ズームインサタデー。 【ズームイン!!サタデー全国うまいもの博】札幌東急百貨店で4/11~4/16開催

【ズームイン!!サタデー全国うまいもの博】札幌東急百貨店で4/11~4/16開催

ズームインサタデー

概要 [ ] ()の本社(当時)内オープンスタジオ「(通称:マイスタ)」を拠点に、国内外からの中継を基に構成。 最新のニュースと気象、スポーツ情報から、番組の目玉である日本列島各所の中継、特集を放送した。 その一方、芸能情報は番組開始時から晩年までほとんど扱うことがなかった。 番組の企画段階での仮タイトルは『 今日、あなたは』。 その後『 ズームイン!! 全国的に朝! 』と変更されたが(1970年代初頭のの漫画が元の流行語「全国的にアサー! 」が元ネタ)、当時日本テレビ社長のに伺いを立てたところ「人の真似は良くない」とされた決裁により「全国的に」の部分だけが取れて『 ズームイン!! 』(後身『』も含め、一部の記事を除き以下『ズームイン!! 』と記す)に落ち着いた。 番組の開始を機に、当時新築された1階に「マイスタジオ」を新設した。 マイスタジオは本番組以外にも『』(5月放送開始)や『』(後に本番組の2代目司会者となるが担当)、『日本テレビハイライト』などで使用されたほか、スタジオ特性(外部からの中継回線を通常のスタジオより多く受け入れられる設計であった)を生かし、外部からの中継番組を処理する「受けサブ(リモートサブ)」としても使用された。 日本テレビでの放送時間は7:00 - 8:30()で開始以来不変だった。 ただし、一部ネット局では放送時間が異なっていた事例もあった。 番組マスコットは「ズームくん」という人工衛星を擬人化したキャラクターで、テロップや番組ノベルティグッズ等に使用され、開始当初から1985年頃までのオープニングアニメーションや「プロ野球いれコミ情報」のオープニングCG、1995年から1998年までのオープニングCGにもその姿を確認することができる。 しかし番組終了と共に姿を消し、『ズームイン!! SUPER』ではしばらくの間マスコットは使用されなかった。 2001年より、本番組をリニューアルする形で『 』がスタート。 番組の歴史 [ ] 前史 [ ]• にスタートした45分のニュース番組『』はそれまでの『』で伝えられた全国ニュースに加え、特集や地方の話題などを加えて放送するという、当番組の原型となるような内容で放送されていた。 その後、『』との枠統合、ならびにネット局との調整を経て当番組がスタートする。 後述通り、当番組には報道部が関与しないため、報道部制作のニュース枠として『NNN朝のニュース』を放送再開した。 徳光時代 [ ]• 1979年放送開始。 初代司会者は。 番組冒頭、徳光は「皆さんおはようございます。 徳光和夫、37歳、顔も背丈も標準よりちょっと下回っているようでございますが、そんな私が司会を致します『ズームイン!! 』が今からスタートいたします」と視聴者に挨拶した。 初日最初のニュースは前日に起きたのであった(後に福永と徳光が遠縁の親戚であることが放送の『』で明らかになった)。 開始当初からの企画としては、全国ニュースでは取り上げにくいローカル色の強いニュースを各局のアナウンサーが直接伝える「NSヘッドライン」、各局が地元球団を応援しながら伝える「プロ野球イレコミ情報」、街角からの中継で通りがかった一般の人と英会話を行う「さんのワンポイント英会話」、「朝の詩(ポエム)」などがあり、これらは長寿企画となった。 『ズームイン』開始前の徳光は中堅アナウンサーとして視聴者から一定の支持を得ていたものの、報道に不向きなのが災いし社内の評価は芳しいものではなかった。 徳光の起用を決めた初代総合演出のによると、「プロレスやバラエティで活躍している奴を真ん中に置いて朝の番組で使って、何を考えているんだ」と上層部から猛反対されたという。 しかし、斎藤は徳光の才能を高く買っており、「『ズームイン』の司会には渡された原稿を読むだけでなく、自分の言葉、自分の感性で喋ってもらいたい。 そう考えたら(当時の日本テレビアナウンス部の中で適任なのは)徳光しかいないじゃないか」と押し切った。 結果徳光は番組の成功と共に朝の顔としてお茶の間に定着。 アナウンサーとしても徐々に再評価され、『ズームイン』以外の番組にも多数起用されるなど、活躍の場を広げていくことになる。 前番組である『おはよう! -』からジャーナリストのがコメンテーターとして続投。 ニュースコーナーでは秋元が中心になって仕切っていた。 1980年に第17回・選奨を受賞。 1980年10月22日放送で前日の監督解任に激怒した長嶋ファンである徳光は、視聴者に対し・()の購読打ち切りを行うよう呼びかけた。 1980年、日本テレビが制作担当であったこの年の『』は、本番組のスタッフが実働部隊となり、本番組のシステムで『ゆく年くる年』を制作・放送した。 これには本番組並びにキャスターとしての徳光を全国的に売り出す狙いがあったとされ、そのために(当時アナウンサー)、(当時アナウンサー)、(当時専属キャスター)、(当時アナウンサー)といった各局の看板キャスターを集め、中心に徳光を置くといった演出も行われた。 この年は当番組と同様にマイスタからの生放送となり、各地からの中継レポートも当番組の各局キャスターが担当。 中継を呼び出すときの音も当番組の効果音が使われた。 ネット局関連 [ ] 開始当時のネット局は日本テレビ、、、、、、、、、、、、(・)、、、、、、の19局ネット。 このうち、山形放送、北日本放送、福井放送では1984年3月まで『』を放送していたため、8時10分飛び降りとなっていた。 このとき、北日本放送はローカル番組『 おはようKNBです』に内包する形をとり、番組後半はローカル編成を組んだ。 このため番組欄では両番組名が併記となったほか、ローカル部分がのちにステレオ放送化されたため、新聞等の番組欄のタイトルにはステレオ放送のマークがついた。 また山形放送では9月までも放送していたことに加え『』があったため、7時30分からの飛び乗りとなっていた。 詳細は「」および「」を参照 1979年4月から、西日本放送のにより岡山県での放送を開始。 同年(実質はのサービス放送から)、前日に開局したにて静岡県での放送を開始。 それまで日本テレビとテレビ朝日とのクロスネット局であったは前番組『』はネットしていたものの、終了後はテレビ朝日系列の『オリンピックニュース』とアニメの再放送枠に充てていた。 同年、当時日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日とのであったでのネットが開始した。 ただし、開始当初はフジテレビの『』も放送していたため、8時飛び降りとなっていた。 、この日に開局したにて長野県での放送を開始。 それ以前は長野県に日本テレビ系列局が無かった。 1981年(実質はのサービス放送から)、この日に開局したにて新潟県での放送を開始。 開局当日は徳光が新潟に赴き、生放送を行った。 同年、上記の『ゆく年くる年』の効果により、それまでフジテレビ系列の番組をネットしていたにて鹿児島県での放送を開始。 4月1日(実質はのサービス放送から)、この日に開局したにて熊本県での放送を開始。 前年の新潟の時と同様に、徳光は熊本に赴き、生放送を行った。 福留時代 [ ]• 、徳光は同年4月から開始される夕方の報道番組『』のメインキャスターに就任することになり、が最後の担当となった。 から後任にが起用され、同日はバトンタッチを兼ねて二人で進行した。 なお、福留は当時『』( - )・『』( - )の司会を務めており、『高校生クイズ』ロケ期間(7月下旬から8月上旬にかけて)は収録先から福留が中継で出演して番組が進行され、『ウルトラクイズ』ロケ期間(8月下旬、9月から10月上旬までの間の1ヶ月間程)は主に自局および系列基幹局の代理キャスターが担当していた。 徳光から『ズームイン』の司会を引き継いだことについて福留は後年、「当時の社長が日テレ系列局の役員会で『徳光さんの後任司会は誰なんですか』と系列局の社長に突っ込まれて、高木社長が日テレの局アナの中で私と徳光さんしか分からなかったのでやむなく私が抜擢された」と語っている。 なお、『ズームイン』司会就任に当たり福留は『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』はどうするのかを上層部に問いただしたが、双方続投と聞いてあ然となった。 当初は福留ではなく当時読売テレビアナウンサーで関西地区のキャスターも担当したが2代目司会者の最有力候補に挙がっていた。 福留は「最初の1年間は味噌汁の味は変えない(徳光時代の番組カラーはそのまま引き継ぐ)が、1年経ったらその後は自分の色でやる」として、実際に1年後にはスタッフを総入れ替えして報道・情報番組色を強めたという。 最初の1年間は、福留が中心となって、視聴者の朝の生活習慣を調査した。 この調査によると、トイレ・歯磨きなどほとんどの行動が3分以内であることが判明し、1回の中継時間を可能な限り3分以内とするリニューアルを実施した。 同時に、それまで持ち回り制だった中継スケジュールを廃止。 毎月全国の系列局のを集めて企画会議を行い、それを基に中継を実施した。 また「情報トレイン」に至っては会議であらかじめテーマを決め、各局が企画したテーマを持ち帰って取材を進め、中継を放送した。 1990年7月には8時台の「NSヘッドライン(2回目のニュースコーナー)」を「情報トレイン」に変更。 さらには「31分31秒」を「朝生リポート」に変更し、31分31秒に代わる企画「ズームインズーム」を登場させ、「ワンポイント英会話」の開始時間を7時20分から7時45分にする、「プロ野球いれコミ情報」の最後に時間切れの爆弾とGAME OVERの文字を表示させて「朝の詩」に移行するなどの大幅なリニューアルを行った。 また情報番組としてスピーディーな進行を志向した福留の意向により、徳光時代以来長らく続いてきたが不確実性が高くアクシデントの主要因ともなっていたマイスタ前の一般開放を取りやめた(オープニングのみ、エンディングは継続したが来訪者にインタビューするなど絡むことはなくなった)。 3月に福留は日本テレビを退社しフリーアナウンサーに転身したが、本番組の司会は続投した。 福留はこの半年後、の情報番組『』の司会に就任し、以降はTBS側の方針により、『ブロードキャスター』が休止される場合同時に本番組の放送週を休む形をとっていた。 『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』の司会はこの年からに交代したため、前年までのように『高校生クイズ』収録のため福留が地方から出演したり、『ウルトラクイズ』収録のため福留が番組を1ヶ月離れたりするという事はなくなった。 、番組放送開始15周年を記念して日本テレビ開局40周年記念特別番組『 ズームイン!! 』をゴールデンタイムの夜7時から4時間にわたって放送。 徳光と福留のダブル司会により朝と同じスタイルの番組を夜に展開する企画で、好評につき同年秋にも2回目(この時は夜7時からの2時間30分)の放送がなされた。 1993年からに掛けて、長寿企画である「朝の詩」や「ワンポイント英会話」のコーナーを終了させた。 ニュース量・地方中継の量と質の向上などの第2のリニューアルを進め、スピーディーな番組進行の色合いが強まった。 「朝の詩」はのコーナーであり、花王に了承を得てから終了となった。 以後、花王はから降りてPT()扱いとしてCMを流した。 重大な事件・事故が起きた際、その翌朝にはマイスタでの司会を別の者(など)に任せた上で、メインキャスターである福留自ら現場から生放送・リポートを行う手法を多用した。 1993年の発生の際には、被災したを翌朝の番組でからリポートした。 最も有名なのはの発生から2日後の、神戸から番組を生放送し、現地キャスターと被災地や被災者のリポートを行っている。 、に姉妹番組として『』を福澤朗の司会で開始した。 1998年4月1日、前半ネット部分の体制が、それまでの隔日提供から曜日毎の提供に変更された。 これは直前番組の「ジパングあさ6」や「ズームイン!! サタデー」、後番組の「ズームイン!! SUPER」でも同様。 ネット局関連 [ ] (実質的にはサービス放送開始のから)、前日に開局したにて石川県での放送を開始。 それ以前は石川県に日本テレビ系列局が無かったため、北日本放送(主に金沢市・能登地方)と福井放送(主に加賀地方)が取材を行っていた。 1991年4月1日、長崎県での放送がこの日に開局したに変更。 テレビ長崎での放送はその半年前に打ち切りになっている。 10月1日、愛媛県での伊予テレビ(現:)開局 を期にTBS系列の番組ネットの見直しが行われ、これまでTBSの平日朝7時の番組(最末期の番組は『』)を放送していた(愛媛)とが番組ネットを開始。 最大の28局ネットになる。 1994年4月1日、鹿児島県での放送がこの日に開局したに変更。 なお、それまで鹿児島県でのネット局であった鹿児島テレビは同日フジテレビが開始した『』を本番組の後継番組扱いでネット開始した。 開局当日は福留とNNNの九州地区基幹局である、の中継キャスターのが鹿児島に出向いて番組が放送された。 福澤時代 [ ]• 1998年の放送を最後に福留が勇退。 代わって放送から『ズムサタ』のメインを担当していたを3代目司会者に起用。 福澤はこれ以前にも、『アメリカ横断ウルトラクイズ』( - 1992年)と『』(1991年 - )において、福留に代わって司会を担当していた。 福留は同年4月に「『ズームイン!! 』をそろそろ若い人に譲りたい」として日本テレビの社長に勇退を申し出ており 、それ以降「後釜は誰か」という声は上がっていたが結局『ズムサタ』初代司会者の福澤が横滑りすることになった。 2000年、「ズバリ!! 橋本五郎」放送中に当時のから突然電話がかかり、スタジオと数分間談話した。 この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった(のにも選ばれた「 」の有名な一例である)。 