ボスニア ヘルツェゴビナ 旅行。 ボスニア・ヘルツェゴビナのコンセント・変換プラグ・電圧・変圧器

モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のガイドブック|クロアチア旅行専門・クロアチアツアーズ

ボスニア ヘルツェゴビナ 旅行

こんにちは!ボスニア・ヘルツェゴビナに2週間滞在した、世界半周中ののぶよ です。 世界半周については 日本人の間では旅行先としてはかなりマイナーな ボスニア・ヘルツェゴビナ。 25年前までは「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた地域で、泥沼の内戦を経験したこともあって、そのイメージが未だに強いという人もいるかもしれません。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナは、安全に旅行できる国です。 東洋と西洋が入り交じったエキゾチックな町並みや、バルカン半島の素朴な雰囲気漂う村、山深い国土を流れる清流でのアクティビティーなどが徐々に注目を浴びつつあります。 クロアチアのスプリットやドブロブニク発の日帰りツアーに参加して、ボスニア南西部の観光名所を周遊するという旅行スタイルはだんだんポピュラーになっていますが、言わせてください。 そんなの、ボスニアじゃありません。 クロアチアの延長線です。 というわけで今回の記事では、「 ボスニア・ヘルツェゴビナの観光でできる10のこと」と題して、日本人の間でまだ知られていないこの国の魅力を紹介していきます。 ボスニア・ヘルツェゴビナ観光でできること1:サラエボでオスマン帝国とオーストリア帝国を同時に感じる これまでヨーロッパほぼ全部の国を訪問してきたのぶよ。 リヒテンシュタインだけ行ったことがありません。 色々な町をこの目で見てきましたが、 「ここなら住める!」と心から感じたのがボスニア・ヘルツェゴビナの首都、 サラエボでした。 首都だけあって、活気にあふれたメインストリートには、 オーストリア=ハンガリー帝国風の重厚な建築が並ぶヨーロッパらしい雰囲気。 緑あふれる公園では毎日の生活をのんびりと楽しむボスニアの人々の姿が見られ、平和そのものな雰囲気です。 サラエボがすごいのは、同じメインストリートを歩いていると、それまで重厚な石造りの建物が並んでいたのが、不意に平屋建ての木造建築に変化すること。 このメインストリート東側に位置するのが、オスマン帝国支配時代の町並みがそのまま残った、 バシュチュルシャ地区。 本国トルコですらもう残っていないようなセビリ 水飲み場 や銀細工工房などがあり、モスクではお祈りをする地元の人達の姿が見られます。 その雰囲気は、ヨーロッパというよりも「 古き良きオスマン帝国の町」そのもの。 観光地化されてはいるものの、名物の ボスニア風コーヒーを伝統的なデコレーションのテラス席で楽しむ地元の人の姿も多く見られます。 東洋と西洋が入り混じった町の雰囲気も魅力的なサラエボですが、 町のすぐそばに自然が広がっているのもポイント。 山から流れてくるサラエボの水はとても美味しいことで有名。 サラエボ産のビール、サライェフスコ Sarajevsko を飲みながら川沿いでのんびりしていると、きっと「来てよかった」と心から思うはずです。 ボスニア・ヘルツェゴビナ観光でできること2:モスタル旧市街で有名な橋を眺める 観光客の間では、「ボスニア・ヘルツェゴビナ=モスタル」というイメージが強いのは事実。 ボスニア南西部に位置する世界遺産の旧市街を持つ モスタルは、ネレトヴァ川沿いに広がる小さいながらも美しい石作りの町が観光客に大人気の場所です。 お隣の超観光大国・クロアチアとの国境からもほど近いという地理的要因もあって、多くの旅行者が国境を越えて日帰りでやってきます。 そのため、 昼間のモスタルは阿鼻叫喚の超絶観光地となってしまい、全くおすすめしません。 モスタル本来の魅力を味わいたいなら、最低でも一泊するべきです。 日帰り観光客が去った後の夕暮れの旧市街にぽつりぽつりと灯りだすオリエンタルなランプ 流れる川の音だけが辺りを支配する早朝の町 オスマン帝国時代の雰囲気をそのまま残す、誰もいない路地 ボスニア・ヘルツェゴビナ観光でできること4:ポチテリでオスマン帝国にタイムスリップ ポチテリを訪れた旅行者は、皆口を揃えてこう言います。 