君がいない日々生活毎日は僕は超えられそうにないから歌詞。 正月鬱

無欲でうつ病だったブラック企業経験者がたった一つのきっかけで毎日を全力で笑顔で過ごし事業するまでの物語

君がいない日々生活毎日は僕は超えられそうにないから歌詞

皆さま。 尾本です。 そんなわけで(どんなわけだ)、今日から仕事始めの方も多いんではないでしょうか。 僕もそのうちの一人です。 行きの電車の中でぽちぽちとをタップしているのですが、もう本当仕事したくなくて泣きたいです。 帰りたいです。 前のブログで散々熱くウォークを語り、 ウォークやってない人は人の道から外れた鬼畜生だ!位の事を言っておきながら、 サクッと飽きました。 やっぱ僕には攻略は無理でした。 でもこの状態から僕にもう一度ウォークをやろう、と振り向かせる事が出来たら大したもんだよ (何様だお前)。 気付けばちゃんとやっているソシャゲは1つだけとなってしまいました。 令和元年を迎えた5月1日。 何か新しい事を始めよう! と思い立つも、 "面倒くさい事はしたくないなぁ~"とクソ思考な僕が考え出した結果が にゃんこを始める という何とも切ない事象。 もういい年 (37歳)なんだからもっと色々あるだろ。 同級生なんかこの前一部上場してたぞ。 しかも、DLしてつまんなくてすぐにアンインストール。 だが俺の心の奥底から声が聞こえる (薬漬けの人かな?) このままでいいのか・・・?いつまで嫌な事から逃げているんだ・・・?いつになったら前に進むんだ・・? さぁ立ち上がれ!今こそ燃え上がるんだ!!今までの弱い自分とはサヨナラさ! 喰らいやがれ! 必殺!!! ブレイクマイウォーーーーーール!!!! (何の話だよ) 的な感じ(?)で再インストールしてちゃんと毎日ログインしてしっかり半年以上続けた結果、 どっぷりにゃんこに浸かりました。 もうすんごい面白いです。 現段階でランクは7200ちょい。 これが半年位続けた結果としてしょぼいのかどうかもわかりませんが、ていうかランクなんかそんなに関係ないし、他のプレイヤーとの交流も、他のプレイヤーがどんなものなのかもゲーム内では全然わからないのもいいんですよね。 競争心とかあまり必要ないので。 一人でコツコツコツコツ。 ただにゃんこの攻略情報やらガチャ結果やらを毎日BUZZ THE BEARSの大ちゃんと鬼のようにLINEしています。 そこらへんのルなんかじゃ勝てないレベルでやり取り、意思疎通しています。 というかにゃんこの人気って凄いんですね。 先月横浜で行われてたにゃんこのイベントに行ったんですが、初日に適当に行って入場規制で入れず。 ムカついて次の日の朝のOPEN時間から行くも既に入場規制。 しかも並ぶ事も出来ず再開のめども立たないのでお引き取り下さい、みたいな。 なんだそりゃ、と。 子供と一緒に行ってたので子供は少し残念そうでしたが、 僕はそれの2000倍残念でした。 それにしても連休本当に終わっちゃったんですね・・(しつこい) 連休を思い返してもひたすら 酒、 酒、 酒、 酒、 肉、 寿司、 酒、 酒、 肉、 ていうかもう全然覚えてません。 (の時のデジャヴ) 一昨年の暮れからダイエットとか始めてましたけど、 もう今回の連休はフルでシカト。 糖質しか取ってません。 9日足らずでしっかり体重も見た目もすぐに舞い戻ってくるあたりが、 ダイエットとしてどうかと思いますよね。 ライザップとか見てても思いますけどこれこそがダイエットの甘さですよね・・・ (自分の甘さ)。 そういえば今回も爆裂FxAxDに遊びに行きました。 しかもとっくに0:00を超えていた。 今年こそ — Boobie 尾本 Trap BoobieomoTrap という切ない結果だったので今回は絶対に帰ってみせる!と家族に意気込んで家を出発。 昨年もそうだったんですけど、爆裂にどういう顔して遊びに行けばいいのかとか凄い悩むんですよね。 一人で遊びに行ってるし、皆ライブあるから俺みたいなバンドやってないやつ (ギリやってる)が話しかけちゃいけないし楽屋とかにいるわけにも行かないし。 