大嶽丸。 ラスボス「大嶽丸」の倒し方と立ち回り【仁王2】

仁王2 ボス攻略:ウィリアム、大嶽丸の倒し方

大嶽丸

歴史 岩手山やその周辺に伝わるでは、岩手山の山頂にある鬼ヶ城に棲んだ鬼が大武丸であり、岩手山にはのちに神としてが岩鷲大夫権現(岩鷲山大権現)として現れ、烏帽子岳()には田村丸の妻であるが、には2人の娘である松林姫が現れたという。 阿部幹男は、岩手山の田村丸伝説は旧や流域を中心に語られた奥浄瑠璃『田村三代記』が影響して発生した伝説ではなく、が盛岡に本拠を構えた近世にやで興隆したから新たにが創出された影響から発生した伝説ではないかとしている。 岩手山中世の縁起 中世の岩手山は・の流れを汲む栗谷川氏(厨川氏)が大司祭となって祭礼が行われていた。 『岩手山記』に掲載された「陸奥州岩手郡岩鷲山縁起」には、田村丸の鬼人退治と源家の安倍征討が語られる。 この縁起は出所不明だが、南部氏に関する事績が見えないため、内容は古態を残していると推測される。 往古から代々祭事を司っていた工藤・斎藤家の手による岩手山の縁起で、栗谷川如行の名前が見えることから以降の江戸時代初期に古記録から如行が転写したものとみられる。 「陸奥州岩手郡岩鷲山縁起」は元年()5月28日に、この地を領したが大宮司として配下を引き連れて岩鷲山に登山したと、祭礼の始まりを記したもので、要約すると「の時代にが奥州霧山嶽の高丸・大嶽丸・吹落征伐の時に作の・・を祀って三神を勧進し、国土の守護神とした」「が崇敬していた岩鷲山阿弥陀三尊を、・親子が盗み、源平の戦い()に勝って高家になった」「工藤行光はより阿弥陀・薬師・観音三像を賜って大宮司に任じられた」とある。 このように中世の岩手山信仰は「本尊阿弥陀・薬師・観音」を祭ることから宗教的には平安時代後期から中世にわたって興隆したを基調に、歴史的には田村麻呂のや源頼義・義家の安倍征伐伝承を基調に、工藤家・斉藤家の「家の語り」を加えた岩手山の縁起が創出・継承されていた。 岩手山近世の縁起 4年()、・親子は三戸からに本拠を移して地名を盛岡と改め、を居城として利直が初代藩主に就くとの経営に乗り出した。 このとき三戸から長谷寺、永福寺など多くの寺社も移転している。 南部氏はを水の神(青龍権現)として尊崇していたため「十和田の本地」 も作成された。 しかし盛岡へと移転したため十和田湖との距離が遠くなり、新たな問題として盛岡城下から仰ぎ見える岩手山や、姫神山の祭礼を管理する必要が生じ、岩手山を「領内総鎮守」として山頂に奥宮を、柳沢口・平笠口・雫石口と城下にそれぞれ新山堂を建てた。 平笠口には・大蔵院、雫石口には修験・円蔵院、正参道の柳沢口には盛岡藩惣録・自光坊、大勝寺、篠木別当・齋藤淡路守などを祭礼にあたらせた。 近世の岩手山信仰は工藤・斎藤家の語りに加えて盛岡へ居城を構えた南部氏の下で台頭した自光坊、大勝寺、大蔵院、円蔵院など修験が関与する岩手山の縁起へと変化している。 『田村三代記』や『三代田村』と異なる物語で「平城天皇の時代、坂の上刈田丸が勅命で奥州霧山嶽へ大道連勝高を討伐に向かうが敗れて、岩手郡池田の庄田村で生玉姫と契る。 苅田丸は観音の力により大道連勝高を退治する。 生玉は田村丸を生む。 田村丸は鳥海山の三郎坊から剣術を習い、長じて田村将軍利光となり、弟の千歳と共に奥州谷嶽の悪郎高光の兄弟を退治した」と語られる。 その他の地域の大武丸と異称 「大武丸」または類似する名称の鬼賊は、岩手山に限らず東北地方の各地の伝承で語られている。 鈴鹿山の鬼神「」と同名で伝えられる場合や、と混交している例もある。 また根岸英之によれば、「オオタケマル」という名称は「偉大で猛々しい男」ないし「雄峻な嶽に棲む男」と解釈可能であり、山に属性を持つ鬼神信仰が背景にあって、それが宗教者たちの布教の過程で定着の核になっていったという。 