ブルータス カエサル。 最凶悪女クレオパトラ!カエサルとのドロドロな関係がまさに昼ドラ!

Brutus No. 914 試し読みと目次

ブルータス カエサル

、の会議場で仲間のカッシウスらとともにを襲撃し殺害した。 彼はの熱心な支持者であった。 初めはカエサルを支持していたが、カエサルの独裁が強まると、共和政に反するものと考え、カエサル殺害を実行した。 しかしブルートゥスは元老院の支持を得られず、カッシウスとともにローマを逃れマケドニアに入り、前42年、フィリッピの戦いで・連合軍に敗れ、自刃する。 Episode 「ブルータスおまえもか!」の真相 ブルートゥス(ブルータス)は実はカエサルが愛人との間にもうけた実子だという説がある。 彼はその義兄カッシウスからカエサルの独裁政治に対する批判(カエサルは王になりたがっている)を吹き込まれ、また実の父であることをうすうす知っており、憎んでもいたので暗殺団に加わったのたという。 ブルートゥスの先祖は第一代のコンスルというローマ共和政の名門であったので人望があり、さらに共和主義者として名高い小カトー(前2世紀、共和政の形成期に弁論家として知られた大の孫)の甥であった。 また、カエサルも彼が若いころから眼をかけていた。 それはブルートゥスの母親セルウィリアを熱愛していたからだといわれ、二人のロマンスは万人承知のことであった。 ブルートゥスはカエサルの台頭に共和政の危機を感じ取り、反カエサルの論陣を張ったが、カエサルと元老院・ポンペイウス派の内乱が始まると、元老院・ポンペイウスと共にローマを離れギリシアに逃れた。 しかし、ポンペイウスがファルサロスの戦いで敗れた時、カエサル軍に捕らえられた。 しかし、カエサルはブルートゥスをゆるし、ブルートゥスもまたカエサルのもとで復権し、属州ガリア=キサルピナの統治を任されたりした。 さらに前44年には法務官に選出され、執政官の候補とも見なされるようになった。 しかし、共和政への思いはますます強くなっていたようで、ある人がカエサルに、ブルートゥスには気をつけるように進言したが、恩義を忘れるような人物ではない、と取り合わなかった。 しかし、ブルートゥスはやはりカエサル暗殺団に加わり、それは前44年3月15日に実行された。 そのとき、暗殺団の中にブルートゥスの姿を見て、カエサルが「ブルートゥス、おまえもか!」と言ったことから、カエサルの実の子だったと言われるようになった。 その説に立てば、ブルートゥスの動機は母を裏切った実の父に対する恨み、ということになる。 <モンタネッリ/藤村道郎訳『ローマの歴史』中公文庫 p. 227> しかしこの話は、ブルートゥスは前85年の生まれでそのとき41歳、カエサルは56歳だったから、カエサルが15歳の時の子と言うことになるので、無理がある。 どうやらブルートゥスは個人的な恨みでカエサル暗殺に加わったのではなく、やはりローマ共和政の理念に忠実であったため、カエサルの独裁をテロという手段であっても阻止しなければならないという純粋な思いが動機であったというのが正しそうだ。 <長谷川博隆『カエサル』1994 講談社学術文庫 p.