かと言って外寒いし。 寒いのヤダし。 (文句) まぁ結局どっかしらにすーっと居座るんですけども。 今回はまずFAD前に行ってみかんを配るサブに絡み、からの隣にいるストンピンスタッフの先輩のところに着弾、 するも、夏目さん (FADのお兄様) に無言でお招きされて裏に連れていかれる。 なんだろうか・・。 ぶん殴られるのかな・・? 俺何を悪い事したっけかな?思い当たるふしがありすぎて・・ 爆裂遊び来たらまずかったかな・・ やっぱチケ代払わなきゃダメだよな・・ すいませんでした!!!! と心の中でもやもや一人で葛藤しているとそういう事では無く、OATのキクさんが喉絶不調により、歌をどうするか会議中だったらしく、その流れで楽屋に行くと 「お。 ボーきた。 うちの曲何か歌える?」 と洋平君。 えぇぇぇぇぇ!!! 歌える人が歌っていき場を繋いでいくという凄い発案。 でまぁTHANKSを歌う事になったわけですが、歌った事無いんですよね。 知らないとかじゃなくて。 勿論知ってるんですけど、細かくは知らないんですよ。 どういう事かというと、 just... ' Thanks' I want to say all of you. ' Thanks' I'm not used to say the word. この後、 ' Thanks' to you face ってキクさんが歌うとこ来るんですけど、 自分リスナーなんで、 コーラスの ウォーォ!ウォーオ! ってとこに歌が行っちゃってるのでわからない部分が多いんですよね。 ハイスタ聞いてメイン歌ってたのに自然とパートを歌っちゃうあの感じと言いますか。 でもとりあえず楽しそうだからTHANKS聞きまくって歌詞見まくって練習。 裏で皆練習しまくってたので、あの時のOATのの再生回数とサブスクの再生回数一気に増えたと思います。 でOAT始まって洋平君がShootingStar歌ったり板東が歌ったりスペボコースケが歌ったりtommyが歌ったり、 でTHANKSなんですが、の的な感じで行くって事だったんですが、 俺ずっとマイクの前にいてずっと歌ってました。 マジ図々しくてすんません。 2019. 図々しかったなぁ・・・俺。 図々しさはさらに加速し、今回の爆裂は家に帰るどころかしっかり最後まで打ち上げに参加して記憶is Overして終了。 記憶はありませんが余韻で家に帰ってきてからもTHANKSをひたすら歌っていたらしく(朝5時過ぎに帰ってきて)、 普通に離婚するぞこのやろう と、奥様に普通の顔で普通にキレられました。 本当にすいませんでした。 明けましておめでとうございます。 (遅っ) 本年も宜しくお願い致します。 Boobie Trapのメンバーの一員として、今年も決して無理をしないように、ケガも無く、病気も無く、今年一年も一つの季節に一度位のライブが出来たらいいな、と思っております。 4回ですよ4回。 高校生の頃やってた時の方がライブの本数多いってどういう事だ。 ただ本人達的には最後に久し振りの自主企画をやったせいで、もはや超大型フェスを成功させた位の満足感に覆われていています。 3ヵ月近くたった今でも。 オリンピックを招致した人の感覚ってこんな感じなのかな・・。 はい、お疲れさん。 てなわけで私どもBoobie Trapのライブが近付いてる事に気付いてしまいここ数か月体験していなかったざわざわ感に苛まされいます。 気付けば再来週ですか? チケット予約は売るほど受付中です。 何か用事があるという方もBoobie Trapの出番は遅め中の遅めなので大丈夫だと思います。 日曜日だから翌日の仕事が不安という方。 安心してください。 俺も不安です。 いや、違う。 この日は実験的な試みで終わり時間が早い (各バンドの持ち時間がマジ短いとかではないみたい)、と 夏目さん (FADのお兄様)からのLINEに書いてありました。 とりあえず今年も宜しくお願いします。 チケット予約も宜しくお願いします。 (やっぱり図々しい。 ) boobieomotrap-22.