岩手県 人首丸伝説 江刺米里は、かつてはであり、さらにその前は人首村(ひとかべむら)と呼ばれていた。 この地名は大武丸の息子に由来するとされる。 地元の伝説によれば、坂上田村麻呂の征討によって大武丸は栗原で、兄の悪路王はにて敗死したが、大武丸の息子・人首丸(ひとこうべまる)は江刺まで落ち延び、大森山の岩屋を拠点としてなおも抵抗を続けた。 その人首丸も田原阿波守兼光の兵によってついに討たれ、その地に葬られたという。 衣川の善城 岩手県奥州市衣川には、「 大武麿」の拠点とされる山「善城」がある。 『衣川の古蹟』では、衣川南股柳沢向の霧山から南西に30町 3. 3km の場所にある山が「善城」であるとしている。 宮城県 鬼首村と鬼死骸村 の一帯は、かつて と呼ばれていた。 この名称は、大武丸が佐沼の山中にて討たれ、その首が飛んで落ちた地であることに由来する。 またあるいは、「鬼切部」がなまったとも言われる。 一方、大武丸の体を埋めた地は 鬼死骸村と呼ばれた。 この村は近代以降に合併を繰り返し、21世紀初頭現在ではの一部となっている。 南方町の興福寺 宮城県南方町本郷大嶽のは、大武丸の首を埋めた地と伝えられている。 人々を悩ます凶賊・大武丸の討伐に赴いた田村将軍だったが、想像以上に手ごわい敵の抵抗に遭い、苦戦を余儀なくされる。 田村将軍が大悲観音に祈ると、の鈴鹿御前に気持ちが通じた。 彼女は門を開けて将軍を招きいれ、大武丸に毒酒を持って眠らせた。 その隙に大武丸の首を取った田村将軍は、賊が蘇ることのないよう、首を埋めた地の上に観音の梵閣を建て、それが興福寺の基となったという。 この伝説の起源は『長谷寺霊験記』下 第5「田村将軍得馬勝軍建立新長谷寺事」で三迫の新長谷寺として東北の田村語りに組み込まれ 、『風土記御用書出』の「華足寺書上」に所収される「田村将軍様奥州七ヶ所観音御建立由来之事」に三迫大嶽観音として名前が挙がったことでに数えられ 、奥浄瑠璃『田村三代記』で佐沼郷の大嶽山に大嶽丸の手を埋めたと語られたことで 、江戸時代以降に史実とかけ離れた地域の伝承として定着したものである。 南方町にはそのほか、大武丸を鬼として描いた伝説もある。 かつて柳沢区角欠には「角掛桜」という樹があった。 田村麻呂に大岳山を追われた大武丸はこの地まで逃げてきたが、桜の枝に角を引っ掛けたせいでもげてしまい、戦意を失って降参したという。 また大岳山の西麓、細川との境には「まな板」という地名があった。 これは大武丸が人畜を取り喰らったときの調理場であったという。 秋田県 出羽国房住山 とにまたがるでは、鬼面と呼ばれる阿計徒丸、阿計留丸、阿計志丸の長面三兄弟が住み、眷属を指揮して良民を苦しめるも、坂上田村麻呂将軍に倒された。 将軍が房住山で鬼の慰霊法要をしていると、東の山上から日高山の麓の洞穴に逃れ生き延びた阿計徒丸が目を覚まして「身の丈1丈3尺5寸ある 大長丸(おおたけまる)と申す」と叫んだ。 福島県 半田の赤頭太郎 には、 赤頭(あかず)の太郎という大男の伝承が残っており 、古い記録にはその背景がうかがえる物がある。 桑折町北半田熊野に所在する益子神社は、大竹丸の弟である「赤頭太郎」が明神として祀られたのを始まりとしている。 益子神社から程近い桑折町北半田道上には、赤頭太郎の異名である「赤瀬太郎」を顕彰した碑がある( )。 249. 256-259. , pp. 231-233. , pp. 251-253. , pp. 260-261. , p. 234. , pp. 4-7. , p. , p. , p. 148. , p. 540. , p. 152. , pp. 80-82. , pp. 82-88. , pp. 230-231. 178. 180. , pp. 311-314. , p. 455. , p. 946.