、最終回を迎えた。 22年半の放送にピリオドを打ち、『ズームイン!! SUPER』にリニューアルされる。 福澤は『SUPER』の初代司会者の1人として続投した。 なお、2000年秋には『』で本番組のスペシャルが放送され、歴代の司会者である徳光・福留の両名も福澤とともにマイスタから出演した。 視聴率 [ ]• における初回視聴率は、2. ところが1979年7月にでが開局したのを機に、基幹地域以外にも民放地方局第3局・第4局が開局。 4月には当時、視聴率で民放1位だった『』を追い抜いた。 1992年4月には1日だけではあるが、NHK総合テレビ『』の視聴率を民放史上初めて上回り、1994年4月には平均視聴率でもNHK総合テレビ『』(上記『モーニングワイド』の後継番組)を上回った。 同年7月には番組最高視聴率である22. 中盤の勢いは福留時代末期から、『おはよう日本』の復調や『』の躍進により、視聴率が頭打ちとなった。 同年6月に『』のプロデューサーであったが編成部長に就任した際、最初に着手したのが早朝時間帯の大改革の断行であり、本番組・『』・『』の3番組を統合する形で、『ズームイン!! SUPER』が始まることとなる。 番組テーマ曲 [ ] サンバ調で流れるテーマ曲はの作曲による番組オリジナルで、オープニング、エンディングとも同じ曲である。 原曲は3分00秒の曲だが、番組オープニング部分が長時間のため番組では原曲を継ぎ接ぎして長くし、使用しており のように、何度でも繰り返しできるように構成されていた 、エンディングでは応用として、元日などネット局のが発生する際に、飛び降りポイントで曲が終わるかのように、かつ引き続きネットする局では続けて流されたこともあった。 なお、司会が福澤になってからは宮川が改めてアレンジしたものを使用した。 オリジナル音源は長らくCD化されなかったが、番組の終了および宮川の没後である発売の「宮川泰 テレビテーマ・ワールド」にアレンジ版も含めて収録された。 同CDには、『SUPER』と『ジパングあさ6』のテーマ曲も収録されている。 ネットしていた局 [ ] 系列はネット終了時のもの。 (1979年3月5日 - 1988年3月7日)• (1988年3月7日 - 1998年8月31日)• (1998年9月1日 - 2001年9月28日) 徳光時代にオープニングのフォーマットが変わってからは名前テロップ上部に必ず「おはようございます」の表記が入る。 「ズムサタ」でも共通だったが、『SUPER』になってからは表記を廃止し『ズムサタ』も途中からやめている。 歴代の司会者はその当時の日テレの看板が務めていたが、いずれも後にフリーに転身しており(後身の『』司会の羽鳥慎一・も)、「ズームイン!! また、司会の3人はそれぞれ『』と『』に関係している。 現在の『高校生クイズ』の司会は『』の司会のである。 また『ズームイン!! SUPER』の司会の羽鳥は『高校生クイズ』の司会を担当せずに彼の後輩であるが担当していた。 司会が休暇の場合は日テレのアナウンサーやネット局のアナウンサーが東京に派遣されての代理司会を務めた。 徳光の休養時は福留など、福留の休養時は福澤、羽鳥など、そして福澤の休養時はや、羽鳥などが司会を務めたことがある(福留時代には代理で徳光の司会が復活したこともあった)。 番組末期はほとんど札幌テレビのが東京での代理司会に定着していた。 マイスタを基点とせず、日本各地の中継先(系列局の開局時や福留時代における『高校生クイズ』の収録、マイスタが機材の更新工事などで使えない場合)から司会を行う場合もあった。 アシスタント(末期のみ) [ ]• (月 - 水)• (木・金) お天気キャスター [ ]• 和田より子(現:・フリーアナウンサー)• (1993年 - 1996年)• (1996年 - 1998年)• (1998年 - 2000年)• (2000年 - 番組終了まで) 中継キャスター・アナウンサー [ ] 中継時(コーナーの担当時)、画面右上に中継地と放送局名が常に表示されていた。 当初は中継地にあたる箇所には、中継先を問わず局舎所在地が入っていたが、後に「東京・日本テレビ」・「北海道・札幌テレビ」・「静岡・静岡第一テレビ」・「愛知・中京テレビ」・「大阪・よみうりテレビ」・「福岡・福岡放送」というように、中継地の都道府県名と放送局名へと変更された。 このような表示は、全国各地の中継を目玉とするこの番組の大きな特徴であった。 この方式は、初期の各局リレー中継でも踏襲された。 通常は中継地と放送局のエリアは一致するのだが、ごくまれに放送局のエリア外を担当することもあった。 『』に出演のキャスターについては当該項目を参照。 (STV)• (RAB)• (TVI)• (MMT)• (ABS)• (YBC)• (FCT)• 日本テレビ(NTV)• (YBS)• (TeNY、1997年12月まではTNN)• (TSB)• (SDT)• (KNB)• (KTK)• (FBC)• (CTV)• (YTV)• (NKT)• (HTV)• (KRY)• (JRT)• (RNC)• (RNB)• (RKC)• (FBS)• (KKT)• (TOS)• お天気コーナー [ ] 天気予報のコーナーは当初、徳光の歌う「」に合わせて天気予報を放送していたが、放送開始から2〜3年した頃、アメリカでは天気予報がとしてしてきている事に着眼した()と()がコーナーを一新し、以下の項目に重点を絞った天気予報コーナーを作った。 視覚的にわかりやすい巨大な温度計を使用(視聴者が一番知りたい寒暖などの情報を一瞬で伝える)し、全国各地の中継先から天気予報の概要を伝え、それをリレー形式でつなげる。 東京においてもから外に出る(天気予報をスタジオの外から送る)。 なお、番組中使用していた大型温度計は計測機能のない「温度表示板」で、実際の気温に合わせて赤いテープを手動で上下させる単純な仕組みだった。 番組中にその事を明言することは無かったが、強風で温度計が倒れてテープがずれてしまったことがあり、福留が放送中に堂々と直している様子が映されたことがあった。 従来の天気予報は、各地の気象観測所を中心とした予報であったが、気象協会から送られてくる情報に加工を施しアバウトな形で伝えることに特化した。 日本列島を極めて簡略的に表示した上で主要地のみに天気マークを配置した「きょうの天気」テロップを番組冒頭で用いたり、日本列島上の晴れや雨の場所を大雑把に色分けする形でCGで表示し、それを日中と夕方以降の2パターン用意することで予報推移の概況を伝えた。 関東ローカルの天気でも大雑把な天気予報は同じで、関東地方の場合は関東7都県の地図の上に大雑把な色分けの天気分布と同時に関東7都県の降水確率と東京の最高気温が表示される。 主なコーナー [ ] オープニング・天気リレー• 番組開始当初は天気リレーがなく、7時の時報とともに番組テーマ曲とオープニング映像の を流し、アニメーションの終了とともにマイスタ前に映像が切り替わり、総合司会が朝の挨拶及び話題を話した後、最初の提供クレジットの直前に「ズームイン!! 」の掛け声を行っていた。 なおOPには右下に日付が10秒間表示されていた。 表示字幕は変わらず使用され、司会者が「おはようございます! 」と挨拶をしたところでいれられるようになる。 番組開始から数ヵ月後に「ズームイン!! 」の掛け声の前に「全国の朝」と題した全国リレーを行っていた(ただし中継局キャスターへ呼びかけは総合司会の徳光だった)。 その後、前述したようにオープニングのスタイルを変更。 」とカメラに向かって指をさし、同時にカメラが総合司会に向けてズームされつつ最初の中継地に画面が切り替わり、最初の中継地の映像とともに番組のタイトルロゴ及びテーマ曲が流れて番組がスタートする形式となった。 各中継局は番組テーマ曲に乗せて中継地の様子、、番組オリジナルで気温を伝え、次の中継局キャスターへ呼びかけて順次中継をつなぎ、最後は東京(マイスタ前)に戻りが全国の天気を伝える。 その後は再び総合司会にカメラが切り替わり、改めて「ズームイン!! 」の掛け声を行い、最初の提供クレジットが入る。 総合司会が福留・福澤に代わってもこのスタイルを踏襲、番組の看板コーナーのひとつとなったが、福留時代の途中からは最後に総合司会へ戻さなくなり、全国の天気の最後にお天気キャスターが次のコーナー名を読み上げた後(例:「コマーシャルの後は、『N. ヘッドライン』です」)、そのまま最初の提供クレジットに入るようになった 時期不明だが前述通り福留時代末期からアナウンサーに読み上げが廃止された関係で最初の提供クレジットが全国の天気前にテロップで表示される形式に変更され、後に番組中盤にCM明けにテロップで表示される形式に変更された為、全国の天気の後そのままCM入りするようになった。 福留時代末期から福澤時代は、冒頭その日の主なニュースをヘッドライン形式で数項目伝えてからマイスタ前に映像を切り替えていた。 これは、前座番組『ジパングあさ6』からの接続がレスとなり(一部地域を除く)、マイスタジオのセットを『ジパング - 』仕様から本番組仕様に入れ替えるための時間が必要となったためで、その時間をヘッドラインニュースに充てていた。 ただし、大型事件や大災害により番組内容を大幅に変更する際は、オープニングはマイスタ内あるいは現地からの中継となり、アニメーションも自粛、BGMも流さず番組タイトルの表示のみとする。 タイトルアニメーション・CG• 1979年 - 1985年 アニメーション。 夜から朝への移り変わりをイメージしたものとなっている。 まず夜空を模した幕が開いて青空が現れ、ズームくんが日の出のように現れた後、卵、扉の順で現れ、鳩が飛び去った後朝日が昇り、その朝日が「朝」(黒色)に変化し地平線に立つ。 続いて、「ズームイン!! 」(虹色)が太陽光線を伴って左下から右上に向かって表示され、それと同時に「朝」の右側に付帯する「! 」(青色)が表示される(この時点で「朝」は地平線から切り離される)。 1985年 - 1988年 ここからアバンタイトルとなり、最初の中継先の映像を背景に「朝」の青文字がズームアップし、次に右下にズームダウン。 それと同時に右上から「ズームイン!! 」(赤色)と「朝」(紫色)の右側に「! 」(黄色)が表示され、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1988年 - 1990年 画面左下から「朝」(紫色)の文字が跳ねるように登場し、次に「ズームイン!! 」(赤色)と「! 」(黄色)が1文字ずつ右上から表示され、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1990年 - 1991年 「ズームイン!! 」(青色)の文字が1字ずつバラバラに表示され集結していき、続いて画面中央右下からズームアップして「朝」(赤色)が表示されたのちに「! 」(黄色)が表示、ロゴの色がテーマ曲のメロディに合わせ変化し、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1991年 - 1995年 画面内にのグラフィックが表示され、それらが1字ずつタイトルロゴに変化する。 最後にそれらが1つの大きなシャボン玉となり割れる。 ロゴマークとなった際に縁どりがされた時期もある。 初期はシャボン玉の色彩が薄かったが、のちに濃くされている。 1995年 - 1998年 四角形、円形、三角形、太陽、カモメ、波、蜃気楼をイメージしたグラフィックを順に写したのち、タイトルロゴ(「朝」の時計の部分がズームくんの顔となっている)が赤色(グラデーションがあり変化し続けている)で集結されるように表示、直後に「ズームイン!! 」の部分が横方向に1回転し画面外左側へに飛び出し、右側から元の位置に戻る(飛び出す際にロゴが反転するケースとしないケースの2種類あった。 またその際に「朝」が元の時計を模したものに戻る)。 最後にロゴを形成していた赤色がそのまま四散し消える。 1998年 - 2001年 虹をイメージしたグラフィックが画面左右から表示され、それらが輪を形成し右下へ回転しながら泡を表示させつつ消え、その泡がさらに左下から表示された山並みをイメージしたグラフィックと合わさる形で朝焼けとなり、太陽が表示される、その太陽が「朝」のロゴの一部になる午前7時を示すアナログ時計に分針を動かしながら変化し、さらにそれが反転して「朝」のロゴとなり、そして画面左下から「ズームイン!! 」、右上から「!」が表示(いずれもオレンジがかった赤色)、最後はロゴの赤色が中央に集結し泡状に四散して消える。 大型事件や大災害があった場合はアバンタイトルでの司会者挨拶や天気リレーも行われなく、被害地の映像に白抜きで番組タイトルのみ流れて、すぐに司会者に映像が変わり本題に入る。 なお、福留の最終出演回もが直近にあったため同様の流れとなり、番組の最後に福留の降板の挨拶と後任司会の福澤の紹介が行われた以外は全編豪雨被害関連のニュースで持ち切りだった。 NSヘッドライン 開始当初はとの区切りがあったので『』という言葉が使えず、その結果このタイトルにした。 ニュース映像を使用できない時期もあり、新聞記事を紹介していたこともある。 全国各地のローカルニュースを繋ぎあわせて報道した。 それらはマイスタでは全く読まず 、放送局名または地方名を東京で告げた直後に中継先(事件・事故現場とは限らない)から各放送局のアナウンサーが直接伝える点 が番組で最も特徴的な部分であった。 福留時代に顕著だった傾向として、項目1つあたりにかける時間が短く、矢継ぎ早に次の項目に移るということがあった。 その結果項目数も多く、短時間で情報量の非常に濃いコーナーとなっていた。 ニュース映像は当初映像素材に番組で使うテロップを付けて流していた。 末期になると前夜の『』や『』、約1時間前に放送された『』からのニュース映像を使い回して放送していたため音声・部分はカットして読みにしていた。 ズバリ!! 橋本五郎 読売新聞編集委員(当時)のが主に一般紙朝刊紙面を紹介、解説するコーナー。 福澤が司会となって登場。 