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君も星だよ ――合唱曲《COSMOS》に込めたメッセージ 第5回

君がいない日々生活毎日は僕は超えられそうにないから歌詞

うれしさも悲しみも 大切な思い出も のこらず輝いて あすを照らしてる すみわたる陽がそそぐ ふるさとの風景に また会えるその日を つよく信じて いつかこの海をこえて 僕たちは舟をだそう 出会いにあふれる ひろいひろい世界へ いまも心にひびく 友の言葉を胸に 希望の道をすすもう るり色の海へ 夕凪と朝焼けが なんどくりかえしても 眼をとじればそこに なつかしい笑顔 いつの日もそばにいる たとえ離れていても だから前を向いて 歩んでいこう いつかこの海をこえて 僕たちは舟をだそう 手と手をむすんで 信じあえた日々を いつも心に抱いて 夢の灯りをともし 希望の道をすすもう るり色の海へ 1.奇跡の《地球星歌》 《いつかこの海をこえて》という合唱曲があります。 この歌は、岩手県にある釜石市立釜石東中学校の生徒の皆さんと一緒に作ったものです。 釜石東中学校は、太平洋を望む海辺にありました。 市の北部の鵜住居(うのすまい)地区という所です。 すぐ近くには、夏になると海水浴客で賑わう根浜海岸という美しい砂浜がありました。 ところが2011年3月11日、激しい地震の直後に襲った津波が、校舎の3階にまで押し寄せたのです。 この中学校では、日頃から津波を想定した避難訓練を徹底して行っていたことが幸いしました。 生徒はすぐに学校から高台に避難し、全員の命が助かったのです。 避難する際には、隣の小学校の児童たちの手を引いて逃げたといいます。 そしてこの出来事は当時、「釜石の奇跡」として、全国的に有名になりました。 とはいっても、その日学校を休んでいた生徒さんの中に亡くなった方がいますし、生徒さんたちの7割が自宅を流されました。 大切なご家族を失った生徒さんも多くいるのです。 ご縁があって、そんな生徒さんたちと一緒に歌を作ることになりました。 きっかけは、「かまいしの第九」という、たいへん歴史と伝統のある音楽会。 釜石では毎年、師走になると第九の演奏会が行われてきました。 市民参加のオーケストラによる第九が、年末の恒例行事となっていたそうです。 演奏会には地域内の中学校が年ごとに順番で出演し、生徒の皆さんがオーケストラの伴奏で校歌や合唱曲を歌うコーナーもあったとのこと。 ちょっとぜいたくな、素晴らしい試みですね。 2011年は、釜石東中学校が演奏会に出る順番にあたっていました。 そして今回の参加に際し、学校では大きな目標に挑むことにしていました。 それは「生徒全員が第九の合唱に参加する。 しかも原語であるドイツ語で歌う」というもの。 ちょうどそんな折に、あの地震が来たのです。 震災のあったその年は、誰もが中止になることを予想しました。 しかし演奏会に関わる人たちは大変なご苦労のなか、「こんな時だからこそやろう!」「この演奏を、支援してくれた世界中の人たちへの感謝のアンサー・コーラスにしよう!」という鉄の意志で実現させたのです。 そして12月。 釜石東中の全校生徒は見事に第九をドイツ語で歌いました。 そして第九の前に、《地球星歌》も歌ってくれたのです。 オーケストラの壮大な伴奏と全校生徒による合唱。 のちに僕はその録音を聴くことになるのですが、それはあまりにも感動的な、魂の音楽ともいうべき凄い演奏でした。 演奏会の様子を現場で録音していたラジオ局・エフエム岩手の三嶋豊さんは、この音源をなんとしても地球星歌の作者に聴かせたいと思ったそうです。 僕は岩手から、一通のメールを受け取りました。 それが最初のご縁となり、そこから急に、いろいろなことが決まってゆきます。 まず、僕たちアクアマリンが彼らの学校を訪れ、コンサートをお届けすることになりました。 そしてもう一つ、その日までに僕が生徒の皆さんの想いを集めて歌を作り、コンサート本番でSachikoが歌って披露することになったのです。 2.釜石東中学校のこと 2012年3月12日、僕とSachikoは釜石を訪れました。 海辺にあった釜石東中学校は津波に破壊されてしまったので、生徒さんたちは市内の釜石中学校に「間借り」する形で学校生活を送っていました。 そこに伺い、体育館でコンサートを行なったのです。 僕はピアノが弾けないほど極度に緊張していましたが、生徒さんたちはとても明るく元気に迎えてくれて、本当に救われました。 コンサートを行なう前に、先生がたが僕たちを被災した校舎に連れて行ってくださいました。 そして建物の中を案内してくれたのです。 そのとき見たものは、一生忘れることはないでしょう。 釜石を訪れた日、震災から1年と1日が経っていました。 しかし、被災した校舎はまったく手付かずの状態で当時のまま。 となりの小学校の窓には、軽自動車が頭から突き刺さったままになっているのが見えます。 震災から1年も経ってまだこんな状態では、復興にはいったい何十年かかるのだろう……。 そんな重い気持ちになったのを覚えています。 3階まで津波が達した校舎は、窓ガラスがすべて割れ、床には海の泥が厚く堆積しています。 机もイスも散乱し、ほんとうにひどい光景でした。 いちばん衝撃的だったのは音楽室です。 