「まるでタイムスリップしたようだ」と。 モスタル近郊にあるポチテリは、ネレトヴァ川を望む山の斜面に開けた石造りの村。 数百年前の オスマン帝国時代に築かれた村の風景がそのまま残る場所として、少しずつ知名度を上げています。 観光地として徐々に多くの人が訪れるようになってきてはいるものの、現在でもこの村で昔ながらの生活をする人々が暮らしているのも見逃せません。 建物や路地、丘の上の廃城塞にいたるまで、村の全てが石造りのポチテリはどこを切り取っても雰囲気抜群。 イスラム教のお祈りの時間になると、モスクから流れ出すアザーンだけが村の静寂を破ります。 21世紀のものとは思えない風景が現実に目の前に広がっていることに、きっと感動を覚えるはずです。 チェヴァピとは、バルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国でポピュラーな料理で、ひき肉を棒状に固めてグリルしたもの。 レストランはもちろん、グリル料理を専門に扱うお店も多くあるほど、ボスニアの人々に愛される存在です。 ボスニアのどこでも食べることができるチェヴァピですが、トラヴニクのHariというお店のものはとにかく有名。 実際にのぶよも食べてみましたが、 確かに感動の美味しさでした。 バルカン半島で一番美味しいチェヴァピだったことは言うまでもありません。 美味しいチェヴァピも、地方部らしい素朴な風景も楽しめるトラヴニク。 観光客にはあまり知られていない穴場の町です。 ボスニア・ヘルツェゴビナ観光でできること8:世界唯一の滝の上の町に行ける ボスニア・ヘルツェゴビナの穴場の観光地として胸を張っておすすめしたいのが、北部に位置する ヤイツェ Jajce。 大きな滝の上の丘に築かれた中世の町は、一目見たら忘れられないインパクトを与えます。 ダイナミックな絶景が売りのヤイツェですが、オスマン帝国支配以前の 中世ボスニア王国時代から続く歴史も見逃せません。 キリスト教国であったボスニア王国時代の聖堂や墓地などが残されており、イスラム教のイメージが強いボスニアという国への見方が大きく変わることでしょう。 クロアチアの国境からもほど近く、 ザグレブやプリトヴィツェ湖群国立公園方面へとバスで抜けることも可能という、隠れた交通の要所である点もポイント。 知名度は全く高くありませんが、他の人が行かないような町で自分だけの絶景を探すのも旅の醍醐味の一つなのでは。 ボスニア・ヘルツェゴビナ観光でできること9:世界遺産の橋から清流を眺める ボスニア・ヘルツェゴビナ東部のセルビア人居住地域は、「 セルプスカ共和国」としてその他の地域とは異なる行政システムが敷かれていて、まるで別の国のよう。 とは言っても越境にパスポートは必要ありません セルプスカ共和国内に位置する ヴィシェグラードは、世界遺産に指定されたオスマン帝国時代の橋がある山に囲まれた町です。 美しい流れの川に堂々と建つ石造りの橋は、歴史上幾度となく民族対立や戦乱の舞台となったボスニアという国を象徴するような存在。 破壊と再建を繰り返され、現在にその美しい姿を伝えているのです。 橋以外に目立った見どころはないヴィシェグラードですが、 ボスニア~セルビア間を移動する際に必ず経由する町でもあります。 素朴で温厚なセルプスカ共和国の人々との触れ合いも楽しみの一つ。 移動の途中にのんびりと立ち寄ってみるのもおすすめな町です。 特に、セルビア人民軍によって4年間に渡って町が包囲され、物資不足や人的被害が大きかったサラエボでは、泥沼化した ボスニア内戦の悲惨さを伝えるミュージアムが多くあります。 いずれも見学して楽しいものでは全くありませんが、つい四半世紀前に起こったおぞましい出来事を自分の目で見て学び、考えることができる貴重な場所でもあります。 現在でも民族対立の火種はくすぶり続けているボスニア。 いち旅行者である私たちも、目をそらさずにこの国の過去を知り、現在やこれからについて考えることが大切なのではないでしょうか。

