マッスル 北村 死因。 伝説のボディビルダー マッスル北村|極度のストイックさが招いたその若すぎる死

マッスル北村(ボディビルダー)の死因は餓死?経歴や結婚して子供もいたって本当?

マッスル 北村 死因

「普通の食事」以外に、卵を20-30個、牛乳を2-3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取する。 食事消化吸収のために、消化剤を大量に摂取する。 さらに筋肉のサイズアップのため、鶏肉をミキサーにかけペースト状にしたものを大量に摂取する。 結果、ボディビルを始めて僅か10ヶ月で40kgの体重増加に成功する。 ボディビルに集中した取り組みのために、大学の授業に全く出席せず、最終的に東京大学を中退している。 高重量のダンベルで過酷なトレーニングに挑んだ結果、胸や腕の筋肉を断裂する。 過激な減量を行い、身体中の電解質が不足したり、低血糖症のために倒れ、何度も救急車で病院に搬送される。 2000年8月3日、ボディビルの世界選手権へ向け、 炭水化物をカットしてオリーブオイルなどの良質の油をエネルギーとする 「オイルダイエット」を行い、最後の仕上げにオイルをカットし少量の炭水化物で仕上げる方法をとる。 控えめに言ってヤバいですよね(語彙) 東大でボディビルを始め、ボディビルの為に中退。 そして ボディビルを愛しすぎた故の餓死。 やることなすこと全てが異次元すぎます。 THE 漢料理。 Yeah。 茹でる時間を短縮しているのです。 あとは温まるのを待ちます。 マッスル北村の食事 「ソースをかける」 さて、温まったところでパスタソースをかけていきます。 ご紹介が遅れましたが、パスタソースは業務スーパーで1袋70円で買えるコチラをかけていきます。 めっちゃ安くてグッドテイスト。 おすすめです。 さて、そうこう言っているうちにかけ終わりました。 そして気づきます。 ソースが足りん。 「オレ二モ.. オレニモソースヲカケテクレェェェ…」 と不幸にも下に埋もれたパスタ達の、パスタソースを渇望する悲痛な叫びが聞こえてきます。 参照元: 無視して食べていきたいと思います。 マッスル北村の食事 「パスタを食べる」 さて、実食。 の前に、フォークに麺をひと巻した感想を言わせて頂きます。 ひと巻目の トルクの掛かり具合で確信しました。 (気づくの遅い) しかし、ここで日和る理由がありません。 食べていきます。 そして、食べている途中であることに気付きます。 食べる前から自明でしたがソースが足りません。 このまま食べ進めるのは拷問です。 パスタ達にも申し訳ありませんのでここはプライドを捨てることにします。 【禁じ手】~追いソース発動~ はい、胃のキャパオーバー。 や、やりました… 無事完食!ごちそうさまでした! マッスル北村氏の食事を実際に体験してみて、太るって大変なんだなと痛感しました。 今後もマッスル北村氏の食事を定期的に食べて体を大きくしていきたいと思います! てか、もっと簡単に太れないの? と、思いましたが、さすがに300gは多すぎます…。 これはまさしく 確実に太る方法と言えるでしょう。 ちなみに今回食べたパスタは約1400kcal。

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伝説のボディビルダー:マッスル北村の生涯と死因

マッスル 北村 死因

on Jun 19, 2018 at 3:25am PDT 北村克己、のちのマッスル北村さんは彫刻家の父のもと1960年東京に生まれました。 幼い頃から人一倍ストイックな性格で、「人は何の為に生まれてくるのか。 僕は、せっかく生まれてきたのだから、何か目標を見つけて、自分の限界まで挑みたい。 そうしないと時間がもったいない」という信条のもと、スポーツから勉強まで、様々なことに熱心に取り組みました。 一度のめり込んだら絶対に止まらない性格で、家族をよく困らせていたようです。 中学2年生の時、自転車に熱中していたマッスルさんは16時間連続で乗り続け、気絶するまでペダルを漕いだと言います。 「ボクには時間がない」マッスルさんの口癖でした。 on May 10, 2016 at 7:04am PDT そんなマッスルさんがボディビルに出会ったのは、大学生の頃でした。 猛勉強の末、二浪で東京大学理科2類に合格したマッスルさん。 スポーツ万能で比較的体格が良かったため、先輩に進められるがまま、ボディビルの関東学生選手権へ出場します。 しかしそこで、鍛え上げられた他の選手と、ボディビル経験ゼロの自分のあまりの差に愕然とします。 それがきっかけで、マッスルさんのとことん追求する性格に火がついたのです。 それからというもの、マッスルさんは筋力トレーニングに明け暮れます。 さらに卵20~30個、牛乳2~3リットル、鯖の缶詰3缶、プロテインの粉末300g、これら全てを消化剤により無理やり吸収することで、筋肉はどんどん肥大化していきました。 しかしここから、父親との確執が深くなります。 勉強せずにトレーニングに明け暮れるマッスルさんにある日激怒した父親は、ダンベルシャフトで何度もマッスルさんの頭を殴りました。 左の網膜が剥離し、手術を余儀無くされるような状態になってもなお、マッスルさんはボディビルの道を諦めませんでした。 それは2000年8月3日のこと。 ボディビル世界選手権に向けてトレーニングを重ねていた際、突如として倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。 死因は、体脂肪を極限まで減らしたことで異常な低血糖状態となったことが引き金となった急性心不全でした。 事実上の飢死だったのです。 実はマッスルさんは亡くなる数日前にも倒れて病院に運ばれており、この時は一命を取り留めていました。 その時、妹が「めまいがしたら飴を舐めて。 飴一個でいいから」と言ったにもかかわらず、「僕は、そんなわずかなカロリーすら摂取したくないんだ」と断固として食べ物を受け付けなかったと言います。 葬儀では、巨大なマッスルさんの遺体を収容できるサイズの棺がなく、特注の棺を用意したと言います。

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マッスル北村の最後は餓死?伝説や名言が凄い!死ぬ直前の過酷な食事やトレーニングとは?