泥だらけのグランドピアノが逆さになり、大きな蓋の板が外れて教室の反対側に転がっていました。 そこで音楽の松村敦子先生がこう言ったのです。 「うちの生徒たちは本当に歌うことが好きでした。 ミマスさんの曲も大好きで、この音楽室で《地球星歌》や《COSMOS》を元気に歌っていたんです……」 僕は涙が止まりませんでした。 窓の外に目を移すと、彼らが住んでいた鵜住居地区が見えます。 津波によってひとつの街がすべて流され、何も見えない荒れ地がどこまでも広がっています。 僕はほんとうに、そこに向かって手を合わせ頭を垂れることしかできませんでした。 今もときどき、《いつかこの海をこえて》を歌ってくれている合唱団や学校にお招きいただいて、作者としてお話しすることがあります。 曲を作った経緯についても話すわけですが、このときに見た光景を話す段になると、いつも必ず胸がいっぱいになり、心臓が痛くなって足が震えてきてしまいます。 震災から5年以上たってもそれは変わりません。 3.海、そしてフェルマータ 歌を作るために、音楽の松村先生は生徒さんたちにこんなアンケートをとって送ってくださいました。 「どんなことでもいいので、いま感じていること、思っていることを、素直な自分の言葉で書いてみましょう」。 回答の中には、「黒い海」「行方不明」といったものもありました。 そんな言葉に触れるたび、激しく胸が痛みました。 周囲の親しい友人にも言えない、押しつぶされそうな胸のうちを吐露してくれた子もいます。 みんな、壮絶な体験をしたのです。 しかしその反面、彼らの多くが書いていたのが「感謝」や「希望」といったキーワードです。 僕はやはり、希望の歌にしようと思いました。 今から何十年後、大人になった彼らが幸せな人生を送り、美しさと賑わいを取り戻した故郷で、大切な人たちと一緒に海を見つめている……。 そんな風景を描きながら、願いながら作っていったのです。 当然、彼らの住む「鵜住居 うのすまい 」という町の名を歌詞に入れたいという声もありました。 でも僕にはそのとき、この歌がいろいろな所で歌ってもらえるようになるのではないかという、予感があったのですね。 特定の地名を入れると限定的になってしまう。 でも、この歌が彼らと一緒に作ったものだという証拠は残したい。 そこで、ひとつのアイディアを試すことにしました。 作詞をする前に、各行のアタマの文字が「鵜住居で生きる、夢いだいて生きる」となるように文字を並べて、その文字からそれぞれの行の言葉が始まるようにして作詞ができないか、やってみたのです。 この試みは実にうまくいきました。 その仕掛けを知らずにこの歌を歌ってくださる人も多いと思います。 そんな方も、無意識のうちに彼らの故郷の名を口にし、応援してくれていることになるのです。 しかし、ひとつだけ最後まで迷った重大な問題がありました。 それは「海」という言葉です。 津波で大切な人を亡くした方にとっては、「海」は聞くたびに辛い気持ちになってしまう言葉かもしれません。 一方で、「海」を歌詞に入れたいという声も多かったのです。 僕はどちらかに決めなければなりませんでした。 もし「海」を入れなかったらどうなるか。 それを考えてみました。 答えはすぐに出ました。 生徒さんたちは、生まれてからずっと海のそばで、海を見ながら、海と一緒に生きてきたのです。 これからも海と共に生きてゆくのです。 そんな彼らの幸せな未来を願う歌に「海」が無かったら、明らかに不自然だと思いました。 当たり障りのない、無難にまとめたものを作ることが自分の役割ではないと思いました。 これは賭けなのだと思いました。 僕は、彼らが乗り越え、幸せな人生を実現し、美しい故郷の再建を果たす、というほうに賭けることにしました。 そして、どうせ入れるなら、コソッと入れるのではなく、いちばん目立つ所に置かなければならないと思ったのです。 この歌の楽譜に、「フェルマータ」という音楽記号が一度だけ現れます。 何度も躊躇して、意を決して楽譜にこの記号を書いたときは手が震えました。 このフェルマータこそが、僕がこの歌に込めた願いの全てだと言って過言ではありません。 もしもこの歌を歌ってくれる人の中に、歌詞によって辛い気持ちになるという方がいたら、僕は本当に申し訳なかったと謝るしかありません。 実際に、泣き崩れて歌えなくなった生徒さんがいたという話も聞いています。 今でも年に一度ほど、釜石を訪れる機会をいただきます。 一緒に歌を作った生徒さんたちはとっくに卒業して、高校生や大学生、社会人になっていますが、在校生の皆さんがこの曲を歌い継いでくれています。 彼らは若いです。 でも、とてもしっかりした大人です。 何かのセレモニーなどで発言の機会を与えられると、必ずいちばん最初に、震災のときに支援をしてくれた日本じゅう世界じゅうの人たちへの感謝を述べます。 僕はそんな彼らを心から尊敬しています。 この歌を歌ったり聴いたりしてくださる方にひとつだけお願いしたいのは、その3分間のあいだ、ぜひ彼らに想いを馳せてほしいということです。 「彼ら」とは、釜石だけではなく、被災した全ての街、全ての学校にいます。 未来に向かって、さまざまなことに励んでいる彼らに思いを馳せてほしいです。 僕のような立場の者が言うのもおこがましいのですが。