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「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」 ユーゴスラヴィアは複数の全く異なる国々が集まった連合国家であったためにこのように表されていました。 しかし、このような状態をたった一カ国だけで体現してしまう、そんな国がこのボスニア・ヘルツェゴビナなのです。 (より) 赤く囲まれているのが ボスニア・ヘルツェゴビナ。 これはバルカン諸国の民族分布図なのですが、見て分かるとおり、ボスニア・ヘルツェゴビナでは黄色( セルビア人)と緑( ボスニア人[イスラム教が多い])とピンク( クロアチア人)が混在し、しかもだいたい同じくらいの面積を占めています。 このように多民族国家となっているボスニア・ヘルツェゴビナ。 当然ながらそれぞれの民族で信仰している宗教も異なってきます。 首都サライェボでは一つの町どころか、通りを挟んで向かい合ってキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の建物が建っていました。 ボスニアを自分のものにしたかったセルビアはとても怒りました。 「ボスニアをセルビアのものにすればかつての栄光、大セルビア王国を復活できたのに!」 この怒りがあの大戦争の引き金を引く事件へと繋がっていきます。 サライェボ事件です。 第一次世界大戦とは、最初はセルビア vs オーストリアだったのですね。 この両者に各国が味方し合って世界規模となったのでした。 そのサブグラウンドが現在は白い墓石で覆われていますが・・・ 第一次・第二次大戦以後はユーゴスラヴィアというくくりの中で、バルカン半島の様々な国が共存していくことになります。 しかし、最近も最近、1992年にボスニアがユーゴスラヴィアからの独立宣言を出します。 このユーゴスラヴィアの中心勢力となるのはセルビアです。 セルビアは自分たちが中心となるユーゴスラヴィアを、大きなままで維持したいのです。 逆にこのユーゴスラヴィアから分離して、自分たちの国として独立したいのがセルビア以外の国々。 ユーゴスラヴィアに残ることを望むボスニア内のセルビア人はこれに反発し、同じくボスニア内のボスニア人・クロアチア人と対立します。 死者20万、難民200万人をだす、第二次大戦以後「 最悪の紛争」が始まりました。 「最悪」というのは、この内戦で行われた 民族浄化が理由の1つに挙げられます。 民族浄化とは、他民族を排除するために行われた強制収容・大量虐殺・レイプなどで、他民族に自分たちの子どもを産ませて自分たちだけの国にしようという恐ろしいもの。 また、最初は協力しあってきたボスニア人とクロアチア人も敵対し初めたことで、状況は泥沼化していきます。 それまで一緒にコーヒーを飲む仲だったお隣さんが突如として自分を殺そうとしてくる、そんな状態だったそう。 ここは スナイパー通りという所です。 内戦中もボスニア人は生活のために家から出て、食糧などを調達する必要があります。 セルビア人はこうした人々を銃で打ち倒しました。 この通りでは、動くもの皆銃の標的にされ、それは兵士・女・子ども・老人を問いません。 スナイパー通りの端にある「 Holiday Inn」というホテル。 このホテルは内戦中も営業し、ジャーナリスト達をかくまうことで、その実態を世界に発信する場となっていました。 1995年からアメリカを中心とするNATO軍の空爆もあり、停戦調停がなされ、内戦は一応終結しました。 今でも残る傷跡 私がサライェボに着く数日前、各地で反政府デモが起こっていたそうなのですが、それとおぼしきデモ現場に遭遇しました。 まだ準備中だったからか、それほどものものしい雰囲気ではありませんでした。 ボスニアでは内戦で受けた打撃から立ち直れたわけではありません。 いまだに失業率は高く、経済状態は最悪とのこと。 希望へ ボスニアの民族対立は様々な場面に飛び火します。 当時ボスニアのサッカー協会はセルビア人、クロアチア人、ボスニア人の3人の会長が存在する異例の状態にありました。 国際サッカー連盟 FIFA は2014年ワールドカップの予選を前に、このボスニアサッカー協会に対して、「協会が1つに統一されない限り、国際大会への出場を認めない」という通達を出します。 そこで、協会統一のために白羽の矢が立てられたのが、かつて日本代表監督も務めたボスニア人の オシムさんです。 