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大嶽丸

この項で説明• との境に位置する(とその周辺の山々の総称)に住み、山を黒雲で覆い、や、火の雨()を降らせるなどのを操った。 来歴 鈴鹿峠からを側に下った場所にを主祭神とする田村神社が位置しており、由緒に「田村麻呂が 鈴鹿山の悪鬼を平定した」とある。 滋賀県には田村麻呂が 鈴鹿の鬼賊・大嶽丸を討伐するさいにの石像を安置して祈願したという北向岩屋十一面観音、田村麻呂が 鈴鹿山の鬼の首を埋めたという鬼塚が残る善勝寺、田村麻呂が自ら彫刻した等身大の御分身のを祀ったという櫟野寺などがある。 の清水寺には、田村麻呂が 鈴鹿山の鬼神を討伐したという大刀が奉納されている。 奇しくも日本三大妖怪の一角である酒呑童子を斬ったと同じく、現在はで保存されている。 とにまたがる地域の伝承では「 鈴鹿山の鬼神を討伐した後、の海賊・(もしくは鬼の大将・)を討伐しに来た」という。 作とされる能『田村』では、の時代に鈴鹿山に現れた 勢州鈴鹿の悪魔もしくは 鬼神とされ、田村麻呂を加護するによって「千の御手ごとに。 知恵の矢をはげて。 一度放せば千の矢先。 雨霰とふりかかつて。 鬼神の上に乱れ落つれば。 ことごとく矢先にかかつて鬼神は残らず討たれにけり。 」と討たれた。 後に能『田村』をベースにして、鈴鹿山の()の伝承と融合した『鈴鹿の草子(田村の草子)』が作られ、物語の中で 鈴鹿山の大だけ丸として登場する。 しかし近年では大嶽丸と悪路王、高丸などを同一視する伊能説は否定されている。 には延暦17年(798年)や大同年間、とりわけ大同2年(807年)に田村麻呂が創建したと伝える、特に観音堂が多く、同時に縁起・由緒としての悪路王、の大石丸、の大滝丸など田村麻呂による鬼神退治譚を伴っている。 しかし延暦17年と大同2年はともに創建伝承にこそ意味があり、東北地方の寺社が清水寺創建伝承を採り入れたためこのような事態が起こっている。 これらの地域伝承は清水寺系統の僧徒や(東北地方には開山の伝承も多いことから)系統の僧侶などが観音信仰や毘沙門天信仰をする過程で東北地方の()と結びついて坂上田村麻呂伝説が形成されていたこと、などが東北地方で布教活動とともに『鈴鹿の草子(田村の草子)』などを語り歩いたことが背景にある。 例えば奥州七観音のは、にあるの霊験譚が記された鎌倉時代前期の仏教説話集『長谷寺霊験記』に「三迫の新長谷寺」並びに「奥州の六箇寺」として所収されるのがルーツである。 長谷寺のたちが長谷信仰を伝えて日本各地にを建立するさい、東北地方では寺伝として田村麻呂と結びつけた伝承を創出した。 後に『鈴鹿の草子(田村の草子)』が東北地方に伝わると、これらの伝承は大嶽丸や鈴鹿御前などが登場する由緒・縁起へと変化した。 また岩手山の大武丸は、・親子がへと本拠地を移した慶長4年(1599年)以降に、南部氏の手によって創出された伝説であり、南部氏がへと入る以前の岩手山の伝説に大武丸は登場していない。 このように東北地方で坂上田村麻呂伝説が発展・展開した背景には、平安時代末期から東北地方で山岳信仰などと関連させて神の恩寵を説き遊行した宗教者の布教活動があったこと、室町時代の京都周辺で『鈴鹿の草子(田村の草子)』など鈴鹿山の大嶽丸が登場する田村語りが創出されたこと、江戸時代の東北地方に伝わると寺社などで演じられた奥浄瑠璃『田村三代記』としてされたことから地域の伝説として採り入れられた。 鈴鹿山の大嶽丸と悪路王、高丸はルーツの異なる伝説のため別人物であり、同時に東北各地の大嶽丸は鈴鹿山の大嶽丸が地域の伝承として採り入れられている事がわかる。 物語の中の大嶽丸 『鈴鹿の草子(田村の草子)』の諸本は、主に「鈴鹿系」と「田村系」の2系統に分類される。 鈴鹿系:田村丸と鈴鹿御前が戦いを経て婚姻し、共に鬼退治をする古写本の系統• 田村系:田村丸の元に鈴鹿御前が天下って婚姻し、共に鬼退治をする流布本の系統 大雑把にいうと、鈴鹿御前がを最初から所持しているのが鈴鹿系、鈴鹿御前が大嶽丸から三明の剣を奪うのが田村系という違いである。 後者の「田村系」では、大嶽丸は三明の剣を持たないためからことはなく、一度しか戦わないものの、大嶽丸の前に討伐した近江国蒲生山のが1000人がかりでも敵わないほどの鬼神として描かれる。 