こ せき ゆうじ 作曲。 古関裕而が朝ドラ「エール」のモデルに!代表曲は?

古関裕而 こせきゆうじ 有名な歌・楽曲

こ せき ゆうじ 作曲

滋賀県庁で見つかった古関裕而の自筆楽譜(大津市京町4丁目・県庁) NHK連続テレビ小説「エール」主人公のモデルとなった作曲家古関裕而(こせきゆうじ)(1909~89年)が54年作曲した「滋賀県民の歌」の自筆楽譜が、滋賀県庁(大津市京町4丁目)でこのほど見つかった。 古関が曲名から音符まで手書きした楽譜で、人知れず眠っていた。 26日から県庁で展示する。 古関は戦前から戦後にかけて数多くの歌謡作品を手がけたほか、「栄冠は君に輝く」や東京五輪選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」など生涯で約5千曲を作った。 「滋賀県民の歌」は、県が歌詞を県民から54年に公募し、作曲を著名な古関に依頼し、同年制定した。 県広報課職員が、県庁本館の同課内にある棚の奥から、封筒に入った楽譜13枚を6月中旬に見つけた。 うち混声4部合唱用の楽譜1枚は曲名と署名、音符の全てが手書きで、福島市古関裕而記念館が筆跡などを調べたところ古関の自筆と分かった。 主旋律をつづった楽譜1枚も曲名と署名が自筆だった。 滋賀県民の歌は「比良の峯ゆく 白い雲 緑に映える 琵琶の水」の歌詞で始まる明るく元気な曲。 制定時、古関は「なるべく歌いやすい、多くの人に歌われるような作曲にするよう努めた。 これならきっと親しまれると思う」との談話を新聞に残している。 古関裕而記念館によると、古関は全国で自治体の歌や校歌、社歌を作曲し、依頼者に自筆楽譜を贈っていたという。 滋賀関係では旧近江八幡市歌、彦根東高校歌などを作曲している。 県広報課は「見つけた時は驚いた。 県民の歌を知ってもらう機会になれば」としている。 楽譜は7月9日までの平日午前8時半~午後5時15分、県庁本館1階県民サロンで展示している。 問い合わせは同課077(528)3041。

