある町の高い煙突』の感想と評価 C 2019 Kムーブ 地味ではありますが見られるべき映画 同時期に公開される『 二宮金次郎』( 五十嵐匠監督・ 合田雅吏主演)などもそうですが、 地味ではあるものの芯のある映画が作られるというのはある意味、まだまだ日本の映画制作は健全なのかなと思わせてくれます。 メインキャストを務める若手を 吉川晃司や 仲代達矢というスター俳優が支えてくれているのもうれしいなと思います。 シネコンなどにはかかることはまずない映画でしょうが、ドキュメンタリーとは違ってちゃんとドラマになっており、映画にも入りやすいので、機会があれば是非劇場でご覧になってほしい映画です。 ちなみに、この日立の大煙突は72年にその役割を終えた後も残り、1993年の倒壊まではその威容を見ることができました。 現在は50メートルほどの遺構となっていますが、倒壊から一年後には記念碑も建てられ、 地元のシンボル、そして 公害問題のモデルケースとして今も語り継がれています。 まとめ C 2019 Kムーブ 「 満足感を得られる映画」というと、多くの方は 派手さ、或いは過激さが氾濫している作品を連想するでしょう。 しかし、それらの作品から得られるのは、あくまでウンザリする派手さ、過激さで胃もたれを起こしたかような「 満腹感」でしかなく、心の内に新たな色彩が足されたかのような「 満足感」を得ることはできません。 では、「満足感を得られる映画」とは一体どのようなものでしょうか。 その明確な答えは、存在しないのかもしれません。 しかしながら、映画『ある町の高い煙突』からは、その「満足感」を感じとることができたのです。 派手さも過激さもない、けれど映画としての確かなる芯を持つ作品。 それが映画『 ある町の高い煙突』です。

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【千と千尋の神隠し】ジブリ名作の主題歌を歌い上げる木村弓!「いつも何度でも」について徹底考察(2ページ目)

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さんの歌う 『いつも何度でも』は、私の大好きな曲の1つです。 『いつも何度でも』歌詞の意味については、いろいろ解釈が異なるようですが、こちらのブログが秀逸でした。 この曲が生まれたプロセスなんかも、素敵ですね。 あのとき、勇気を出したから さんは高校時代からカに音楽留学し、ピアノや声楽を学んでいました。 しかし体調不良で歌うことを断念してしまいます。 そんなときに竪琴の一種である「ライアー」に出会い、また歌を始めることにしました。 そして木村さんは「」を見て、監督に共感を覚えます。 「この人の映画に私の声が合うかもしれない」と直感で思ったそうです。 でも木村さんの体調は不安定な状態でした。 結局迷ったまま数年が経ってしまいます。 どこかでいつも映画を意識していた木村さん。 ある日「」を映画館で観て涙が溢れてしまい、思いを宮崎監督に手紙で伝えました。 そのときにはご自身の歌を吹き込んだCDも同封されたそうです。 CDを聞いた宮崎監督から連絡があり、企画途中の「煙突描きのリン」という作品の話を聞かせてくれました。 イメージが膨らんだ木村さんは、まだ依頼されていないのに曲を作って宮崎監督に送ったそうです。 その曲が「いつも何度でも」です。 結局「煙突描きのリン」は形になりませんでしたが、少し後に木村さんに連絡が来ます。 宮崎監督は「前に聞かせてもらった曲を次の映画のEDしたい」というものだったのです。 「作り手と観客」だった2人が木村さんの勇気で繋がりが生まれ、こんなにもいい楽曲が生まれたんですね。 面白いことなんか何もない毎日。 何でこんなに退屈なんだろうと少女は思っています。 身の回りには勝手な大人。 上手くいかないことや悲しいことばかり。 だけどいつか自分を変えてくれる「誰か」が現れるんじゃないか……。 そんな夢を見ています。 人は間違うことがあります。 正しくないと分かっていても、つい弱い自分を許してしまう。 そんなときに空を見上げると、ただどこまでも青くて。 自分がいろいろ難しく考えすぎていたことに気づくのです。 引き返せないところまで来てしまったと思うかもしれませんが、思ったそこからやり直せばいい。 きみの両手は大切なものを掴むためにある。 歌がそう励ましてくれています。 に迷い込んだ少女が初めて身近に体験する「死ぬかもしれない」という感覚。 死んでしまったら心臓が再び動くことはありません。 そのことに呆然とし、空っぽになってしまった少女。 そこで初めて気づきます。 ただの風景だった草花も池の魚も、何もかもが「生きて」いるのだと。 自分がここにいるのも生きているから。 そしていつかは自分も「ゼロ」になる日が来る……。 それまでに自分が出来ることは何だろう。 少女の目の前が段々クリアになっていく様子が見えますね。 ちゃんと自分の中に『夢』を持っていることが大切なんだよ。 不安になることだってあるよね。 でも、不満を口にするくらいなら、落ち込んでいる友達のために歌ってあげよう。 きっと友達は喜んで、また一緒に笑えるようになるよ」 自分を呼び覚まそうとするこの声はどこから聞こえてくるんだろうと不思議に思う少女。 のたくさんの人と出会っていくうちに自分の中で眠っていた感情を取り戻していきます。 元の世界に戻るため、少女は両親が待っているトンネルに向かいます。 そのとき「決して振り返ってはいけないよ」と言われました。 少女も何となく感じています。 元の世界に戻ったら、のことを忘れてしまうかもしれない。 でも歩きながら、心に刻もうとするのです。 「忘れない。 たくさんのこと、出会った人たち、絶対に忘れたりしない」 でもその願いは叶わず、トンネルを抜けた少女の記憶からでの出来事は消えてしまいます。 朝が来るたび、人はリセットされる。 実際に体内時計が狂ってしまった人は朝に日光を浴びるとリセットされると言いますよね。 朝は、ダメかもしれないと思った自分をリセットするチャンスなのです。 一旦「ゼロ」にすれば空いた部分を「新しい何か」で充たすことが出来るようになります。 これまで少女は遠い場所にばかり目を向けていました。 場所が変われば新しい自分が始まるんじゃないか……。 自分が上手くいかないのを「環境」によるものと考えていたんですね。 でも少女は感じています。 これまでと自分が明らかに違っていることを。 変わった理由を覚えていなくても、自分の心の中に「何らかの芯」が備わったことを。 大切なことを見誤ったり、見ない振りをしてはいけない。 でももしも間違ってしまっても、やり直せばいい。 全てにおいて受け身で不満気だったの表情がすっかり明るくなっています。 技術として目に光が入れられているのですが、人の目は楽しいことに向かうときは瞳孔が開きます。 だからも、これから出会う新しいことや人に期待でワクワクして目が輝いているのですね。 冒頭のシーンで車の後部座席に背中を預けて面をしていた少女とはまるで別人です。 「」は10歳の少女・の冒険の物語です。 でもでは何日も経っていたのに、戻ってきたらまだ同じ日だったようです。 引越し途中だったの家族はまた車に乗り込み、新しい土地に車を走らせます。 新しい暮らしに学校、友達……。 忙しいはせっかくの経験を忘れてしまうでしょう。 でも大切なのはどれだけ明確に物事を記憶しているかではありません。 その経験から自分の心に根づいたものを見つけられるかどうかではないでしょうか。 nikimitama.