いずれにせよ大嶽丸の強さや日本を支配した範囲は、日本の古典文学の中でも飛び抜けてしているため、日本最強の鬼神魔王とされるのも差し支えないだろう。 『田村の草子』 鈴鹿山の大嶽丸登場以前の物語は「 4 物語の中の悪路王 4. 1 『田村の草子』」も参照 の時代、伊勢国鈴鹿山に 大嶽丸という鬼神が現れ、鈴鹿峠を往来する民を襲い、都への貢物を奪うなどした。 討伐を命じられたは、三万の討伐軍を率いて鈴鹿山へと向かう。 一方、鈴鹿山には天下った・鈴鹿御前も住んでいた。 大嶽丸は、鈴鹿御前の美貌に惚れて一夜の契りを交わしたいと心を悩ませ、美しいやなどにしては夜な夜な鈴鹿御前の館へと赴くものの、その思いは叶わなかった。 大嶽丸の居場所を掴めずにいた田村丸はに祈願すると、その夜に老人が現れて「大嶽丸を討伐するために鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられた。 田村丸は討伐軍を都へと帰して一人で鈴鹿山を進む。 すると見目麗しい女性が現れ、誘われるまま館へと入って、そのまま閨で一夜の契りを交わす。 この女性こそ鈴鹿御前で「私は鈴鹿山の鬼神を討伐する貴方を助けるために日本へと天下りました。 私が謀をして大嶽丸を討ち取らせましょう」と助力を得た。 の夫婦となった鈴鹿御前に案内されて大嶽丸の棲む鈴鹿山の鬼が城へと辿り着いたものの「大嶽丸はより贈られた三明の剣に守護されているうちは倒せない」と告げられて鈴鹿御前の館へと戻る。 すると、その夜も童子に変化した大嶽丸がやってきたので、鈴鹿御前は誘いに乗るふりをして一計を案じ「田村丸という将軍が私の命を狙っている。 守り刀として貴方の三明の剣を預からせてほしい」と返歌すると、大嶽丸からとの二振りを手に入れた。 次の夜、田村丸は鈴鹿御前の館で待ち構え、そこに現れた大嶽丸と激戦を繰り広げる。 正体を現した大嶽丸は身の丈十丈(約30m)の鬼神となり、日月の様に煌めく眼で睨みつけ、天地を響かせ、を投げつけた。 しかし田村丸を加護する千手観音とがやをすべて払い落とした。 大嶽丸が数千もの鬼に分身すると田村丸がでを放ち、一の矢が千の矢に、千の矢が万の矢に分裂して数千もの鬼の顔をすべて射た。 最後は田村麻呂が投げたに首を落とされ、大嶽丸の首は都へと運ばれて帝が叡覧したのち、田村丸は武功で賜ったで鈴鹿御前と暮らし、娘のも生まれた。 大嶽丸に続いてを討伐したある日、天竺の三面鬼に預けていたにを写した大嶽丸は、から黄泉還り、再び日本へと侵攻して陸奥国霧山禅上に難攻不落の鬼が城を建て、日本を乱し暴威を振るった。 かつて鈴鹿山の鬼が城を見ていたため、すぐに城の搦め手より侵入できた。 そこへ蝦夷が島のの元より大嶽丸が戻ってきて激戦となり、田村丸によって二度目の首を落とされた。 大嶽丸の首は天高く舞い上がり、田村丸のに喰らいついたが、何重にも重ねていたため無事であった。 兜を脱ぐと大嶽丸の首は死んでいた。 大嶽丸の首はにあるに納められ、酒呑童子の首や白面金毛九尾の狐の遺骸と共に今も納められている。 『田村三代記』 『鈴鹿の草子(田村の草子)』がに伝わって、に奥浄瑠璃『田村三代記』という壮大な物語が誕生する。 が日本を魔国にしようと天下った天の魔焰・討伐を命じられるも(三明の剣での脅迫まがいの)熱烈な告白をされて夫婦となり、二人は近江国のを討伐して、大嶽丸討伐の話へと入る。 奥州達谷が岩屋の大嶽丸は3丈2寸で2面4足、身体は鉄石のように鍛えられて剣も通じない。 5年あれば日本から人を絶やせるほどの力を持っていた。 そこで(私は強いから負けないけどと言いつつ)立烏帽子がわざと大嶽丸に捕まり、3年間かけて神通力で弱くした。 3年後、田村丸がに乗って奥州へと向かうと立烏帽子から(大嶽丸の眷属500人を捕縛済みの)達谷が岩屋に案内されて入り、そこに天竺から大嶽丸が帰ってきた。 岩屋から霧山まで追い詰められた大嶽丸にそはやの剣、顕明連、大通連、小通連を投げかけると跡形もなく消える。 麒麟が岩屋へと逃げていた大嶽丸を再び追い詰めるとそはやの剣、顕明連、大通連、小通連を投げかけて首を落とした。 鈴鹿山の大嶽丸から達谷窟の大嶽丸へと変化している。 大嶽丸は三明の剣を所有していないことなどから、ベースは「鈴鹿系」とみられる。 また、諸本によって天竺・八大龍王の配下や天竺・の配下とされる。 関連イラスト.