橋本が2001年2月に面の理由で休業(復帰したのは次番組の為、実質降板となった)後は、日本テレビ報道局のが引き継いだ。 プロ野球いれコミ情報 コーナータイトルは(現・)から発売されていた人形型玩具の『』が由来。 コーナー中でもチーム応援用の小道具として必ず使われていた。 各局の中継キャスターが全国の局でそれぞれ応援している地元球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。 総合司会が、よみうりテレビが、中京テレビが、広島テレビがを担当し、エリア担当のリポーターであるがを、がの応援役として登場した。 回によっては福岡放送が代表として 、札幌テレビが巨人(札幌シリーズ時)の結果を伝えることもあった。 のリポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。 リポーターと共に各局専属のプロ野球解説者も参加しており、日本テレビからは、、、、読売テレビからは、、、中京テレビからは、、、、広島テレビからは、、福岡放送からはなどが出演していた。 胸にはその放送日時点のチームの順位が書かれた名札をつけており、Aクラスのチームは赤色 、Bクラスのチームは黒色と分けられていた。 各局が情報を伝える時は中継がその局に切り替わっていた。 切り替わるとその応援球団に因んだBGM が流れ、試合結果や喜びの声、ぼやき(敗者の主張)などが繰り広げられた。 (チーム名 ) ワリコミ情報! 」と声が上がることもある。 伊藤や魁が乱入し、またネット局からの応援合戦が白熱したところで画面右上に15秒からのカウンターが表示され、0になると「GAME OVER」と表示されコーナーは終了 喧騒の後は一転しておだやかな「朝の詩」が始まる(1994年まで)。 東京の総合司会が巨人を応援するので巨人の情報に偏りがちになっていた。 なお、総合司会の休養時には日テレのアナ が巨人を担当していたことが多かったほか、札幌テレビの森中アナ(滋賀県出身で、大の阪神ファン)が代理の場合、読売テレビと共に阪神ニュースを読んでいた。 阪神が低迷していたには、負け試合を伝える場合に「なんぎやなぁ」 というフレーズを言うのが恒例となり、1987年の銀賞を獲得した。 視聴者プレゼントのための「なんぎやなぁステッカー」も作られた。 また辛坊治郎・森武史の両アナウンサーは阪神の応援ソング「」を出版し、阪神のコーナー中は森が当番でかつ前日の試合で阪神が勝利した場合にBGMに「負ける気せんね」 を、阪神が負けた場合はカップリングの「ハイハイ敗」を流し、それ以外の時は「」のを流していた。 また、現在『朝生ワイド す・またん! 』で使用している「ハタハタマシーン」の原型というべきものが当コーナー内で使用されていた。 中継リポーターの伊藤と魁をはじめ、中継先から伝えることも多い。 巨人以外の球団を担当するリポーター(と解説者)が試合の開催地まで出張することもある。 対巨人戦(巨人のホームゲーム)の際に東京のマイスタジオに出張した場合、前日の試合で巨人に勝った場合は巨人担当の総合司会(と巨人担当解説者)をスタジオの隅に追いやって(または追い出して)進行した。 ただし、前日に巨人に負けた場合は逆に隅に追いやられるか追い出される。 福岡放送のホークス情報はもともと放送時間・曜日がほとんど確保されていなかった。 また、セ・リーグの情報に時間を割いた ため、パ・リーグの結果は字幕のみで終了する日が大部分になっていた。 魁は大洋時代、「 ヒゲクジラ」と称してマスクマン姿でこのコーナーに登場していた が、ヒゲクジラになる前には福留と一緒に巨人のハッピを着て応援していた時期も存在した。 コーナー最後のカウントダウン表示は『ズームイン!! サタデー』の「プロ野球熱ケツ情報」にも引き継がれていた(現在は廃止)。 この方法は他局にも影響を与えた。 その例として10月1日の放送ではこの日、一部が先行開業したの特集にちなみ、イレコミ情報の最中にが、下り始発がに到着するシーンを「ワリコミ新幹線情報」と叫んで割り込んだことがあった。 被害を受けたのは阪神の情報を途中で切られた読売テレビであったほか、その後の中京テレビでは佐藤が「は、ドラゴンズは」と便乗しながら叫んで割り込んだ。 1993年ごろから「いれコミ感動大賞! 」と称して、番組独自の月間MVPをチームごとに選出し、受賞選手にトロフィーを贈呈していた。 選考基準は記録よりも目に見えない活躍をするなど、ファンに感動を与えたかどうかが重要視された。 番宣などで芸能人らがマイスタから出演するときは、ひいきチームの応援役として登場することもあった。 福留時代途中までは、冒頭に司会者が前日の結果について触れた後にカメラ前にいるスタッフが投げたボールをキャッチしてスタートしていた。 その直後に出てくるイレコミ君のかぶっているキャップが一つ目の対戦で勝利したチーム、ないしは中継先が応援しているチームおキャップの色であった。 コーナー開始時のテーマ曲で最も長く使われたのは、テレビアニメ「」の挿入歌「戦え!バイカンフー!」である(前奏〜曲の最後の部分につなぐアレンジが施されていた)。 Jリーグおまかせ情報 プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから試合結果を伝えた。 集英社の雑誌です 当日もしくはその週に発売されるの雑誌を告知する。 あくまでもコマーシャルなので、番組のコーナーではない。 集英社の提供エリアが全国ではなく基幹地域やそれに準ずる一部地域のみだったことから、この枠は(集英社が提供していたエリア以外では)PT枠扱いとされ、該当するエリアではローカルなど別スポンサーのコマーシャルに差し替えられていた。 福留時代には冒頭に「 おはよう、今日の一冊」というタイトルCGも表示されていた。 初期の頃は井出ひろし(現:)や、などが担当していた。 (小粥よう子(現:)、、)や、フリーアナウンサーのも出演した。 末期の「」のコマーシャルでは、同誌連載作品で他系列局でアニメとなったものが(『』『』)そのまま流れていた。 当初はスタジオ内やスタジオ前での生コマーシャルであったが、後に生コマーシャルの形態を用いつつも事前収録されたものや、通常のコマーシャル形態で放送されるものも増えていた。 後番組の『ズームイン!! SUPER』でも2001年12月まで集英社は同じ時間帯のスポンサーを継続していた(全国ではなく、基幹地域やそれに準ずる一部地域のみ)。 Wickyさんのワンポイント英会話 ウィッキーさん()が街角で、通りがかった一般の人とを行うコーナー。 途中で時間がなかったり、テレビに映るのを嫌う人が多いため、通りがかりの人を追いかけながら英会話することが多かった。 『』の企画にて、がと一緒に乱入(放送分)した際は、終始ウィッキーさんの邪魔をしたまま、コーナーの時間切れで「朝の詩」に移ってしまった事もある。 朝の詩(ポエム)(1979年3月 - 1994年9月) が提供。 番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことはめずらしかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。 なおこのコーナーは後に「詩の樹」と言うタイトルに名前を変えて放送番組センター供給の番組となった。 花王自体は当時の前半30分の全国スポンサー枠の筆頭扱いとなっていたが 、花王のCMは全てこのコーナーの後に集中させていた。 テーマ音楽のは、広瀬量平()。 31分31秒(1985年4月3日 - /ズームインズーム/おもしろ発見 各局が持ち回りで担当する特集枠。 読売テレビのみ地元ローカル枠差し替えの関係上、しかコーナーを担当できなかった時期がある。 チェック 8時前後に放送していたニュースコーナー。 末期にはバンヅケと併せて放送。 北日本放送で『おはようKNBです』を放送していた頃は、ここで、ローカル枠に飛び降りていた。 情報トレイン 数ある中継の中心企画。 共通のテーマで各局から中継を行う。 企画を考えた放送局がホスト局を務め、進行を担当する。 当初は8時ジャストにスタートしていたが、時々前後した。 天気リレーとともに番組の看板コーナーとなった。 『』をネットしていた系列局は、1984年3月まで8時10分で飛び降りていた。 エンディング 天気リレーのあと、日本テレビの正面玄関前から総合司会が締めくくる。 の告知などでやってきた観客とともにその日の放送が終了する。 福澤時代の途中からは天気リレーを廃止かつ観客を原則として入れなくなり、総合司会とお天気キャスターのみで締めることが多くなった。 日テレでは、放送終了後に徳光時代はCMを挟んでマイスタ前で徳光が観覧者にインタビューをしていて、福留時代はCMを挟んで次番組の『』のスタジオとの掛け合いが放送されていたが、それ以外の局では『ルックルック』の放送がある無し関係無く自社送信で提供とエンドカードが流されていた。 福留時代の読売テレビではその日の中継先からキャスターが挨拶するローカル向けのエンディングをエンドカードとしていた。 この他のコーナー• 今朝のキーワード• なるほどエブリデイ• 見て聞いてホント! こだわりの逸品• 名物・日本の味• 衛星中継世界は今! あどべんちゃあレディ• おはよう新婚さん• 日本一• の健康一番! 花とおじさん• 日本列島・聞いたら答えて! 紳助・竜介のOSAKAあっちゃこっちゃ• 深夜の出来事 シリーズ企画 [ ]• 毎年の元旦は時間を拡大して『新春・ズームイン!! 』として放送し、全国の名産品をお年玉として視聴者へプレゼントしていた。 なお、や非マストバイ局では途中(大方は8時30分)で飛び降りていた。 フルネット局でも広島テレビが飛び降りを行う場合があったが、ネット枠の後のCM終了とともに自社の中継地点に切り替えて独自のエンディングの挨拶を行う形を取っていた。 1月2日・3日は休止し、曜日配列によって異なるものの、4日以降から年始の放送を本格開始していた。 この体制は、現在の「ZIP! 」にも引き継がれている。 毎年にはのに合わせ、富士山頂からの生中継を特集にして放送した。 これは『ズームイン!! SUPER』においても数年間は引き継がれた。 毎年には「特集」として、広島テレビとの二元中継で放送時間すべてを原爆についての特集にあてていた。 なお8時からは「報道特別番組」としてを生中継していたので、厳密には本番組としての放送時間は1時間である。 小学生チャレンジランキング大会(通称:チャレラン)• 年数回、祝日(特に)などに行われた全国各地の対抗の運動大会。 空き缶積み・背中渡り競争・靴とばし・ぞうきんがけリレー・9人10脚等の競技で順位を争い、優勝校を決定した。 その日は90分間の放送がまるまる利用され、通常のコーナーを休止して(「NSヘッドライン」と場合によっては「プロ野球イレコミ情報」だけは放送)大々的に開催された。 ネット局同士の連携が高技術の同番組ならではの企画だった。 後年、この企画は他局の企画(フジテレビ『』や、テレビ朝日『』)にも影響を与えたとされる。 投稿ビデオ大賞• 「チャレラン」に代わる企画として登場。 視聴者から面白いビデオ募集して、大賞や個人賞等を決定した。 審査委員長は(鈴木の代役としてが出演したこともある)が務め、『ジパングあさ6』放送終了後居残っていたなどが審査員として加わっていた。 この企画は『SUPER』や枠のスペシャル番組として『SUPER』が終了するまで年数回放送されていた。 全国妙なモノ図鑑• 中京テレビの企画制作で不定期に放送されていた。 街で見かける妙な道路標識・看板・建造物などをノンストップで紹介していくもので、テレビ版ののような企画だった。 一部の局の担当では事前に収録したものを放送した。 路線別の旅• 「情報トレイン」の中で特に人気が高く、後に・化されたシリーズであった。 初登場は1997年()の「鉄道唱歌東海道編」であり、その後各主要路線ごとに放送された。 各放送局のアナウンサーが受け持ちエリア別(一例として「編」ではのではなく からスタートしで日テレから静岡第一テレビ 、で中京テレビ、で読売テレビ と沿線の系列各局でリレーされた)にに乗って鉄道唱歌にちなんだ場所を巡る。 歴代スタッフ [ ]• 『テレビ夢50年』番組編・3(1971 - 1980 日本テレビ50年史編集室 編)p. 2014年11月14日閲覧。 迄に加盟していたは本番組は未ネット。 福留が本番組と『ウルトラクイズ』が重複していた期間の『ウルトラクイズ』は、歴代で相当過酷な旅の行程になっており、本番組と重複した初年度の第12回は北極圏から南極圏まで行き、13回はオセアニアからアメリカ大陸に上陸、福留が本番組と重複していた最後の年の14回はアメリカ大陸上陸からバスツアーでニューヨークまで行くという内容であり、スケールが大きくなっていた為、初期は9月初め前後からロケがスタートして中旬には収録が終わっていたが、この時期は10月まで食い込んだりしていた。 福留の著書『葬らん! 』にも同様の記述がある。 徳光が『プラス1』キャスター就任が先に決まり、その為に『ズームイン』から徳光は勇退するという流れで、その後に『ズームイン』は福留と決まった。 また、徳光は『ズームイン』勇退は自分の意志での勇退ではなかったのと、この時期からフリーに転身を考え始めたというのを後年話しており、実際に『ズームイン』勇退から1年半後の9月に日本テレビを退社しフリーとなった(『プラス1』キャスターはフリーの立場で9月まで継続した)。 ,デイリースポーツ,2017年3月19日…同日、関西ローカルで放送された『』(ゲスト:辛坊、森たけし)より、証言ゲストとしてVTR出演した徳光談。 その辛坊は後番組の『ズームイン!! SUPER』において開始から9年間新聞解説という形ではあるもののメイン格で出演していた。 TBSでは1991年の10月期改編から期首特番として『』の放送を開始し、10月の第1土曜日及び9月の第4・5土曜日に『感謝祭』の放送がある場合『ブロードキャスター』は休止となるため福留はその時期を利用して遅い夏休みを取っていた(1997年まで)。 