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千と千尋の神隠し

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リンはなぜ自分のことを「俺」というの? リンの自分表現は、「俺」や「アタイ」といった 男前な口調をしますが、こういう女性は「 俺女」といいます。 自分の個性やキャラクター性を強調したり、男性的なイメージを植えることで、逆に女性であることを強調しているとも言われています。 リンの場合だと、後者は考えにくいので前者の、 自分の個性の強調だと思われます。 また、個人的な見解として、 ちょっと粗雑さをウリにしているリンなので、「ワタシ」という言葉に 恥ずかしさもあるのかなとも思います。 まして14歳なら年頃ですから、何かと感受性も豊かでしょうからね。 とはいえ、 リンがもし田舎の出身という設定だとしたら、 方言として「オレ」と言っている可能性もあります。 海の向こうの街に行きたいと思ってることからも、あながちないわけではない話です。 そこには、まず、 リンの 面倒見の良さが伝わってくることが理由のひとつに含まれていると思われます。 姉のように 優しく、温かく見守ったり、時には 厳しくも的確な指示を出すなど、メリハリ、ツンデレ、飴と鞭が上手で相手をちゃんと見ていてくれていることが分かります。 しかも口調とは裏腹の、 相手を思いやる気持ちが端々に見え隠れしていることなんかも、面倒見の良さを際立たせる要素ともなっています。 それともう一つの理由として、他の者たちと決定的に違うのが、 自分の意思をしっかり持っていることです。 湯婆婆にさえ流されない、自分はこうしたいや自分の信じる人はこの人といったことに、迷いが全くありません。 そういった潔さが、 頼りがいを感じさせる要素ともなっています。 これらの要素が組み合わさって、みんなからの、好感度に繋がっていると思われます。 それとは別に、宮崎駿監督がリンを気に入っているのは、 もともと 違うジブリ作品で主人公にしていたからです。 残念ながら、その作品がボツになってしまったため、千尋を助けてくれる重要なポジションをリンに抜擢したようなのです。 つまりリンは監督にとって、それだけ思い入れがあるキャラクターだということですね。 ちなみに、その作品は 「 煙突描きのリン」というらしいです。 スポンサーリンク リンの正体は白狐?人間? それと二分するように囁かれているのが、 人間であるという説です。 これは、 映画のパンフレットのリンのところに、「人間」と書いてあることが発端となっています。 しかも、他のものは、人間を別世界のモノ扱いで接するのに対し、 リンは人間である千尋を受け入れていることも、その説を後押ししています。 それともう一つある説が、 イタチだとするもので、根拠は、 宮崎駿監督が「リンはイタチが人間に化けたものだ」と言っていたからというものです。 実際、リンを別の作品でヒロインとして生み出した監督が言うことならば、有力といわざるを得ません。 ただ、千と千尋の神隠しの世界観やリンの立ち居振る舞いからすれば、 「白狐」の説が一番しっくりくるように感じます。 まとめ リンという人を分析するだけで、たくさんの情報が溢れてきますが、これも、作者を含めたみんながリンを気に入っているからかもしれませんね。 そういう私も、リンは大好きで、男勝りでサッパリしていて漢気に溢れる感じが、見ていて気持ちがいいです。 多くの方も、リンの スパッと物言う感じに憧れたり、また、 頼りがいのあるところなんかは、理想の先輩や上司像として見ているんじゃないかと思います。 リンがヒロインとなるはずだった作品は残念ながら無しになりましたが、千と千尋の神隠しにおいて、それ以上のキャラクターを得たのではないでしょうか。 その成果が、この人気として繁栄されているように思えます。 こちらの記事も一緒にどうぞ!.

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