マッスル 北村 死因

工藤兄弟、坂本一生、ミスターマッスル、なかやまきんに君、武井壮……。 途切れなく続く筋肉タレントの系譜。 その中に、『マッスル北村』という人物がいたのをご存知でしょうか?今から16年以上前。 過度な減量により、39歳の若さで命を落とした芸能人兼ボディビルダーです。 かなり昔、TBS系の討論バラエティ『ここがヘンだよ日本人』で、日本の若手芸人数組が、外国人にネタ見せをする企画が放送されていました。 その中で、 当時駆け出しだったなかやまきんに君も登場。 なぜ、笑わないのか? 理由を問われた一人のギャラリーが「筋肉はそんなふうに使うものじゃない」と一言。 さらに他の外国人からは「それだけ身体を鍛える精神力があるのだから、何か他の事を頑張った方がいいのではないか」とも言われていました。 いや、その筋肉を無駄遣いしてるところこそ、きんに君の芸風なのに……。 視聴者の多くが思ったことでしょう。 このきんに君のエピソードを出すまでもなく、鍛え上げた肉体とは克己心の象徴。 その肉体を手にするまでにどれほどの年月、努力をかけたのか……。 考えてみれば、先ほどの外国人がした指摘も、あながち的外れではないと言うものです。 「人は何の為に生まれてきたのか。 僕はまだ何をすべきかはわからないけど、生まれてきたからには、自分が見つけた目標に限界まで挑みたい」 幼い頃のマッスル北村は、こんな理念を抱いていました。 想いをカタチにすべく、 文武両道の学生生活を実現。 小学校から高校までは名門・東京学芸大の附属校で優秀な成績を収めつつ、スポーツにおいてもオールジャンルで抜群の身体能力を発揮。 高校からは自転車をはじめ、あるときは16時間連続でサイクリングに没頭。 気絶するまでペダルを漕いだそうです。 「僕には時間が無いんだ」。 それが彼の口癖だったといいます。 生涯において常軌を逸した努力を続けてきた彼ですが、その精神力の裏側には、成し遂げたいことがたくさんあるゆえの危機意識が、常にあったのかも知れません。 この東大時代、彼はボディビル部の先輩に進められるままに、関東学生選手権へ出場。 当時の北村は、スポーツ万能だったものの、ボディビル経験ゼロ。 鍛え上げた他の出場選手に比べればヒョロヒョロもいいところで、「惨めさで泣きそうになった」と後に語っています。 その悔しさをバネに、 彼はボディビルディングに熱中し始めます。 卵20~30個、牛乳2~3リットル、鯖の缶詰3缶、プロテインの粉末300g……。 これら全てを、消化剤により無理やり吸収する日々を送っていたとのこと。 その間、学業はそっちのけ。 激怒した父親からダンベルシャフトで頭を殴打され、左目が網膜はく離になるという大怪我を負います。 このように、どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大を中退。 その後、人の役に立ちたいとの一心で東京医科歯科大医学部へ入学するも、やはり、「ボディビルを極めたい」との想いが勝り、またしても自主退学してしまいました。 世界選手権目前、過度の減量に散る… 自分の目標を、ボディビル一本に絞った北村の努力量は、これまでにも増して凄まじいものとなりました。 1985年のアジア選手権に出場する時などは、120kmを15時間ぶっ続けで走り抜くことにより、14キロの減量に成功。 見事、アジア選手権・ライトヘビー級のタイトルを獲得します。 その後もキャリアを重ねていき、90年代前半からタレント活動も開始。 『さんまのナンでもダービー』『平成教育委員会』などへ出演し、屈強な肉体に似合わない育ちの良い丁寧な語り口調で、お茶の間の人気者となっていきました。 彼の生涯が突然幕を閉じたのは、2000年8月3日。 世界選手権に出場するべく体脂肪を極限まで減らした挙句、異常な低血糖状態となり、急性心不全となり亡くなってしまいました。 死因は事実上の「飢死」。 人並み外れた精神力で数々の目標を達成してきたマッスル北村でしたが、生前、叶えられなかった夢もいくつかあります。 その中の一つが、 「両親からボディビルをやってきた自分のことを認めてもらうこと」。 彼の死から16年。 今なお、その桁外れのストイックさで、多くの人の心を揺さぶり続けている息子のことを、きっと、両親も誇りに思っているに違いありません。 (こじへい) 目に見える行為だけをとらえて「役に立つ、立たない」と人間を評価することは はっきり言って頭が悪すぎると言わざるを得ない。 その人の生き方や志、努力による人間精神の深化に感動を覚えて、自身も 努力しようと考える人間も大勢いることは少し考えたら分かる。 むしろ、そうした人間が、この社会を支えてきた。 ある個人を評価する時には、その人間がどれだけ多くの人を感動させる ことが出来たのかということも、評価基準の一つとして数えなければならない。 北村さんは多くの人を感動させてきたし、また、今後も感動させるだろう。 非常に価値ある人生を送ったと思う。 無論、一生ゴミ拾いをして人生を終えることを悪いとは言わないが。

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