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ブルータス カエサル

年表 西暦(年齢) 紀元前100年(1歳)父は同名のカエサル、母アウレリア・コッタの子としてローマに生まれる(紀元前102年とする説も)。 紀元前84年(16歳)前86年には伯父マリウス、この年には父カエサルが立て続けに死没。 これを経てカエサル家の家長となる。 紀元前83年(17歳)貴族の娘コルネリアと結婚。 神官の高位職である神祇官(じんぎかん)を務める。 紀元前81年(19歳)義理の叔父スッラに処刑されそうになり、小アジア、アカエアへ亡命。 紀元前78年(22歳)スッラが死去し、ローマに戻れることになる。 紀元前77年(23歳)持ち前の優れた弁舌で搾取や収賄など、不正を行う政治家たちを次々に告発。 一躍脚光を浴びる。 紀元前75年(25歳)ロドス島へ渡り、弁論術などを含む修辞学の権威、アッポロニウス・モロンに師事。 弁舌をさらに磨こうとする。 紀元前73年(27歳)ローマに戻り軍団司令官になる。 紀元前69年(31歳)財務官に就任。 妻コルネリアが死没。 後にスッラの孫、ポンペイアと結婚。 紀元前65年(35歳)上級按察官(建築、祭儀などの管理を行う)に就任。 紀元前63年(37歳)最高神祇官に立候補。 選挙運動で多額の借金を抱えるも見事当選してみせる。 紀元前61年(39歳)ヒスパニア・ウルステリオル属州総督となり、軍を率いてルシタニ族、ガッラエキ族を討伐。 ローマへ服従させ大金を手に入れる。 紀元前60年(40歳)ポンペイウス、クラッススと手を結び執政官(政治の最高権力者)に。 この三人を長とする三頭政治を展開する。 紀元前58年(42歳)ガリア地区の属州総督に就任。 ガリア戦争へ踏み出す。 紀元前51年(49歳)ガリア全域を制圧し、ローマ属州にする。 紀元前49年(51歳)三頭政治の体制が崩れ、ポンペイウスが閥族派(ばつぞくは)の元老院(げんろういん)に引き込まれたことをきっかけにローマ内戦が勃発。 紀元前48年(52歳)ポンペイウス率いる元老院を打ち破る。 ポンペイウスの行方を追ってエジプトへ行き、国を追われていたクレオパトラ7世を救う。 紀元前46年(54歳)ローマにクレオパトラと、彼女との息子カエサリオンを招く。 紀元前44年(56歳)終身独裁官に就任。 権力を自分一人に集中させることで帝政ローマの礎を築く。 紀元前44年3月15日元老院議場にて、側近のブルータス率いる元老院議員たちによって暗殺される。 カエサルの勇気が垣間見える逸話 義理の叔父スッラに処刑されそうになる カエサルは19歳のころ、後に義理の叔父になる ルキウス・コルネリウス・スッラに処刑されかけています。 当時ローマは 閥族派(貴族中心)と 民衆派(市民中心)で争っており、スッラは閥族派に属していました。 カエサルの伯父のマリウスがスッラに殺されたのも、この争いによるものでした。 そしてスッラが独裁官の地位を手に入れるや否や、民衆派を徹底して排除していきます。 そう、伯父のマリウスと同じく カエサルも民衆派だったことを理由に、処刑されそうになったのです。 処刑をまぬがれても、カエサルは妻のコルネリアとの離婚を命じられます。 これを受けてローマから逃げるように小アジアの アカエアへ亡命。 コルネリアはカエサルが31歳のころに亡くなってしまいますが、カエサルは自分の命の危機に際しても離婚を拒否し、 生涯を添い遂げたのです。 女ったらしで有名なカエサルですが、若いころは一途だったんですね。 海賊に捕まっても毅然とした態度で接した 25歳でロドス島に渡り、アッポロニウス・モロンに弁論術を教わるべく支持するカエサル。 このとき彼はエーゲ海を渡る途中、 海賊に捕らえられてしまいます。 海賊たちはカエサルを解放することに対して身代金を要求しますが、なんとその値段を聞いたカエサルは 「安すぎる、もっと金額を上げろ」と海賊にいったのです。 不利な状況だということを忘れさせるような立ち振る舞い…さすがにローマの礎を築いただけあって、肝が据わっていますね。 このときカエサルは 「自分が解放されたら、お前たちをはりつけの刑にしてやるぞ」と海賊たちを脅していたのですが、この後海賊たちは本当にはりつけにされてしまうのです。 海賊たちも捕まえる相手を間違ったと後悔したことでしょう…。 クレオパトラとの出会い 紀元前49年のローマ内戦の後、カエサルに破れたポンペイウスがエジプトへ逃亡。 しかしこのとき、カエサルの権力を恐れたエジプトは、逃げて来たポンペイウスを殺してしまいます。 これを聞き付けてカエサルはエジプトへおもむくのですが、このときに世界三大美女としても有名な クレオパトラ7世と出会います。 自分の寝室に忍び込んだ彼女の行動力に惚れ込んだカエサル。 エジプトを追放され、不遇の扱いを受けていたクレオパトラを救い、その後のエジプトも治めてみせるのです。 二人の関係は以下の記事で詳細に知ることができます。 関連記事 >>>> ブルータスの裏切り 紀元前44年3月15日、カエサルは元老院議場にて暗殺されてしまいます。 このとき暗殺のリーダーを務めたのは、なんと側近であり、カエサルが息子のように可愛がっていたマルクス・ユニウス・ブルータスでした。 このときにカエサルがいったセリフがあの有名な 「ブルータス、お前もか」です。 共和制を支持していたブルータスは政治的な価値観の違いから、カエサルの暗殺を企てました。 父のように慕っていた相手をも暗殺してしまうとは…共和制への相当なこだわりを感じさせますね。 詳細は以下の記事から確認できます。 関連記事 >>>> きょうのまとめ カエサルは一体どんな人物だったのか。 その生涯から彼の人物像を辿ってきました。 まとめてみると以下のような感じでしょうか。

