柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 意味。 【柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

「なり」の意味

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 意味

日付は、1895年(明治28年)のこの日、俳人・正岡子規(まさおか しき、1867~1902年)が奈良旅行に出発し、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだとされることから。 また、地域によって違うが柿の旬の中心的な時期にあたることもその理由の一つ。 柿の販売促進が目的。 記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 柿(太秋柿) 柿について 柿は、カキノキ科の一種の落葉樹・カキノキ(柿の木)の果実。 カキノキは東アジアの固有種で、特に長江流域に自生している。 幹は家具材として用いられ、葉は茶の代わりとして加工され飲まれることがある。 果実は渋味のもとであるタンニンを多く含み、柿渋は防腐剤として用いられる。 現在では世界中の温暖な地域(渋柿は寒冷地)で果樹として栽培されている。 日本から1789年にヨーロッパへ、1870年に北アメリカへ伝わったことから学名にも「kaki」の名が使われている。 柿の生産量が多い県は和歌山県、奈良県、福岡県の順で、生産量日本一の市町村は、奈良県五條市である。 「桃栗三年柿八年」と言われ、柿は種をまいて実がなるまで8年程度かかる。 これは何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だという例えでもある。 柿は秋の季語。 高級柿として熊本県産の「太秋柿」や皇室への献上柿として知られる福島県会津地方の「みしらず柿」(身知不柿)などがある。 リンク:、.

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体言止めとは?例文で意味と使い方を徹底解説

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 意味

柿が赤くなれば医者は青くなる 異常なほどの夏の猛暑が終わると清清しい秋を迎える。 秋になると柿や、蜜柑、柚などが実をつけて色づき、天高く馬肥ゆる秋に相応しく食べ物が豊富になる。 だから病人も少なくなるというわけで、決して柿だけではない。 これらの秋の果物には豊富なビタミンC(コラーゲン生成に必要、抗酸化作用もある)が含まれており健康によいから、病気にかかりにくいので、医者が手持ち無沙汰となる。 健康はいいことではあるが医者も生計上ちょっときがかりになる、青くなるほどではないだろうが・・・・ 農家では収穫期を迎え、多少体調こわしても病院に行く暇がないほど忙しいことも、この諺は意味しているらしい。 赤くなる柿だけでない証拠には、「 柚子が黄色くなると医者が青くなる」という地域もある。 ビタミンCだけでなく利尿作用のあるカリウムも含まれているし、甘柿は便秘にも効くとされる。 ところで柿の生産地はどこであろうかと思って調べてみると、「 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)で有名な奈良県をはじめ、和歌山県(柚子も多い)、福岡県、香川県がどこでも採れるようである。 一番多い種としては、富有柿で樹上において渋みが抜けるので一般に甘い。 富有柿と並んで甘い柿は次郎柿、かたちは横から見ると四角いのが特徴である。 その他、種無しでは平核無柿、キウイフルーツに似た禅寺丸、秋の福島を代表する会津身知柿(献上柿として有名)などがある。 「 暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように9月23日の秋分を過ぎると真夏日も急減し、朝夕は涼しくなる。 このような季節の変わり目に体調が崩れやすい。 「 気候の変わり目に病気になりやすい」という諺には2つの変わり目が考えられる。 春夏秋冬各季の変わり目である意味と、暖候季(冬)から寒候季(夏)への変わり目、すなわち秋、その逆の寒候季から暖候季への変わり目、すなわち春という意味がある。 後者の意味合いで「 秋の天気と女心」とか「 春の天気と女心」という諺がある。 日本独特の諺と思ったらそうではなくフランスなど欧米にも類似の言い回しがあるようだ。 シベリア気団と小笠原気団の進退で移動性高気圧が発達しやすい春や秋は、精神的な病が多くなるということから女心も揺れ動きやすい時季である。 そういう心の病が身体の不具合をも招く、まさに「 病は気から」 なのである。 季節の変わり目、天気の変化しやすい時季には、身体のホルモンのバランスが崩れやすく、疲労やだるさを強く感じるのである。

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あすは柿の日。柿食えば 鐘が鳴るなり 東大寺?

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 意味

これはかの有名な正岡子規の俳句であり、『海南新聞』1895年11月8日号に掲載された俳句であります。 正岡子規は明治25年に日本新聞社に入社し、日清戦争の記者として働いていましたが、明治28年に正岡子規は病を患い既に重病であったともいわれています。 しかしながらなんとか奈良を訪れ、その際ここ法隆寺を訪れ、その際に詠んだ俳句が『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』であるといわれています。 正岡子規は東大予備門において夏目漱石、南方熊楠、山田美妙など同窓生であり、漱石とはとても仲がよく、正岡子規が病に患ってからも療養生活の看病に必死にしていたといわれています。 奈良を訪れた正岡子規が詠んだ『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』への想い・・・ 最初に奈良の市内を散策をして、興福寺、大仏殿のある東大寺、春日大社を参拝しました。 実は正岡子規は東大寺についても俳句を詠んでおり、『長き夜や初夜の鐘撞く東大寺』『大仏の足もとに寝る夜寒哉』などがその代表とされています。 そして『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』は、療養生活の世話、奈良旅行を工面してくれた漱石に対して、漱石の作である「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の句へのお礼の句であるといわれています。 季語は柿でありこれは秋の象徴でもあります。 この句でいう柿は大和名産の御所柿と考えられています。 『法隆寺の茶店に憩ひて』と前書きがあり、法隆寺に立ち寄った後、喫茶店で一服して柿を食べていると法隆寺の鐘が鳴り、その鐘の音色に秋の訪れを感じた、というのがこの句に込められて正岡子規の想いでもあります。 尚、「くへば」一見逆説にも思われがちですが、単に「食べていたら」という事実を述べているにすぎず、「鐘が鳴るなり」と特別に因果関係があるわけではありません。 ちなみに正岡子規が法隆寺を訪れた10月26日とされ、この日はこの句にちなんで『柿の日』にも制定されています。 この句は実際に詠まれたのか しかし正岡子規が法隆寺を訪れた日は、雨であったとされこの句は実際に詠まれたかどうか疑問点も残されています。 また正岡子規は奈良を訪れた際には、かなりの病状も悪化をしていたと考えられており、実際に法隆寺を訪れることができたのかという点も疑問点に残されています。 もしかすると、病で床についていた正岡子規は、外で秋の訪れを感じたいという自分自身の願望をも句にしていたのかもしれません。 奈良の観光は、正岡子規にとって最後の旅行であり、明治35年に35歳の短い生涯を終えました。 しかしこうしてこの句をきけば誰もが法隆寺を思い出し、法隆寺は今世界遺産に登録をされ、人々から愛されるお寺となっていることは、正岡子規にとってもきっと喜ばしいことに違いありません。

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