『ズームイン』勇退後に福留はTBSで昼の帯番組である『』の司会を担当していたが、この番組を担当していた時も『ズームイン』で司会だった時と同じ形の休暇の取り方をしている。 この年の『ウルトラクイズ』に関しては東京ドーム1次予選での第1問までを福留が担当して、第2問以降からを福澤にバトンタッチしている。 発生当日の17日は冒頭から随時、日本テレビ報道フロアや被災地域の地元局・読売テレビと中継を結びながら地震の第一報を伝えたが、番組放送中の時点ではまだ神戸市内の被害状況の甚大さが明らかになっておらず、一部地震関連以外のニュースも伝えたほか、「プロ野球いれコミ情報」など一部の通常コーナーも放送した。 翌18日から20日は福留が神戸入りした19日も含めて全編地震報道となり、神戸市内など被害の大きかった各地や読売テレビ報道フロアと何度も中継を結びながら番組を進行。 これにより「NSヘッドライン」や天気予報を除く全ての通常コーナーを休止した。 福留は18・20日は通常通り東京のマイスタジオから出演したが、普段のラフな格好では無くスーツ姿で出演した。 秋田県では同日にのが開局• 1998年3月時点で福留は『ズームイン』以外にも、土曜日に『ブロードキャスター』、日曜日に『』を担当していた。 『ズムサタ』は同年放送から当時入社5年目で当時スポーツ中継を担当していた羽鳥慎一に交代した。 その後羽鳥はスポーツ実況を降板し、土曜から平日に代わっても朝の顔を続けたが日本テレビを退社した2011年3月いっぱいで降板した(その後、テレビ朝日でワイドショーの司会を務めており日本テレビ時代を含め20年以上に渡り朝の顔を務めている)。 2018年 『宮川泰 テレビテーマ・ワールド』のアルバム・ノーツ [Booklet]. COCX-40353. 日本コロムビア、2018年8月27日閲覧。 但し、ANNに加盟したのは1980年4月1日。 迄に加盟していたは未ネット。 正式には()のみ(は非加盟)• 迄に加盟していたは未ネット。 出典、1981年4月6日付。 当初中京テレビは「名古屋・中京テレビ」だったり、ネット開始直後のくまもと県民テレビは「熊本・県民テレビ」と表記されていた。 末期にはあったネット局も開始当時〜中期にかけて非ネットだった場合は隣接するネット局が担当していた。 石川県における北日本放送や愛媛における西日本放送がそれにあたる。 特集企画などで特別に裏送りで中継参加した非ネット局も同様に局名表示があった(例:宮崎・)一方、福岡放送や静岡第一テレビのように局全体の不祥事によりを一旦除名(番組供給関係ののみ除名され、報道関係のには残留)された局は中継担当も外され、福岡の場合は近隣ネット局(熊本県民テレビなど)が、静岡の場合は日本テレビが中継を担当した。 報道関連の中継はこれまで通りだがその際の右上のテロップは「福岡」「静岡」となっていた。 プロデューサーをなどが務めた。 堀は福留司会時代初期に福留が『ウルトラクイズ』海外ロケで不在の時期に代理司会を務めていたり、魁も福留が同様の理由で不在の時期に福留の代理で「イレコミ情報」の巨人を応援レポーターを務めていた。 日本テレビが中継を担当したこともあり、その時の発局スーパーは「山梨・日本テレビ」• 後に選挙に出馬• - 2001年4月は、間引き問題により除名処分を受け、日本テレビが中継を担当• 発局スーパーは「静岡・日本テレビ」。 ニュース中継に関してはSDTが担当したが、発局スーパーは「静岡」のみ• 番組開始のころは発局スーパーは「名古屋・中京テレビ」、その後は「(中継地の県名)・中京テレビ」となる。 番組初期にが毎週月曜日に出演し、きくち教児と共にの情報を全国に伝えた。 1990年4月から1991年3月まで1年間出演。 後にのアナウンサーとして『』の中継コーナー担当を歴任。 番組開始のころは発局スーパーは「大阪・よみうりテレビ」だったが、後に以外の各府県から中継の場合は「(中継地の府県名)・よみうりテレビ」と表示される。 番組開始のころは発局スーパーは「山陰・日本海テレビ」、その後は「(中継地の県名)・日本海テレビ」となる。 番組は終始ネットせず、番組中期よりにて参加。 詳しくは『』参照• 初期は番組をネットしていない徳島・愛媛地区の取材も担当。 1992年9月30日(最後の担当は1992年9月17日)まではTBS系『』の中継リポーターを務めていた。 の取材も担当。 NIB開局初日とKYT開局初日の中継リポーターとしても出演。 10月から3月まではFBSが取材を担当。 ネット移動後の1998年10月から2001年10月11日まで、フジテレビ系『』の中継リポーターを担当。 KKT退職3日前、実家の火災が原因で死亡。 訃報は番組の当日ラストで伝えられた• のちにFBSに移籍、東京でフリーアナウンサーとして活動、現在は、KTSに復帰。 が中継担当のため当初の発局スーパーは「沖縄・日本テレビ」だったが、後に「沖縄」のみとなる• www2. ctv. 2020年3月17日閲覧。 アニメーションは『』『』のを担当した木下蓮三が手がけた。 福澤時代途中からは次の中継地のみで担当キャスターの名前は省略され、挨拶もなくなった。 福澤に司会交代後は交代初回から中継キャスターが「おはようございます」というと、福澤も「おはようございます」と返していた(『ズムサタ』でのやり方を踏襲したもの。 ちなみに、『ジパング - 』側もエンディングはメインキャスターとニュース解説者がマイスタ前に出ていた。 『』の「」のコーナーでも使用されている。 ちなみに、福留の最終出演日の1998年8月31日は月曜日で、本来は「福留ラストウイーク」として、その前週からは福留が地方から生中継を行い、福留の故郷のでも中継が行われる予定だったが、この台風4号のために福留の最終出演2回は当初の予定が中止となった。 ただし経済ニュースや海外ニュース、また著名人の訃報など東京発信となるものが加わる場合があり、それらはマイスタから徳光や福留らが伝えた。 全て当日中継がある系列局のみで、その日の天気リレーやズームインズーム・朝生リポートなどの特集で中継する場所から伝えていた。 これはイレコミ情報も同様。 2県に跨るニュースの場合は別々に中継を振る場合と中心となった地域に一括する場合とあった。 ただし、重大事件・事故の場合はアナウンサーではなく報道記者が現場から中継したり、その地域のニュースがあっても中継がない場合は東京のキャスターが読む形をとった。 勝利チームのものは喜び顔、敗戦チームのものは泣き顔、連敗の場合は怒り顔、優勝の場合は胴上げの形で置かれる。 パ・リーグの優勝争いが佳境に入るころや日本シリーズ開催時には出演機会が多かった• 途中から首位のみ金色• 原則的に阪神なら「タイガース」、中日なら「ドラゴンズ」、といった具合にカタカナ名を使うことが多かった。 「GAME OVER」の表記と効果音が挿入されたのは福留時代以降。 ののしり合いになった場合は、福留がかならず「おにぎやかで恐縮でございました」というフレーズでコーナーをしめていた。 総合司会が不在で代理司会が担当の時は「イレコミ情報」のみ代理司会が不参加というパターンがあったが、(が代理司会の時が該当、当時、北海道にプロ野球チームがなかったために普段は「イレコミ情報」に参加していなかった札幌テレビアナのが代理司会の時は当人が阪神ファンのため参加していた)「GAME OVER」の告知だけ代理司会が担当というパターンがあった。 徳光時代〜福留時代初期は「NSヘッドライン」の後にCMに入らず「イレコミ情報」だった為、「イレコミ情報」の後に即CMだった。 代理司会に代わってニュースのみ担当• 右手を頭部の後ろに回して左耳をつまむという、の「キビシーッ! 」と同じポーズを取って言っていた。 2011年8月21日の『24時間テレビ』(徳光和夫がマラソンランナーを務めた)で7時過ぎの 列島リレーでは久々に森と辛坊が、24年ぶりに「なんぎやなぁ」と言った。 ユーキャン. 2015年3月13日閲覧。 同曲を歌った森と辛坊は春改編より読売テレビの朝ワイド番組『』の進行をしているが、辛坊は3月限りで番組を卒業している。 森は現在も出演中。 中でも伊藤は、魁はのエリアが比較的多かった• 読売テレビの場合は関西ローカルパートとのからみから、担当曜日でない方のリポーターが東京出張していた(やは担当でない日にマイスタ出張がよくあった)。 中京テレビの場合はがタレントのためが東京から出演がほとんどで、日本シリーズの時にはがパ・リーグ出場チームにも関わらず、担当アナのがパ・リーグ代表としてマイスタから出演という事もあった(当時のホークスはからBクラスが続いており、1997年まで暗黒時代が続いた)• 当時のパ・リーグ球団は関東・関西両圏に集中しており福岡以外の地方局は出番がなかったため。 札幌や仙台へのチーム移転は本番組が終了した後である。 西武とが優勝を争った1993年には週1回の割合で「イレコミ情報」のラストに「セクシーパ・リーグ」というコーナーがあり、福岡放送発信で古賀ゆきひとがパ・リーグの順位や状況を伝えていた。 前述の通り古賀はホークスだけではなく、パ・リーグ情報の全てを請け負っていて、日本シリーズでは当時は西武が黄金時代だったが、パ・リーグから西武が日本シリーズに出場すればパ・リーグ代表として日本シリーズ期間中「イレコミ情報」に出演している• 1993年からチーム名が「横浜ベイスターズ」に変わった際にもとの名義に戻った。 徳光時代から徳光と一緒に巨人応援レポーターでよく登場していたが、福留司会時代初期には、『ウルトラクイズ』収録で福留が『ズームイン』不在の時は巨人応援レポーターとして登場していた。 福留が司会就任初年度()に『ウルトラクイズ』収録で番組を離れる直前回の「イレコミ情報」では、福留が魁に「私がいない間頼むよ」といったやり取りをしている。 これに関しては、総合司会の代行はやといった他球団応援のレポーターが代行しているパターンが多いための処置だと思われる。 「朝の詩」が無くなってからはCM後の予告を福留が告知してCMに入っていた)「ウィッキーさん」は後半パートに移動している。 この日の放送は福留が夏休みであったため、堀をメイン司会にから生放送した• ただし、発足当初にはからがの話題を、からがの話題をそれぞれ中継で伝えていて、どちらも応援チームのシャツを着て話題を伝えている。 この時はウィッキーさんの中継を見ていた福留が「あれ、たけしさんじゃないかな」とウィッキーさんに指摘して、それでウィッキーさんも気付いてたけしに絡み始めてコーナー終了となった。 それまでは「変な人が歩いている」とウィッキーさんも言ってるだけでたけしとは気付いていなかった。 1985年9月までは花王石鹸。 花王の社名変更に伴い、同年7月からの3か月間は月のマーク+漢字の花王ロゴがアップで写されていた• コーナー制作はベテランのなどが所属しているが担当していた• 以降の時間はローカルセールスあるいはオールスポット枠• 1985年4月3日付け東奥日報・RAB、TVI、STVテレビ欄から。 同欄に「新企画31分31秒」と記載ある。 全国を結び、ひとつのテーマに関して掘り下げて特集するコーナー。 毎回、1秒前の7時31分30秒にマイスタのの時計がアップになり、1秒後の「7時31分31秒」になったと同時にコーナータイトルを読んで始まっていた。 オープニングでは徳光が、飛んできた地球儀の球をキャッチし、中継地点を指し示していた• 一般主婦による海外旅行記• 毎回が(地方収録の時もあり)の一室で新婚夫婦とトークを交わしていた。 日テレアナウンサーだったが夫人と共に出演したこともある• キャスターの定位置の横に置いてある、花瓶に飾られた花の特徴を紹介するミニコーナー。 もちろん紹介される花は日替わりである• 時事問題に関して各地の街頭で、一般の人に直接マイクを向けて意見を聞くコーナー。 生放送だった• が大阪の名所や話題のスポットを紹介。 他に「TOKYOあっちゃこっちゃ」「KYOTOあっちゃこっちゃ」もあった• 最終版ニュース(当時は『NNNきょうの出来事』)終了から当番組放送までに起きた都内の事件・事故を当時新人だった羽鳥と藤井が担当。 日テレはに新橋駅の近くに本社を移転している。 ここから• ここから 関連項目 [ ]• - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福留、福澤が出演(徳光はリポーター、福留と福澤は司会を担当)。 - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である福留、福澤、桝が司会として出演。 『ズームイン!! 』担当前の羽鳥も福澤のアシスタントとして番組に携わった。 - 福留を除く『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福澤が出演(徳光は解答者、福澤は司会者の一人として出演)。 - 素人投稿ビデオ番組で、「投稿ビデオ大賞」審査委員長の鈴木清順も審査員の一人として出演。 - 福澤、大桃、西尾を除く『ズームイン!! ZIP! を除く 』の歴代司会者である徳光、福留、羽鳥が出演(徳光、福留は出演者、羽鳥は司会を担当)。 - 福留、大桃を除く『ズームイン!! ZIP! を除く 』の歴代司会者である徳光、福澤、羽鳥、西尾が出演(徳光、福澤、羽鳥はゲストとして出演、西尾は司会を担当)。 - 2011年12月19日の放送で平日の歴代『ズームイン!! 』の歴代男性司会者が出演(徳光、福留、福澤、桝はゲストとして出演、羽鳥は司会を担当)。 - 本番組の特集を映画作品にした『』(公開)でナレーションを担当。 - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福留、西尾、羽鳥が総合司会を担当。 桝も番組に出演しているほか、『ズームイン!! 』をベースにした全国リレーなどを日曜の朝に行うのが恒例となっている。 第40回(2017年)以降は歴代男性司会者が生放送でそろって出演している。 - 番組名付け親の小林與三次の義兄で、『ズームイン!! 』放送開始当時の日テレ取締役。 徳光、福留の後ろ盾でもあった。 外部リンク [ ]• 前番組 番組名 次番組.