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【妖怪リスト】個人的に最強と思う妖怪を7体ご紹介!

大嶽丸

装備 猿飛の秘銃棍 石田正宗 鬼左近の槍 角突弓 山姥の槍 燭台切光忠・鎬藤四郎 草薙の剣 鬼神の大槌 鬼神の大槌• 妖怪図説 大嶽丸 おおたけまる は、玉藻前 たまものまえ や酒呑童子 しゅてんどうじ と並んで日本三大妖怪に数えられる強大な鬼。 伝承によれば、伊勢国と近衛国の国境にある鈴鹿山に住んでいた鬼神とされる。 強力な神通力を持ち、自在に空を飛ぶほか、山を黒雲で覆って嵐を呼び、雹や雷、火の雨などを降らせたという。 最終的には帝の命を受けた坂上田村麻呂 さかのうえのたむらまろ により討伐され、遺骸は平等院に封印された。 大嶽丸は三明剣 さんみょうけん がある限り滅びることはないとされ、さらに三明剣自体が破損してもやがて復元する力を持つことから、大嶽丸を滅ぼすことはできないという。 事前準備 浄属性攻撃が有効 ラスボス「大嶽丸」には浄属性の攻撃が有効。 もし、ミッション攻略で高レベルの浄属性武器をゲットしていたら優先的に採用しよう。 合わせて防具などの装備状況も見直すのがおすすめ。 攻略ポイント!! 藤吉郎と力を合わせよう• HP量でパターンが変化 3段階• 攻撃モーションの量が非常に多い• 各大技カウンターに慣れよう• 刺すべき通常攻撃の隙を覚えよう 藤吉郎の援護を活かそう 形態を問わず、常闇に突入するたびに藤吉郎の猿が援護してくれる。 じんわりと気力ゲージを削ってくれるので、 合わせて自分も妖怪技を当てに行くのがおすすめ。 余裕があれば、連続攻撃 最大は廻し蹴りまで 後にも攻撃を狙っていこう。 持っている剣によって攻撃パターンが変わってくるので、余裕があれば手元に注意しておこう。 第3形態は大技・通常技ともにタイミングを取りやすいので、上記2パターン時に確実にダメージを与えよう。 最大の敵は「自分自身の焦り」 第3形態まで来たら、最も気をつけるべきは 焦って無理に攻撃してしまうこと。 隙の大きな攻撃があるので、落ち着いて着実に対応していこう。 関連リンク 7章「残照篇」ミッション攻略.

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