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『ブルータスお前もか!』なんて言ってない?!古代ローマの英雄「カエサル(シーザー)」の最期

ブルータス カエサル

、の会議場で仲間のカッシウスらとともにを襲撃し殺害した。 彼はの熱心な支持者であった。 初めはカエサルを支持していたが、カエサルの独裁が強まると、共和政に反するものと考え、カエサル殺害を実行した。 しかしブルートゥスは元老院の支持を得られず、カッシウスとともにローマを逃れマケドニアに入り、前42年、フィリッピの戦いで・連合軍に敗れ、自刃する。 Episode 「ブルータスおまえもか!」の真相 ブルートゥス(ブルータス)は実はカエサルが愛人との間にもうけた実子だという説がある。 彼はその義兄カッシウスからカエサルの独裁政治に対する批判(カエサルは王になりたがっている)を吹き込まれ、また実の父であることをうすうす知っており、憎んでもいたので暗殺団に加わったのたという。 ブルートゥスの先祖は第一代のコンスルというローマ共和政の名門であったので人望があり、さらに共和主義者として名高い小カトー(前2世紀、共和政の形成期に弁論家として知られた大の孫)の甥であった。 また、カエサルも彼が若いころから眼をかけていた。 それはブルートゥスの母親セルウィリアを熱愛していたからだといわれ、二人のロマンスは万人承知のことであった。 ブルートゥスはカエサルの台頭に共和政の危機を感じ取り、反カエサルの論陣を張ったが、カエサルと元老院・ポンペイウス派の内乱が始まると、元老院・ポンペイウスと共にローマを離れギリシアに逃れた。 しかし、ポンペイウスがファルサロスの戦いで敗れた時、カエサル軍に捕らえられた。 しかし、カエサルはブルートゥスをゆるし、ブルートゥスもまたカエサルのもとで復権し、属州ガリア=キサルピナの統治を任されたりした。 さらに前44年には法務官に選出され、執政官の候補とも見なされるようになった。 しかし、共和政への思いはますます強くなっていたようで、ある人がカエサルに、ブルートゥスには気をつけるように進言したが、恩義を忘れるような人物ではない、と取り合わなかった。 しかし、ブルートゥスはやはりカエサル暗殺団に加わり、それは前44年3月15日に実行された。 そのとき、暗殺団の中にブルートゥスの姿を見て、カエサルが「ブルートゥス、おまえもか!」と言ったことから、カエサルの実の子だったと言われるようになった。 その説に立てば、ブルートゥスの動機は母を裏切った実の父に対する恨み、ということになる。 <モンタネッリ/藤村道郎訳『ローマの歴史』中公文庫 p. 227> しかしこの話は、ブルートゥスは前85年の生まれでそのとき41歳、カエサルは56歳だったから、カエサルが15歳の時の子と言うことになるので、無理がある。 どうやらブルートゥスは個人的な恨みでカエサル暗殺に加わったのではなく、やはりローマ共和政の理念に忠実であったため、カエサルの独裁をテロという手段であっても阻止しなければならないという純粋な思いが動機であったというのが正しそうだ。 <長谷川博隆『カエサル』1994 講談社学術文庫 p.

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