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ズームインサタデー

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大丸「ズームイン!!サタデー 全国うまいもの博」の見どころ

ズームインサタデー

概要 [ ] ()の本社(当時)内オープンスタジオ「(通称:マイスタ)」を拠点に、国内外からの中継を基に構成。 最新のニュースと気象、スポーツ情報から、番組の目玉である日本列島各所の中継、特集を放送した。 その一方、芸能情報は番組開始時から晩年までほとんど扱うことがなかった。 番組の企画段階での仮タイトルは『 今日、あなたは』。 その後『 ズームイン!! 全国的に朝! 』と変更されたが(1970年代初頭のの漫画が元の流行語「全国的にアサー! 」が元ネタ)、当時日本テレビ社長のに伺いを立てたところ「人の真似は良くない」とされた決裁により「全国的に」の部分だけが取れて『 ズームイン!! 』(後身『』も含め、一部の記事を除き以下『ズームイン!! 』と記す)に落ち着いた。 番組の開始を機に、当時新築された1階に「マイスタジオ」を新設した。 マイスタジオは本番組以外にも『』(5月放送開始)や『』(後に本番組の2代目司会者となるが担当)、『日本テレビハイライト』などで使用されたほか、スタジオ特性(外部からの中継回線を通常のスタジオより多く受け入れられる設計であった)を生かし、外部からの中継番組を処理する「受けサブ(リモートサブ)」としても使用された。 日本テレビでの放送時間は7:00 - 8:30()で開始以来不変だった。 ただし、一部ネット局では放送時間が異なっていた事例もあった。 番組マスコットは「ズームくん」という人工衛星を擬人化したキャラクターで、テロップや番組ノベルティグッズ等に使用され、開始当初から1985年頃までのオープニングアニメーションや「プロ野球いれコミ情報」のオープニングCG、1995年から1998年までのオープニングCGにもその姿を確認することができる。 しかし番組終了と共に姿を消し、『ズームイン!! SUPER』ではしばらくの間マスコットは使用されなかった。 2001年より、本番組をリニューアルする形で『 』がスタート。 番組の歴史 [ ] 前史 [ ]• にスタートした45分のニュース番組『』はそれまでの『』で伝えられた全国ニュースに加え、特集や地方の話題などを加えて放送するという、当番組の原型となるような内容で放送されていた。 その後、『』との枠統合、ならびにネット局との調整を経て当番組がスタートする。 後述通り、当番組には報道部が関与しないため、報道部制作のニュース枠として『NNN朝のニュース』を放送再開した。 徳光時代 [ ]• 1979年放送開始。 初代司会者は。 番組冒頭、徳光は「皆さんおはようございます。 徳光和夫、37歳、顔も背丈も標準よりちょっと下回っているようでございますが、そんな私が司会を致します『ズームイン!! 』が今からスタートいたします」と視聴者に挨拶した。 初日最初のニュースは前日に起きたのであった(後に福永と徳光が遠縁の親戚であることが放送の『』で明らかになった)。 開始当初からの企画としては、全国ニュースでは取り上げにくいローカル色の強いニュースを各局のアナウンサーが直接伝える「NSヘッドライン」、各局が地元球団を応援しながら伝える「プロ野球イレコミ情報」、街角からの中継で通りがかった一般の人と英会話を行う「さんのワンポイント英会話」、「朝の詩(ポエム)」などがあり、これらは長寿企画となった。 『ズームイン』開始前の徳光は中堅アナウンサーとして視聴者から一定の支持を得ていたものの、報道に不向きなのが災いし社内の評価は芳しいものではなかった。 徳光の起用を決めた初代総合演出のによると、「プロレスやバラエティで活躍している奴を真ん中に置いて朝の番組で使って、何を考えているんだ」と上層部から猛反対されたという。 しかし、斎藤は徳光の才能を高く買っており、「『ズームイン』の司会には渡された原稿を読むだけでなく、自分の言葉、自分の感性で喋ってもらいたい。 そう考えたら(当時の日本テレビアナウンス部の中で適任なのは)徳光しかいないじゃないか」と押し切った。 結果徳光は番組の成功と共に朝の顔としてお茶の間に定着。 アナウンサーとしても徐々に再評価され、『ズームイン』以外の番組にも多数起用されるなど、活躍の場を広げていくことになる。 前番組である『おはよう! -』からジャーナリストのがコメンテーターとして続投。 ニュースコーナーでは秋元が中心になって仕切っていた。 1980年に第17回・選奨を受賞。 1980年10月22日放送で前日の監督解任に激怒した長嶋ファンである徳光は、視聴者に対し・()の購読打ち切りを行うよう呼びかけた。 1980年、日本テレビが制作担当であったこの年の『』は、本番組のスタッフが実働部隊となり、本番組のシステムで『ゆく年くる年』を制作・放送した。 これには本番組並びにキャスターとしての徳光を全国的に売り出す狙いがあったとされ、そのために(当時アナウンサー)、(当時アナウンサー)、(当時専属キャスター)、(当時アナウンサー)といった各局の看板キャスターを集め、中心に徳光を置くといった演出も行われた。 この年は当番組と同様にマイスタからの生放送となり、各地からの中継レポートも当番組の各局キャスターが担当。 中継を呼び出すときの音も当番組の効果音が使われた。 ネット局関連 [ ] 開始当時のネット局は日本テレビ、、、、、、、、、、、、(・)、、、、、、の19局ネット。 このうち、山形放送、北日本放送、福井放送では1984年3月まで『』を放送していたため、8時10分飛び降りとなっていた。 このとき、北日本放送はローカル番組『 おはようKNBです』に内包する形をとり、番組後半はローカル編成を組んだ。 このため番組欄では両番組名が併記となったほか、ローカル部分がのちにステレオ放送化されたため、新聞等の番組欄のタイトルにはステレオ放送のマークがついた。 また山形放送では9月までも放送していたことに加え『』があったため、7時30分からの飛び乗りとなっていた。 詳細は「」および「」を参照 1979年4月から、西日本放送のにより岡山県での放送を開始。 同年(実質はのサービス放送から)、前日に開局したにて静岡県での放送を開始。 それまで日本テレビとテレビ朝日とのクロスネット局であったは前番組『』はネットしていたものの、終了後はテレビ朝日系列の『オリンピックニュース』とアニメの再放送枠に充てていた。 同年、当時日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日とのであったでのネットが開始した。 ただし、開始当初はフジテレビの『』も放送していたため、8時飛び降りとなっていた。 、この日に開局したにて長野県での放送を開始。 それ以前は長野県に日本テレビ系列局が無かった。 1981年(実質はのサービス放送から)、この日に開局したにて新潟県での放送を開始。 開局当日は徳光が新潟に赴き、生放送を行った。 同年、上記の『ゆく年くる年』の効果により、それまでフジテレビ系列の番組をネットしていたにて鹿児島県での放送を開始。 4月1日(実質はのサービス放送から)、この日に開局したにて熊本県での放送を開始。 前年の新潟の時と同様に、徳光は熊本に赴き、生放送を行った。 福留時代 [ ]• 、徳光は同年4月から開始される夕方の報道番組『』のメインキャスターに就任することになり、が最後の担当となった。 から後任にが起用され、同日はバトンタッチを兼ねて二人で進行した。 なお、福留は当時『』( - )・『』( - )の司会を務めており、『高校生クイズ』ロケ期間(7月下旬から8月上旬にかけて)は収録先から福留が中継で出演して番組が進行され、『ウルトラクイズ』ロケ期間(8月下旬、9月から10月上旬までの間の1ヶ月間程)は主に自局および系列基幹局の代理キャスターが担当していた。 徳光から『ズームイン』の司会を引き継いだことについて福留は後年、「当時の社長が日テレ系列局の役員会で『徳光さんの後任司会は誰なんですか』と系列局の社長に突っ込まれて、高木社長が日テレの局アナの中で私と徳光さんしか分からなかったのでやむなく私が抜擢された」と語っている。 なお、『ズームイン』司会就任に当たり福留は『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』はどうするのかを上層部に問いただしたが、双方続投と聞いてあ然となった。 当初は福留ではなく当時読売テレビアナウンサーで関西地区のキャスターも担当したが2代目司会者の最有力候補に挙がっていた。 福留は「最初の1年間は味噌汁の味は変えない(徳光時代の番組カラーはそのまま引き継ぐ)が、1年経ったらその後は自分の色でやる」として、実際に1年後にはスタッフを総入れ替えして報道・情報番組色を強めたという。 最初の1年間は、福留が中心となって、視聴者の朝の生活習慣を調査した。 この調査によると、トイレ・歯磨きなどほとんどの行動が3分以内であることが判明し、1回の中継時間を可能な限り3分以内とするリニューアルを実施した。 同時に、それまで持ち回り制だった中継スケジュールを廃止。 毎月全国の系列局のを集めて企画会議を行い、それを基に中継を実施した。 また「情報トレイン」に至っては会議であらかじめテーマを決め、各局が企画したテーマを持ち帰って取材を進め、中継を放送した。 1990年7月には8時台の「NSヘッドライン(2回目のニュースコーナー)」を「情報トレイン」に変更。 さらには「31分31秒」を「朝生リポート」に変更し、31分31秒に代わる企画「ズームインズーム」を登場させ、「ワンポイント英会話」の開始時間を7時20分から7時45分にする、「プロ野球いれコミ情報」の最後に時間切れの爆弾とGAME OVERの文字を表示させて「朝の詩」に移行するなどの大幅なリニューアルを行った。 また情報番組としてスピーディーな進行を志向した福留の意向により、徳光時代以来長らく続いてきたが不確実性が高くアクシデントの主要因ともなっていたマイスタ前の一般開放を取りやめた(オープニングのみ、エンディングは継続したが来訪者にインタビューするなど絡むことはなくなった)。 3月に福留は日本テレビを退社しフリーアナウンサーに転身したが、本番組の司会は続投した。 福留はこの半年後、の情報番組『』の司会に就任し、以降はTBS側の方針により、『ブロードキャスター』が休止される場合同時に本番組の放送週を休む形をとっていた。 『ウルトラクイズ』、『高校生クイズ』の司会はこの年からに交代したため、前年までのように『高校生クイズ』収録のため福留が地方から出演したり、『ウルトラクイズ』収録のため福留が番組を1ヶ月離れたりするという事はなくなった。 、番組放送開始15周年を記念して日本テレビ開局40周年記念特別番組『 ズームイン!! 』をゴールデンタイムの夜7時から4時間にわたって放送。 徳光と福留のダブル司会により朝と同じスタイルの番組を夜に展開する企画で、好評につき同年秋にも2回目(この時は夜7時からの2時間30分)の放送がなされた。 1993年からに掛けて、長寿企画である「朝の詩」や「ワンポイント英会話」のコーナーを終了させた。 ニュース量・地方中継の量と質の向上などの第2のリニューアルを進め、スピーディーな番組進行の色合いが強まった。 「朝の詩」はのコーナーであり、花王に了承を得てから終了となった。 以後、花王はから降りてPT()扱いとしてCMを流した。 重大な事件・事故が起きた際、その翌朝にはマイスタでの司会を別の者(など)に任せた上で、メインキャスターである福留自ら現場から生放送・リポートを行う手法を多用した。 1993年の発生の際には、被災したを翌朝の番組でからリポートした。 最も有名なのはの発生から2日後の、神戸から番組を生放送し、現地キャスターと被災地や被災者のリポートを行っている。 、に姉妹番組として『』を福澤朗の司会で開始した。 1998年4月1日、前半ネット部分の体制が、それまでの隔日提供から曜日毎の提供に変更された。 これは直前番組の「ジパングあさ6」や「ズームイン!! サタデー」、後番組の「ズームイン!! SUPER」でも同様。 ネット局関連 [ ] (実質的にはサービス放送開始のから)、前日に開局したにて石川県での放送を開始。 それ以前は石川県に日本テレビ系列局が無かったため、北日本放送(主に金沢市・能登地方)と福井放送(主に加賀地方)が取材を行っていた。 1991年4月1日、長崎県での放送がこの日に開局したに変更。 テレビ長崎での放送はその半年前に打ち切りになっている。 10月1日、愛媛県での伊予テレビ(現:)開局 を期にTBS系列の番組ネットの見直しが行われ、これまでTBSの平日朝7時の番組(最末期の番組は『』)を放送していた(愛媛)とが番組ネットを開始。 最大の28局ネットになる。 1994年4月1日、鹿児島県での放送がこの日に開局したに変更。 なお、それまで鹿児島県でのネット局であった鹿児島テレビは同日フジテレビが開始した『』を本番組の後継番組扱いでネット開始した。 開局当日は福留とNNNの九州地区基幹局である、の中継キャスターのが鹿児島に出向いて番組が放送された。 福澤時代 [ ]• 1998年の放送を最後に福留が勇退。 代わって放送から『ズムサタ』のメインを担当していたを3代目司会者に起用。 福澤はこれ以前にも、『アメリカ横断ウルトラクイズ』( - 1992年)と『』(1991年 - )において、福留に代わって司会を担当していた。 福留は同年4月に「『ズームイン!! 』をそろそろ若い人に譲りたい」として日本テレビの社長に勇退を申し出ており 、それ以降「後釜は誰か」という声は上がっていたが結局『ズムサタ』初代司会者の福澤が横滑りすることになった。 2000年、「ズバリ!! 橋本五郎」放送中に当時のから突然電話がかかり、スタジオと数分間談話した。 