オシムは1990年のワールドカップでユーゴスラビア代表監督を務めましたが、92年にボスニア内戦が始まると、涙を流してこれに抗議し、代表監督を辞任していました。 ちなみにこの時の1990年ワールドカップでは準々決勝でPK戦にもつれ込んだ際、オシムが選手に「蹴りたいものは?」と聞いても、志願したのは2人だけ。 失敗したときの多民族からの攻撃に恐怖し、選手達の精神状態は尋常ではなかったそうです。 そんなオシムが各民族の民族主義者たちを説得し、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会を1つにすることに成功します。 ワールドカップ予選に出場できたボスニア・ヘルツェゴビナ代表は快進撃を続け、2014年ワールドカップに初出場を果たしました。 このチームには各民族の選手達がいますが、それでも協力し合い、国の歴史に大きな1歩を刻みました。 サッカーがボスニア・ヘルツェゴビナの平和へのきっかけになってくれれば良いなと思います。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボ周遊

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by 大竹 進 1914年6月28日、この地域を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻がサラエボを訪れた際、政治結社・青年ボスニア党のセルビア人ガブリロ・プリンツィプに狙撃され死亡しました。 この「サラエボの銃声」が世界各国を巻き込む第一次世界大戦のきっかけとなり、事件の現場前に架かる「ラテン橋」は、狙撃犯の名前から一時はプリンツィプ橋と呼ばれていました。 ラテン橋の前にあるこのビルがフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が狙撃された現場です。 現在はサラエボ博物館となっていて、1878年にボスニア・ヘルツェゴビナがオーストリアに併合され、人々の暮らしがどのように変わったかを紹介し、皇太子夫妻の暗殺事件も詳しく説明されています。 <基本情報> 住所:Obala Kulina bana bb, Sarajevo 5.モスタル エメラルドグリーンの川と白い石造りの家屋に赤い屋根。 その絵画のような情景が有名なボスニア・ヘルツェゴビナの古都「モスタル」。 近年旅行者に人気のクロアチアからのアクセスも良好で、スプリットやドブロブニクからの日帰りツアーも開催されています。 1500年代半ばに建設されたとされる橋「スターリ・モスト」はユーゴ紛争時に破壊され、一時は川に崩れ落ちましたが、2004年に復興工事が完了しました。 現在、スターリ・モストは東側のイスラム系地区と西側のクロアチア系地区をつなぐ物理的、心理的架け橋となり、平和の象徴として存在しています。 <基本情報> アクセス:クロアチアのドゥブロヴニクから車で約2時間半。 日帰りツアーなども催行されているので、そちらに参加するほうが手軽。 6.メジュゴリエ by 橘 凛 モスタルのバスターミナルからバスで南に30分。 「ブラガイ」には、16世紀頃のオスマン朝時代に建造されたイスラム神秘主義の修道院や城塞があり、その姿を現代にも留めています。 修道院のそばには小さな洞窟があり、8人程度の乗り合い小舟に乗って入ることが出来ます。 洞窟の中は薄暗く、夏場でもひんやりと涼しく、ブルーグリーンの水面が神秘的なムードを醸し出しています。 ボスニア・ヘルツェゴビナならここに決まり! 多民族・多宗教が混ざり合ったボスニア・ヘルツェゴビナ。 首都サラエボをほんの少し歩いただけで全く違った様相を見せる街角は、旅人には堪らない魅力ですね。 世界遺産のモスタルとメジュゴリエへはクロアチアのスプリットやドブロブニクからの日帰りツアーも開催されているので手軽に訪れることができますよ。 最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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