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ひるのいこい オープニングテーマ曲 NHKラジオ

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昭和8年頃の古関夫妻と長女・雅子(写真提供:古関裕而の長男・古関正裕さん) NHK連続テレビ小説『エール』で、さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、名作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)だ。 今週月曜日には「六甲おろし」こと、「大阪タイガースの歌」が取り上げられた。 遺族にも取材して古関の評伝を書いた刑部芳則さん(日本大学准教授)によると、古関裕而はタイガースのライバル、読売巨人軍の歌も作曲していたという。 昭和8年、前年にポリドールから「忘られぬ花」(作詞・西岡水朗)を出した江口夜詩(えぐち・よし)が、コロムビアの新たな専属作曲家として加わった。 コロムビアの文芸部長和田竜雄は、江口を「仕事のうえではライバル、人間としては親友ということでやってくれ」と、作曲家たちに紹介した。 ところが、コロムビアは古関と再契約せず、解雇する方針を取ろうとした。 デビューから2年間、ヒット曲を出せない古関を捨て、他社でヒット曲を生んだ江口に期待したのである。 この噂を耳にした古賀政男(さん演じる木枯正人のモデル)は憤慨し、和田に「芸術家にはスランプはつきものである」、「それを理由に、契約を左右されたのでは、作曲家は全く立つ瀬がない」と抗議している。 また古関夫婦は、米山正の自宅を訪れ、長女雅子が生まれたばかりであり、再契約してもらえないと路頭に迷うことを説明した。 そして金子(さん演じる古山音のモデル)は、「ヒットを必ず生むから」、「必ずコロムビアに恩返しします」と懇願している。 金子の熱意が伝わり契約終了は免れたが、給料は半額に減らされた。 専属作曲家を解雇されるという危機一髪は逃れたが、会社は古関に期待しなかったようだ。 そのことは、昭和8年に古関が作曲した曲のほとんどが、地方のある特定の地域を対象とした歌であることにあらわれている。 昭和8年1月の「日本アルプス行進曲」と、五月の「青森市民歌」は、東京日日新聞社の当選歌である。 同年7月の「山形県スキー小唄」と「郷土の唄」は、前者が山形新聞社、後者が室蘭毎日新聞社の当選歌であり、いずれも新民謡ブームに乗って作られた。 同年8月の「麗しの瀬戸内海」は、翌9年3月に最初の国立公園となった場所を題材にしている。 昭和8年4月の「外務省警察歌」などは、タイトルだけ見てもヒットする気配のないことがわかる。 「船頭可愛いや」は、そのような針の筵の状況下で、4年8ヵ月をかけてようやくつかんだ大ヒットであった。 『エール』の風俗考証を務める、刑部芳則日本大学准教授 200枚しか作られなかった「六甲おろし」 古関が昭和6年に作曲した早稲田大学の応援歌「紺碧の空」は評判がよかった。 そのため、昭和6年10月に「日米野球行進曲」、昭和9年8月に「都市対抗野球行進曲」を作曲している。 そして、昭和11年2月には通称「六甲おろし」で現在も愛唱される「大阪タイガースの歌」が作られた。 中野忠晴が吹き込んだオリジナル盤は、関係者に配布する200枚しか作られなかった。 しかし、アジア・太平洋戦争後の昭和20年代からは、タイガースファンの間で歌われ、関西では知られるようになっていた。 古関夫妻の長男・古関正裕さんの著書『君はるか 古関裕而と金子の恋』集英社インターナショナル 昭和36年にチーム名が阪神タイガースに変わると、歌詞の最後のリフレインで「オウ、オウ、オウ、オウ、オーサカタイガース」のところが、「阪神タイガース」へと変更された。 古関の長男正裕によれば、昭和60年(1985年)に阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝し、さらに初制覇することになる日本シリーズでそれがよく流されたときには「父も忘れていたくらいです」という。 昭和6年11月2日、米国野球選手歓迎会の場で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)を指揮して、「日米野球行進曲」を演奏。 古関にとって、オーケストラを指揮する初の経験となった。 自伝によると、燕尾服で指揮と言われたが、仕立てても間に合わないということで叔父のものを借りたという したがって、翌61年1月のインタビューで古関が「大阪タイガースの歌はボクの曲の中でもとりわけ気に入ってるんです。 今聞いても若々しく、力強い気分になれるでしょ」というのは、リップサービスの感じがする。 古関自身が忘れていた「大阪タイガースの歌」は、半世紀の時を経て認知されるようになったのである。 一方で古関は、阪神のライバル、読売巨人軍の応援歌も作曲している。 昭和14年2月に作られた「野球の王者」である。 古関に作曲の依頼がきたのは、「紺碧の空」と「露営の歌」を作曲し、「その豪快勇壮な作曲」方法を買われたことによる。 伊藤久男(さん演じる佐藤久志のモデル)が吹き込んだ「野球の王者」は、昭和14年3月に発売された。 新聞では「王者にふさはし、巨人軍の歌、古関氏の見事な作曲」と題し、「古関氏の独創的天分が遺憾なく発揮されてゐる」と高評価している。 「野球の王者」は忘れられてしまったが、今でも歌われている「巨人軍の歌」(歌い出しから「闘魂こめて」の愛称で知られている)も古関による作曲である。 「巨人軍の歌」は、昭和38年に読売巨人軍の創設30周年を記念して作られた。

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船頭可愛いやは古関裕而が作曲の実話?

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滋賀県庁で見つかった古関裕而の自筆楽譜(大津市京町4丁目・県庁) NHK連続テレビ小説「エール」主人公のモデルとなった作曲家古関裕而(こせきゆうじ)(1909~89年)が54年作曲した「滋賀県民の歌」の自筆楽譜が、滋賀県庁(大津市京町4丁目)でこのほど見つかった。 古関が曲名から音符まで手書きした楽譜で、人知れず眠っていた。 26日から県庁で展示する。 古関は戦前から戦後にかけて数多くの歌謡作品を手がけたほか、「栄冠は君に輝く」や東京五輪選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」など生涯で約5千曲を作った。 「滋賀県民の歌」は、県が歌詞を県民から54年に公募し、作曲を著名な古関に依頼し、同年制定した。 県広報課職員が、県庁本館の同課内にある棚の奥から、封筒に入った楽譜13枚を6月中旬に見つけた。 うち混声4部合唱用の楽譜1枚は曲名と署名、音符の全てが手書きで、福島市古関裕而記念館が筆跡などを調べたところ古関の自筆と分かった。 主旋律をつづった楽譜1枚も曲名と署名が自筆だった。 滋賀県民の歌は「比良の峯ゆく 白い雲 緑に映える 琵琶の水」の歌詞で始まる明るく元気な曲。 制定時、古関は「なるべく歌いやすい、多くの人に歌われるような作曲にするよう努めた。 これならきっと親しまれると思う」との談話を新聞に残している。 古関裕而記念館によると、古関は全国で自治体の歌や校歌、社歌を作曲し、依頼者に自筆楽譜を贈っていたという。 滋賀関係では旧近江八幡市歌、彦根東高校歌などを作曲している。 県広報課は「見つけた時は驚いた。 県民の歌を知ってもらう機会になれば」としている。 楽譜は7月9日までの平日午前8時半~午後5時15分、県庁本館1階県民サロンで展示している。 問い合わせは同課077(528)3041。

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