この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった(のにも選ばれた「 」の有名な一例である)。 、最終回を迎えた。 22年半の放送にピリオドを打ち、『ズームイン!! SUPER』にリニューアルされる。 福澤は『SUPER』の初代司会者の1人として続投した。 なお、2000年秋には『』で本番組のスペシャルが放送され、歴代の司会者である徳光・福留の両名も福澤とともにマイスタから出演した。 視聴率 [ ]• における初回視聴率は、2. ところが1979年7月にでが開局したのを機に、基幹地域以外にも民放地方局第3局・第4局が開局。 4月には当時、視聴率で民放1位だった『』を追い抜いた。 1992年4月には1日だけではあるが、NHK総合テレビ『』の視聴率を民放史上初めて上回り、1994年4月には平均視聴率でもNHK総合テレビ『』(上記『モーニングワイド』の後継番組)を上回った。 同年7月には番組最高視聴率である22. 中盤の勢いは福留時代末期から、『おはよう日本』の復調や『』の躍進により、視聴率が頭打ちとなった。 同年6月に『』のプロデューサーであったが編成部長に就任した際、最初に着手したのが早朝時間帯の大改革の断行であり、本番組・『』・『』の3番組を統合する形で、『ズームイン!! SUPER』が始まることとなる。 番組テーマ曲 [ ] サンバ調で流れるテーマ曲はの作曲による番組オリジナルで、オープニング、エンディングとも同じ曲である。 原曲は3分00秒の曲だが、番組オープニング部分が長時間のため番組では原曲を継ぎ接ぎして長くし、使用しており のように、何度でも繰り返しできるように構成されていた 、エンディングでは応用として、元日などネット局のが発生する際に、飛び降りポイントで曲が終わるかのように、かつ引き続きネットする局では続けて流されたこともあった。 なお、司会が福澤になってからは宮川が改めてアレンジしたものを使用した。 オリジナル音源は長らくCD化されなかったが、番組の終了および宮川の没後である発売の「宮川泰 テレビテーマ・ワールド」にアレンジ版も含めて収録された。 同CDには、『SUPER』と『ジパングあさ6』のテーマ曲も収録されている。 ネットしていた局 [ ] 系列はネット終了時のもの。 (1979年3月5日 - 1988年3月7日)• (1988年3月7日 - 1998年8月31日)• (1998年9月1日 - 2001年9月28日) 徳光時代にオープニングのフォーマットが変わってからは名前テロップ上部に必ず「おはようございます」の表記が入る。 「ズムサタ」でも共通だったが、『SUPER』になってからは表記を廃止し『ズムサタ』も途中からやめている。 歴代の司会者はその当時の日テレの看板が務めていたが、いずれも後にフリーに転身しており(後身の『』司会の羽鳥慎一・も)、「ズームイン!! また、司会の3人はそれぞれ『』と『』に関係している。 現在の『高校生クイズ』の司会は『』の司会のである。 また『ズームイン!! SUPER』の司会の羽鳥は『高校生クイズ』の司会を担当せずに彼の後輩であるが担当していた。 司会が休暇の場合は日テレのアナウンサーやネット局のアナウンサーが東京に派遣されての代理司会を務めた。 徳光の休養時は福留など、福留の休養時は福澤、羽鳥など、そして福澤の休養時はや、羽鳥などが司会を務めたことがある(福留時代には代理で徳光の司会が復活したこともあった)。 番組末期はほとんど札幌テレビのが東京での代理司会に定着していた。 マイスタを基点とせず、日本各地の中継先(系列局の開局時や福留時代における『高校生クイズ』の収録、マイスタが機材の更新工事などで使えない場合)から司会を行う場合もあった。 アシスタント(末期のみ) [ ]• (月 - 水)• (木・金) お天気キャスター [ ]• 和田より子(現:・フリーアナウンサー)• (1993年 - 1996年)• (1996年 - 1998年)• (1998年 - 2000年)• (2000年 - 番組終了まで) 中継キャスター・アナウンサー [ ] 中継時(コーナーの担当時)、画面右上に中継地と放送局名が常に表示されていた。 当初は中継地にあたる箇所には、中継先を問わず局舎所在地が入っていたが、後に「東京・日本テレビ」・「北海道・札幌テレビ」・「静岡・静岡第一テレビ」・「愛知・中京テレビ」・「大阪・よみうりテレビ」・「福岡・福岡放送」というように、中継地の都道府県名と放送局名へと変更された。 このような表示は、全国各地の中継を目玉とするこの番組の大きな特徴であった。 この方式は、初期の各局リレー中継でも踏襲された。 通常は中継地と放送局のエリアは一致するのだが、ごくまれに放送局のエリア外を担当することもあった。 『』に出演のキャスターについては当該項目を参照。 (STV)• (RAB)• (TVI)• (MMT)• (ABS)• (YBC)• (FCT)• 日本テレビ(NTV)• (YBS)• (TeNY、1997年12月まではTNN)• (TSB)• (SDT)• (KNB)• (KTK)• (FBC)• (CTV)• (YTV)• (NKT)• (HTV)• (KRY)• (JRT)• (RNC)• (RNB)• (RKC)• (FBS)• (KKT)• (TOS)• お天気コーナー [ ] 天気予報のコーナーは当初、徳光の歌う「」に合わせて天気予報を放送していたが、放送開始から2〜3年した頃、アメリカでは天気予報がとしてしてきている事に着眼した()と()がコーナーを一新し、以下の項目に重点を絞った天気予報コーナーを作った。 視覚的にわかりやすい巨大な温度計を使用(視聴者が一番知りたい寒暖などの情報を一瞬で伝える)し、全国各地の中継先から天気予報の概要を伝え、それをリレー形式でつなげる。 東京においてもから外に出る(天気予報をスタジオの外から送る)。 なお、番組中使用していた大型温度計は計測機能のない「温度表示板」で、実際の気温に合わせて赤いテープを手動で上下させる単純な仕組みだった。 番組中にその事を明言することは無かったが、強風で温度計が倒れてテープがずれてしまったことがあり、福留が放送中に堂々と直している様子が映されたことがあった。 従来の天気予報は、各地の気象観測所を中心とした予報であったが、気象協会から送られてくる情報に加工を施しアバウトな形で伝えることに特化した。 日本列島を極めて簡略的に表示した上で主要地のみに天気マークを配置した「きょうの天気」テロップを番組冒頭で用いたり、日本列島上の晴れや雨の場所を大雑把に色分けする形でCGで表示し、それを日中と夕方以降の2パターン用意することで予報推移の概況を伝えた。 関東ローカルの天気でも大雑把な天気予報は同じで、関東地方の場合は関東7都県の地図の上に大雑把な色分けの天気分布と同時に関東7都県の降水確率と東京の最高気温が表示される。 主なコーナー [ ] オープニング・天気リレー• 番組開始当初は天気リレーがなく、7時の時報とともに番組テーマ曲とオープニング映像の を流し、アニメーションの終了とともにマイスタ前に映像が切り替わり、総合司会が朝の挨拶及び話題を話した後、最初の提供クレジットの直前に「ズームイン!! 」の掛け声を行っていた。 なおOPには右下に日付が10秒間表示されていた。 表示字幕は変わらず使用され、司会者が「おはようございます! 」と挨拶をしたところでいれられるようになる。 番組開始から数ヵ月後に「ズームイン!! 」の掛け声の前に「全国の朝」と題した全国リレーを行っていた(ただし中継局キャスターへ呼びかけは総合司会の徳光だった)。 その後、前述したようにオープニングのスタイルを変更。 」とカメラに向かって指をさし、同時にカメラが総合司会に向けてズームされつつ最初の中継地に画面が切り替わり、最初の中継地の映像とともに番組のタイトルロゴ及びテーマ曲が流れて番組がスタートする形式となった。 各中継局は番組テーマ曲に乗せて中継地の様子、、番組オリジナルで気温を伝え、次の中継局キャスターへ呼びかけて順次中継をつなぎ、最後は東京(マイスタ前)に戻りが全国の天気を伝える。 その後は再び総合司会にカメラが切り替わり、改めて「ズームイン!! 」の掛け声を行い、最初の提供クレジットが入る。 総合司会が福留・福澤に代わってもこのスタイルを踏襲、番組の看板コーナーのひとつとなったが、福留時代の途中からは最後に総合司会へ戻さなくなり、全国の天気の最後にお天気キャスターが次のコーナー名を読み上げた後(例:「コマーシャルの後は、『N. ヘッドライン』です」)、そのまま最初の提供クレジットに入るようになった 時期不明だが前述通り福留時代末期からアナウンサーに読み上げが廃止された関係で最初の提供クレジットが全国の天気前にテロップで表示される形式に変更され、後に番組中盤にCM明けにテロップで表示される形式に変更された為、全国の天気の後そのままCM入りするようになった。 福留時代末期から福澤時代は、冒頭その日の主なニュースをヘッドライン形式で数項目伝えてからマイスタ前に映像を切り替えていた。 これは、前座番組『ジパングあさ6』からの接続がレスとなり(一部地域を除く)、マイスタジオのセットを『ジパング - 』仕様から本番組仕様に入れ替えるための時間が必要となったためで、その時間をヘッドラインニュースに充てていた。 ただし、大型事件や大災害により番組内容を大幅に変更する際は、オープニングはマイスタ内あるいは現地からの中継となり、アニメーションも自粛、BGMも流さず番組タイトルの表示のみとする。 タイトルアニメーション・CG• 1979年 - 1985年 アニメーション。 夜から朝への移り変わりをイメージしたものとなっている。 まず夜空を模した幕が開いて青空が現れ、ズームくんが日の出のように現れた後、卵、扉の順で現れ、鳩が飛び去った後朝日が昇り、その朝日が「朝」(黒色)に変化し地平線に立つ。 続いて、「ズームイン!! 」(虹色)が太陽光線を伴って左下から右上に向かって表示され、それと同時に「朝」の右側に付帯する「! 」(青色)が表示される(この時点で「朝」は地平線から切り離される)。 1985年 - 1988年 ここからアバンタイトルとなり、最初の中継先の映像を背景に「朝」の青文字がズームアップし、次に右下にズームダウン。 それと同時に右上から「ズームイン!! 」(赤色)と「朝」(紫色)の右側に「! 」(黄色)が表示され、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1988年 - 1990年 画面左下から「朝」(紫色)の文字が跳ねるように登場し、次に「ズームイン!! 」(赤色)と「! 」(黄色)が1文字ずつ右上から表示され、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1990年 - 1991年 「ズームイン!! 」(青色)の文字が1字ずつバラバラに表示され集結していき、続いて画面中央右下からズームアップして「朝」(赤色)が表示されたのちに「! 」(黄色)が表示、ロゴの色がテーマ曲のメロディに合わせ変化し、最後にロゴ全体がズームアップされ見切れる。 1991年 - 1995年 画面内にのグラフィックが表示され、それらが1字ずつタイトルロゴに変化する。 最後にそれらが1つの大きなシャボン玉となり割れる。 ロゴマークとなった際に縁どりがされた時期もある。 初期はシャボン玉の色彩が薄かったが、のちに濃くされている。 1995年 - 1998年 四角形、円形、三角形、太陽、カモメ、波、蜃気楼をイメージしたグラフィックを順に写したのち、タイトルロゴ(「朝」の時計の部分がズームくんの顔となっている)が赤色(グラデーションがあり変化し続けている)で集結されるように表示、直後に「ズームイン!! 」の部分が横方向に1回転し画面外左側へに飛び出し、右側から元の位置に戻る(飛び出す際にロゴが反転するケースとしないケースの2種類あった。 またその際に「朝」が元の時計を模したものに戻る)。 最後にロゴを形成していた赤色がそのまま四散し消える。 1998年 - 2001年 虹をイメージしたグラフィックが画面左右から表示され、それらが輪を形成し右下へ回転しながら泡を表示させつつ消え、その泡がさらに左下から表示された山並みをイメージしたグラフィックと合わさる形で朝焼けとなり、太陽が表示される、その太陽が「朝」のロゴの一部になる午前7時を示すアナログ時計に分針を動かしながら変化し、さらにそれが反転して「朝」のロゴとなり、そして画面左下から「ズームイン!! 」、右上から「!」が表示(いずれもオレンジがかった赤色)、最後はロゴの赤色が中央に集結し泡状に四散して消える。 大型事件や大災害があった場合はアバンタイトルでの司会者挨拶や天気リレーも行われなく、被害地の映像に白抜きで番組タイトルのみ流れて、すぐに司会者に映像が変わり本題に入る。 なお、福留の最終出演回もが直近にあったため同様の流れとなり、番組の最後に福留の降板の挨拶と後任司会の福澤の紹介が行われた以外は全編豪雨被害関連のニュースで持ち切りだった。 NSヘッドライン 開始当初はとの区切りがあったので『』という言葉が使えず、その結果このタイトルにした。 ニュース映像を使用できない時期もあり、新聞記事を紹介していたこともある。 全国各地のローカルニュースを繋ぎあわせて報道した。 それらはマイスタでは全く読まず 、放送局名または地方名を東京で告げた直後に中継先(事件・事故現場とは限らない)から各放送局のアナウンサーが直接伝える点 が番組で最も特徴的な部分であった。 福留時代に顕著だった傾向として、項目1つあたりにかける時間が短く、矢継ぎ早に次の項目に移るということがあった。 その結果項目数も多く、短時間で情報量の非常に濃いコーナーとなっていた。 ニュース映像は当初映像素材に番組で使うテロップを付けて流していた。 末期になると前夜の『』や『』、約1時間前に放送された『』からのニュース映像を使い回して放送していたため音声・部分はカットして読みにしていた。 ズバリ!! 橋本五郎 読売新聞編集委員(当時)のが主に一般紙朝刊紙面を紹介、解説するコーナー。 福澤が司会となって登場。 橋本が2001年2月に面の理由で休業(復帰したのは次番組の為、実質降板となった)後は、日本テレビ報道局のが引き継いだ。 プロ野球いれコミ情報 コーナータイトルは(現・)から発売されていた人形型玩具の『』が由来。 コーナー中でもチーム応援用の小道具として必ず使われていた。 各局の中継キャスターが全国の局でそれぞれ応援している地元球団のハッピやジャンパーを着て、試合結果などを伝えていた。 総合司会が、よみうりテレビが、中京テレビが、広島テレビがを担当し、エリア担当のリポーターであるがを、がの応援役として登場した。 回によっては福岡放送が代表として 、札幌テレビが巨人(札幌シリーズ時)の結果を伝えることもあった。 のリポーターが下関発祥の大洋(横浜)の応援役となったこともあった。 リポーターと共に各局専属のプロ野球解説者も参加しており、日本テレビからは、、、、読売テレビからは、、、中京テレビからは、、、、広島テレビからは、、福岡放送からはなどが出演していた。 胸にはその放送日時点のチームの順位が書かれた名札をつけており、Aクラスのチームは赤色 、Bクラスのチームは黒色と分けられていた。 各局が情報を伝える時は中継がその局に切り替わっていた。 切り替わるとその応援球団に因んだBGM が流れ、試合結果や喜びの声、ぼやき(敗者の主張)などが繰り広げられた。 (チーム名 ) ワリコミ情報! 」と声が上がることもある。 伊藤や魁が乱入し、またネット局からの応援合戦が白熱したところで画面右上に15秒からのカウンターが表示され、0になると「GAME OVER」と表示されコーナーは終了 喧騒の後は一転しておだやかな「朝の詩」が始まる(1994年まで)。 東京の総合司会が巨人を応援するので巨人の情報に偏りがちになっていた。 なお、総合司会の休養時には日テレのアナ が巨人を担当していたことが多かったほか、札幌テレビの森中アナ(滋賀県出身で、大の阪神ファン)が代理の場合、読売テレビと共に阪神ニュースを読んでいた。 阪神が低迷していたには、負け試合を伝える場合に「なんぎやなぁ」 というフレーズを言うのが恒例となり、1987年の銀賞を獲得した。 視聴者プレゼントのための「なんぎやなぁステッカー」も作られた。 また辛坊治郎・森武史の両アナウンサーは阪神の応援ソング「」を出版し、阪神のコーナー中は森が当番でかつ前日の試合で阪神が勝利した場合にBGMに「負ける気せんね」 を、阪神が負けた場合はカップリングの「ハイハイ敗」を流し、それ以外の時は「」のを流していた。 また、現在『朝生ワイド す・またん! 』で使用している「ハタハタマシーン」の原型というべきものが当コーナー内で使用されていた。 中継リポーターの伊藤と魁をはじめ、中継先から伝えることも多い。 巨人以外の球団を担当するリポーター(と解説者)が試合の開催地まで出張することもある。 対巨人戦(巨人のホームゲーム)の際に東京のマイスタジオに出張した場合、前日の試合で巨人に勝った場合は巨人担当の総合司会(と巨人担当解説者)をスタジオの隅に追いやって(または追い出して)進行した。 ただし、前日に巨人に負けた場合は逆に隅に追いやられるか追い出される。 福岡放送のホークス情報はもともと放送時間・曜日がほとんど確保されていなかった。 また、セ・リーグの情報に時間を割いた ため、パ・リーグの結果は字幕のみで終了する日が大部分になっていた。 魁は大洋時代、「 ヒゲクジラ」と称してマスクマン姿でこのコーナーに登場していた が、ヒゲクジラになる前には福留と一緒に巨人のハッピを着て応援していた時期も存在した。 コーナー最後のカウントダウン表示は『ズームイン!! サタデー』の「プロ野球熱ケツ情報」にも引き継がれていた(現在は廃止)。 この方法は他局にも影響を与えた。 その例として10月1日の放送ではこの日、一部が先行開業したの特集にちなみ、イレコミ情報の最中にが、下り始発がに到着するシーンを「ワリコミ新幹線情報」と叫んで割り込んだことがあった。 被害を受けたのは阪神の情報を途中で切られた読売テレビであったほか、その後の中京テレビでは佐藤が「は、ドラゴンズは」と便乗しながら叫んで割り込んだ。 1993年ごろから「いれコミ感動大賞! 」と称して、番組独自の月間MVPをチームごとに選出し、受賞選手にトロフィーを贈呈していた。 選考基準は記録よりも目に見えない活躍をするなど、ファンに感動を与えたかどうかが重要視された。 番宣などで芸能人らがマイスタから出演するときは、ひいきチームの応援役として登場することもあった。 福留時代途中までは、冒頭に司会者が前日の結果について触れた後にカメラ前にいるスタッフが投げたボールをキャッチしてスタートしていた。 その直後に出てくるイレコミ君のかぶっているキャップが一つ目の対戦で勝利したチーム、ないしは中継先が応援しているチームおキャップの色であった。 コーナー開始時のテーマ曲で最も長く使われたのは、テレビアニメ「」の挿入歌「戦え!バイカンフー!」である(前奏〜曲の最後の部分につなぐアレンジが施されていた)。 Jリーグおまかせ情報 プロ野球イレコミ情報とは異なり中継は結ばず、東京のマイスタから試合結果を伝えた。 集英社の雑誌です 当日もしくはその週に発売されるの雑誌を告知する。 あくまでもコマーシャルなので、番組のコーナーではない。 集英社の提供エリアが全国ではなく基幹地域やそれに準ずる一部地域のみだったことから、この枠は(集英社が提供していたエリア以外では)PT枠扱いとされ、該当するエリアではローカルなど別スポンサーのコマーシャルに差し替えられていた。 福留時代には冒頭に「 おはよう、今日の一冊」というタイトルCGも表示されていた。 初期の頃は井出ひろし(現:)や、などが担当していた。 (小粥よう子(現:)、、)や、フリーアナウンサーのも出演した。 末期の「」のコマーシャルでは、同誌連載作品で他系列局でアニメとなったものが(『』『』)そのまま流れていた。 当初はスタジオ内やスタジオ前での生コマーシャルであったが、後に生コマーシャルの形態を用いつつも事前収録されたものや、通常のコマーシャル形態で放送されるものも増えていた。 後番組の『ズームイン!! SUPER』でも2001年12月まで集英社は同じ時間帯のスポンサーを継続していた(全国ではなく、基幹地域やそれに準ずる一部地域のみ)。 Wickyさんのワンポイント英会話 ウィッキーさん()が街角で、通りがかった一般の人とを行うコーナー。 途中で時間がなかったり、テレビに映るのを嫌う人が多いため、通りがかりの人を追いかけながら英会話することが多かった。 『』の企画にて、がと一緒に乱入(放送分)した際は、終始ウィッキーさんの邪魔をしたまま、コーナーの時間切れで「朝の詩」に移ってしまった事もある。 朝の詩(ポエム)(1979年3月 - 1994年9月) が提供。 番組開始当時は朝の番組に固定スポンサーがつくことはめずらしかったため、ネット局開拓の際にはこのコーナーの存在が大きなセールスポイントになったという。 なおこのコーナーは後に「詩の樹」と言うタイトルに名前を変えて放送番組センター供給の番組となった。 花王自体は当時の前半30分の全国スポンサー枠の筆頭扱いとなっていたが 、花王のCMは全てこのコーナーの後に集中させていた。 テーマ音楽のは、広瀬量平()。 31分31秒(1985年4月3日 - /ズームインズーム/おもしろ発見 各局が持ち回りで担当する特集枠。 読売テレビのみ地元ローカル枠差し替えの関係上、しかコーナーを担当できなかった時期がある。 チェック 8時前後に放送していたニュースコーナー。 末期にはバンヅケと併せて放送。 北日本放送で『おはようKNBです』を放送していた頃は、ここで、ローカル枠に飛び降りていた。 情報トレイン 数ある中継の中心企画。 共通のテーマで各局から中継を行う。 企画を考えた放送局がホスト局を務め、進行を担当する。 当初は8時ジャストにスタートしていたが、時々前後した。 天気リレーとともに番組の看板コーナーとなった。 『』をネットしていた系列局は、1984年3月まで8時10分で飛び降りていた。 エンディング 天気リレーのあと、日本テレビの正面玄関前から総合司会が締めくくる。 の告知などでやってきた観客とともにその日の放送が終了する。 福澤時代の途中からは天気リレーを廃止かつ観客を原則として入れなくなり、総合司会とお天気キャスターのみで締めることが多くなった。 日テレでは、放送終了後に徳光時代はCMを挟んでマイスタ前で徳光が観覧者にインタビューをしていて、福留時代はCMを挟んで次番組の『』のスタジオとの掛け合いが放送されていたが、それ以外の局では『ルックルック』の放送がある無し関係無く自社送信で提供とエンドカードが流されていた。 福留時代の読売テレビではその日の中継先からキャスターが挨拶するローカル向けのエンディングをエンドカードとしていた。 この他のコーナー• 今朝のキーワード• なるほどエブリデイ• 見て聞いてホント! こだわりの逸品• 名物・日本の味• 衛星中継世界は今! あどべんちゃあレディ• おはよう新婚さん• 日本一• の健康一番! 花とおじさん• 日本列島・聞いたら答えて! 紳助・竜介のOSAKAあっちゃこっちゃ• 深夜の出来事 シリーズ企画 [ ]• 毎年の元旦は時間を拡大して『新春・ズームイン!! 』として放送し、全国の名産品をお年玉として視聴者へプレゼントしていた。 なお、や非マストバイ局では途中(大方は8時30分)で飛び降りていた。 フルネット局でも広島テレビが飛び降りを行う場合があったが、ネット枠の後のCM終了とともに自社の中継地点に切り替えて独自のエンディングの挨拶を行う形を取っていた。 1月2日・3日は休止し、曜日配列によって異なるものの、4日以降から年始の放送を本格開始していた。 この体制は、現在の「ZIP! 」にも引き継がれている。 毎年にはのに合わせ、富士山頂からの生中継を特集にして放送した。 これは『ズームイン!! SUPER』においても数年間は引き継がれた。 毎年には「特集」として、広島テレビとの二元中継で放送時間すべてを原爆についての特集にあてていた。 なお8時からは「報道特別番組」としてを生中継していたので、厳密には本番組としての放送時間は1時間である。 小学生チャレンジランキング大会(通称:チャレラン)• 年数回、祝日(特に)などに行われた全国各地の対抗の運動大会。 空き缶積み・背中渡り競争・靴とばし・ぞうきんがけリレー・9人10脚等の競技で順位を争い、優勝校を決定した。 その日は90分間の放送がまるまる利用され、通常のコーナーを休止して(「NSヘッドライン」と場合によっては「プロ野球イレコミ情報」だけは放送)大々的に開催された。 ネット局同士の連携が高技術の同番組ならではの企画だった。 後年、この企画は他局の企画(フジテレビ『』や、テレビ朝日『』)にも影響を与えたとされる。 投稿ビデオ大賞• 「チャレラン」に代わる企画として登場。 視聴者から面白いビデオ募集して、大賞や個人賞等を決定した。 審査委員長は(鈴木の代役としてが出演したこともある)が務め、『ジパングあさ6』放送終了後居残っていたなどが審査員として加わっていた。 この企画は『SUPER』や枠のスペシャル番組として『SUPER』が終了するまで年数回放送されていた。 全国妙なモノ図鑑• 中京テレビの企画制作で不定期に放送されていた。 街で見かける妙な道路標識・看板・建造物などをノンストップで紹介していくもので、テレビ版ののような企画だった。 一部の局の担当では事前に収録したものを放送した。 路線別の旅• 「情報トレイン」の中で特に人気が高く、後に・化されたシリーズであった。 初登場は1997年()の「鉄道唱歌東海道編」であり、その後各主要路線ごとに放送された。 各放送局のアナウンサーが受け持ちエリア別(一例として「編」ではのではなく からスタートしで日テレから静岡第一テレビ 、で中京テレビ、で読売テレビ と沿線の系列各局でリレーされた)にに乗って鉄道唱歌にちなんだ場所を巡る。 歴代スタッフ [ ]• 『テレビ夢50年』番組編・3(1971 - 1980 日本テレビ50年史編集室 編)p. 2014年11月14日閲覧。 迄に加盟していたは本番組は未ネット。 福留が本番組と『ウルトラクイズ』が重複していた期間の『ウルトラクイズ』は、歴代で相当過酷な旅の行程になっており、本番組と重複した初年度の第12回は北極圏から南極圏まで行き、13回はオセアニアからアメリカ大陸に上陸、福留が本番組と重複していた最後の年の14回はアメリカ大陸上陸からバスツアーでニューヨークまで行くという内容であり、スケールが大きくなっていた為、初期は9月初め前後からロケがスタートして中旬には収録が終わっていたが、この時期は10月まで食い込んだりしていた。 福留の著書『葬らん! 』にも同様の記述がある。 徳光が『プラス1』キャスター就任が先に決まり、その為に『ズームイン』から徳光は勇退するという流れで、その後に『ズームイン』は福留と決まった。 また、徳光は『ズームイン』勇退は自分の意志での勇退ではなかったのと、この時期からフリーに転身を考え始めたというのを後年話しており、実際に『ズームイン』勇退から1年半後の9月に日本テレビを退社しフリーとなった(『プラス1』キャスターはフリーの立場で9月まで継続した)。 ,デイリースポーツ,2017年3月19日…同日、関西ローカルで放送された『』(ゲスト:辛坊、森たけし)より、証言ゲストとしてVTR出演した徳光談。 その辛坊は後番組の『ズームイン!! SUPER』において開始から9年間新聞解説という形ではあるもののメイン格で出演していた。 TBSでは1991年の10月期改編から期首特番として『』の放送を開始し、10月の第1土曜日及び9月の第4・5土曜日に『感謝祭』の放送がある場合『ブロードキャスター』は休止となるため福留はその時期を利用して遅い夏休みを取っていた(1997年まで)。 『ズームイン』勇退後に福留はTBSで昼の帯番組である『』の司会を担当していたが、この番組を担当していた時も『ズームイン』で司会だった時と同じ形の休暇の取り方をしている。 この年の『ウルトラクイズ』に関しては東京ドーム1次予選での第1問までを福留が担当して、第2問以降からを福澤にバトンタッチしている。 発生当日の17日は冒頭から随時、日本テレビ報道フロアや被災地域の地元局・読売テレビと中継を結びながら地震の第一報を伝えたが、番組放送中の時点ではまだ神戸市内の被害状況の甚大さが明らかになっておらず、一部地震関連以外のニュースも伝えたほか、「プロ野球いれコミ情報」など一部の通常コーナーも放送した。 翌18日から20日は福留が神戸入りした19日も含めて全編地震報道となり、神戸市内など被害の大きかった各地や読売テレビ報道フロアと何度も中継を結びながら番組を進行。 これにより「NSヘッドライン」や天気予報を除く全ての通常コーナーを休止した。 福留は18・20日は通常通り東京のマイスタジオから出演したが、普段のラフな格好では無くスーツ姿で出演した。 秋田県では同日にのが開局• 1998年3月時点で福留は『ズームイン』以外にも、土曜日に『ブロードキャスター』、日曜日に『』を担当していた。 『ズムサタ』は同年放送から当時入社5年目で当時スポーツ中継を担当していた羽鳥慎一に交代した。 その後羽鳥はスポーツ実況を降板し、土曜から平日に代わっても朝の顔を続けたが日本テレビを退社した2011年3月いっぱいで降板した(その後、テレビ朝日でワイドショーの司会を務めており日本テレビ時代を含め20年以上に渡り朝の顔を務めている)。 2018年 『宮川泰 テレビテーマ・ワールド』のアルバム・ノーツ [Booklet]. COCX-40353. 日本コロムビア、2018年8月27日閲覧。 但し、ANNに加盟したのは1980年4月1日。 迄に加盟していたは未ネット。 正式には()のみ(は非加盟)• 迄に加盟していたは未ネット。 出典、1981年4月6日付。 当初中京テレビは「名古屋・中京テレビ」だったり、ネット開始直後のくまもと県民テレビは「熊本・県民テレビ」と表記されていた。 末期にはあったネット局も開始当時〜中期にかけて非ネットだった場合は隣接するネット局が担当していた。 石川県における北日本放送や愛媛における西日本放送がそれにあたる。 特集企画などで特別に裏送りで中継参加した非ネット局も同様に局名表示があった(例:宮崎・)一方、福岡放送や静岡第一テレビのように局全体の不祥事によりを一旦除名(番組供給関係ののみ除名され、報道関係のには残留)された局は中継担当も外され、福岡の場合は近隣ネット局(熊本県民テレビなど)が、静岡の場合は日本テレビが中継を担当した。 報道関連の中継はこれまで通りだがその際の右上のテロップは「福岡」「静岡」となっていた。 プロデューサーをなどが務めた。 堀は福留司会時代初期に福留が『ウルトラクイズ』海外ロケで不在の時期に代理司会を務めていたり、魁も福留が同様の理由で不在の時期に福留の代理で「イレコミ情報」の巨人を応援レポーターを務めていた。 日本テレビが中継を担当したこともあり、その時の発局スーパーは「山梨・日本テレビ」• 後に選挙に出馬• - 2001年4月は、間引き問題により除名処分を受け、日本テレビが中継を担当• 発局スーパーは「静岡・日本テレビ」。 ニュース中継に関してはSDTが担当したが、発局スーパーは「静岡」のみ• 番組開始のころは発局スーパーは「名古屋・中京テレビ」、その後は「(中継地の県名)・中京テレビ」となる。 番組初期にが毎週月曜日に出演し、きくち教児と共にの情報を全国に伝えた。 1990年4月から1991年3月まで1年間出演。 後にのアナウンサーとして『』の中継コーナー担当を歴任。 番組開始のころは発局スーパーは「大阪・よみうりテレビ」だったが、後に以外の各府県から中継の場合は「(中継地の府県名)・よみうりテレビ」と表示される。 番組開始のころは発局スーパーは「山陰・日本海テレビ」、その後は「(中継地の県名)・日本海テレビ」となる。 番組は終始ネットせず、番組中期よりにて参加。 詳しくは『』参照• 初期は番組をネットしていない徳島・愛媛地区の取材も担当。 1992年9月30日(最後の担当は1992年9月17日)まではTBS系『』の中継リポーターを務めていた。 の取材も担当。 NIB開局初日とKYT開局初日の中継リポーターとしても出演。 10月から3月まではFBSが取材を担当。 ネット移動後の1998年10月から2001年10月11日まで、フジテレビ系『』の中継リポーターを担当。 KKT退職3日前、実家の火災が原因で死亡。 訃報は番組の当日ラストで伝えられた• のちにFBSに移籍、東京でフリーアナウンサーとして活動、現在は、KTSに復帰。 が中継担当のため当初の発局スーパーは「沖縄・日本テレビ」だったが、後に「沖縄」のみとなる• www2. ctv. 2020年3月17日閲覧。 アニメーションは『』『』のを担当した木下蓮三が手がけた。 福澤時代途中からは次の中継地のみで担当キャスターの名前は省略され、挨拶もなくなった。 福澤に司会交代後は交代初回から中継キャスターが「おはようございます」というと、福澤も「おはようございます」と返していた(『ズムサタ』でのやり方を踏襲したもの。 ちなみに、『ジパング - 』側もエンディングはメインキャスターとニュース解説者がマイスタ前に出ていた。 『』の「」のコーナーでも使用されている。 ちなみに、福留の最終出演日の1998年8月31日は月曜日で、本来は「福留ラストウイーク」として、その前週からは福留が地方から生中継を行い、福留の故郷のでも中継が行われる予定だったが、この台風4号のために福留の最終出演2回は当初の予定が中止となった。 ただし経済ニュースや海外ニュース、また著名人の訃報など東京発信となるものが加わる場合があり、それらはマイスタから徳光や福留らが伝えた。 全て当日中継がある系列局のみで、その日の天気リレーやズームインズーム・朝生リポートなどの特集で中継する場所から伝えていた。 これはイレコミ情報も同様。 2県に跨るニュースの場合は別々に中継を振る場合と中心となった地域に一括する場合とあった。 ただし、重大事件・事故の場合はアナウンサーではなく報道記者が現場から中継したり、その地域のニュースがあっても中継がない場合は東京のキャスターが読む形をとった。 勝利チームのものは喜び顔、敗戦チームのものは泣き顔、連敗の場合は怒り顔、優勝の場合は胴上げの形で置かれる。 パ・リーグの優勝争いが佳境に入るころや日本シリーズ開催時には出演機会が多かった• 途中から首位のみ金色• 原則的に阪神なら「タイガース」、中日なら「ドラゴンズ」、といった具合にカタカナ名を使うことが多かった。 「GAME OVER」の表記と効果音が挿入されたのは福留時代以降。 ののしり合いになった場合は、福留がかならず「おにぎやかで恐縮でございました」というフレーズでコーナーをしめていた。 総合司会が不在で代理司会が担当の時は「イレコミ情報」のみ代理司会が不参加というパターンがあったが、(が代理司会の時が該当、当時、北海道にプロ野球チームがなかったために普段は「イレコミ情報」に参加していなかった札幌テレビアナのが代理司会の時は当人が阪神ファンのため参加していた)「GAME OVER」の告知だけ代理司会が担当というパターンがあった。 徳光時代〜福留時代初期は「NSヘッドライン」の後にCMに入らず「イレコミ情報」だった為、「イレコミ情報」の後に即CMだった。 代理司会に代わってニュースのみ担当• 右手を頭部の後ろに回して左耳をつまむという、の「キビシーッ! 」と同じポーズを取って言っていた。 2011年8月21日の『24時間テレビ』(徳光和夫がマラソンランナーを務めた)で7時過ぎの 列島リレーでは久々に森と辛坊が、24年ぶりに「なんぎやなぁ」と言った。 ユーキャン. 2015年3月13日閲覧。 同曲を歌った森と辛坊は春改編より読売テレビの朝ワイド番組『』の進行をしているが、辛坊は3月限りで番組を卒業している。 森は現在も出演中。 中でも伊藤は、魁はのエリアが比較的多かった• 読売テレビの場合は関西ローカルパートとのからみから、担当曜日でない方のリポーターが東京出張していた(やは担当でない日にマイスタ出張がよくあった)。 中京テレビの場合はがタレントのためが東京から出演がほとんどで、日本シリーズの時にはがパ・リーグ出場チームにも関わらず、担当アナのがパ・リーグ代表としてマイスタから出演という事もあった(当時のホークスはからBクラスが続いており、1997年まで暗黒時代が続いた)• 当時のパ・リーグ球団は関東・関西両圏に集中しており福岡以外の地方局は出番がなかったため。 札幌や仙台へのチーム移転は本番組が終了した後である。 西武とが優勝を争った1993年には週1回の割合で「イレコミ情報」のラストに「セクシーパ・リーグ」というコーナーがあり、福岡放送発信で古賀ゆきひとがパ・リーグの順位や状況を伝えていた。 前述の通り古賀はホークスだけではなく、パ・リーグ情報の全てを請け負っていて、日本シリーズでは当時は西武が黄金時代だったが、パ・リーグから西武が日本シリーズに出場すればパ・リーグ代表として日本シリーズ期間中「イレコミ情報」に出演している• 1993年からチーム名が「横浜ベイスターズ」に変わった際にもとの名義に戻った。 徳光時代から徳光と一緒に巨人応援レポーターでよく登場していたが、福留司会時代初期には、『ウルトラクイズ』収録で福留が『ズームイン』不在の時は巨人応援レポーターとして登場していた。 福留が司会就任初年度()に『ウルトラクイズ』収録で番組を離れる直前回の「イレコミ情報」では、福留が魁に「私がいない間頼むよ」といったやり取りをしている。 これに関しては、総合司会の代行はやといった他球団応援のレポーターが代行しているパターンが多いための処置だと思われる。 「朝の詩」が無くなってからはCM後の予告を福留が告知してCMに入っていた)「ウィッキーさん」は後半パートに移動している。 この日の放送は福留が夏休みであったため、堀をメイン司会にから生放送した• ただし、発足当初にはからがの話題を、からがの話題をそれぞれ中継で伝えていて、どちらも応援チームのシャツを着て話題を伝えている。 この時はウィッキーさんの中継を見ていた福留が「あれ、たけしさんじゃないかな」とウィッキーさんに指摘して、それでウィッキーさんも気付いてたけしに絡み始めてコーナー終了となった。 それまでは「変な人が歩いている」とウィッキーさんも言ってるだけでたけしとは気付いていなかった。 1985年9月までは花王石鹸。 花王の社名変更に伴い、同年7月からの3か月間は月のマーク+漢字の花王ロゴがアップで写されていた• コーナー制作はベテランのなどが所属しているが担当していた• 以降の時間はローカルセールスあるいはオールスポット枠• 1985年4月3日付け東奥日報・RAB、TVI、STVテレビ欄から。 同欄に「新企画31分31秒」と記載ある。 全国を結び、ひとつのテーマに関して掘り下げて特集するコーナー。 毎回、1秒前の7時31分30秒にマイスタのの時計がアップになり、1秒後の「7時31分31秒」になったと同時にコーナータイトルを読んで始まっていた。 オープニングでは徳光が、飛んできた地球儀の球をキャッチし、中継地点を指し示していた• 一般主婦による海外旅行記• 毎回が(地方収録の時もあり)の一室で新婚夫婦とトークを交わしていた。 日テレアナウンサーだったが夫人と共に出演したこともある• キャスターの定位置の横に置いてある、花瓶に飾られた花の特徴を紹介するミニコーナー。 もちろん紹介される花は日替わりである• 時事問題に関して各地の街頭で、一般の人に直接マイクを向けて意見を聞くコーナー。 生放送だった• が大阪の名所や話題のスポットを紹介。 他に「TOKYOあっちゃこっちゃ」「KYOTOあっちゃこっちゃ」もあった• 最終版ニュース(当時は『NNNきょうの出来事』)終了から当番組放送までに起きた都内の事件・事故を当時新人だった羽鳥と藤井が担当。 日テレはに新橋駅の近くに本社を移転している。 ここから• ここから 関連項目 [ ]• - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福留、福澤が出演(徳光はリポーター、福留と福澤は司会を担当)。 - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である福留、福澤、桝が司会として出演。 『ズームイン!! 』担当前の羽鳥も福澤のアシスタントとして番組に携わった。 - 福留を除く『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福澤が出演(徳光は解答者、福澤は司会者の一人として出演)。 - 素人投稿ビデオ番組で、「投稿ビデオ大賞」審査委員長の鈴木清順も審査員の一人として出演。 - 福澤、大桃、西尾を除く『ズームイン!! ZIP! を除く 』の歴代司会者である徳光、福留、羽鳥が出演(徳光、福留は出演者、羽鳥は司会を担当)。 - 福留、大桃を除く『ズームイン!! ZIP! を除く 』の歴代司会者である徳光、福澤、羽鳥、西尾が出演(徳光、福澤、羽鳥はゲストとして出演、西尾は司会を担当)。 - 2011年12月19日の放送で平日の歴代『ズームイン!! 』の歴代男性司会者が出演(徳光、福留、福澤、桝はゲストとして出演、羽鳥は司会を担当)。 - 本番組の特集を映画作品にした『』(公開)でナレーションを担当。 - 『ズームイン!! 』の歴代司会者である徳光、福留、西尾、羽鳥が総合司会を担当。 桝も番組に出演しているほか、『ズームイン!! 』をベースにした全国リレーなどを日曜の朝に行うのが恒例となっている。 第40回(2017年)以降は歴代男性司会者が生放送でそろって出演している。 - 番組名付け親の小林與三次の義兄で、『ズームイン!! 』放送開始当時の日テレ取締役。 徳光、福留の後ろ盾でもあった。 外部リンク [ ]• 前番組 番組名 次番組.

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