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ハナレグミとnever young beachが歌で伝える、日常の愛し方

君がいない日々生活毎日は僕は超えられそうにないから歌詞

山猿、大ヒットを記録する楽曲『名前の無い歌』に込めた思い、そして今伝えたいこととは? 山猿が、SNS上で発信したことからスタートした楽曲『名前の無い歌』が、今、人気を呼んでいる。 地元・福島に根ざした活動をしていることでも知られている。 そんな彼が、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、やむ無く中止となった「山猿『あいことば7』RELEASE TOUR 2020」の本来の初日公演だった4月4日に自宅で即興で作曲されたのが『名前の無い歌』だ。 会いたくても会えない大切な人への想いをストレートに綴った『名前の無い歌』。 自宅にて完全に一人でレコーディングしたこの楽曲は、翌日には本人のTwitterやInstagramにて発信された。 そして、それはTikTokやSNS上で若い世代を中心に広く拡散。 6月8日からはLINE MUSIC独占で先行配信され、6月10〜16日のウィークリーランキングでは、人気アーティストの楽曲がひしめく中、堂々の1位に輝いた。 そして、この楽曲のさらなる追い風となったのが、ミュージックビデオだ。 自粛生活を余儀なくされていた俳優の秋山勇次が、全て秋山が自宅で一人で撮影・編集したもので、YouTubeで公開されているこのミュージックビデオは、6月17日現在400万回再生に迫ろうかという驚異的な数字を叩き出している。 ーまずは、新曲『名前の無い歌』のMVが400万回再生に迫る勢いで、独占先行配信されたLINE MUSICではウィークリーランキング1位を獲得するなど大きな反響を呼んでいますが、率直な感想を聞かせてください。 山猿:自分でもすごく驚いています!本当に沢山の人達に聴いて頂いているんだなと思うとまだ信じられません 笑 ー『名前の無い歌』はどんなきっかけ、どんな思いで作られたのでしょうか? この曲は、残念ながら中止になってしまったツアーの開催初日を予定していた4月4日に即興で作りました。 緊急事態宣言が出されていた当時、ファンのみんなにも会えず、大切な人、友人、離れて暮らす家族、会いたい人にも会えない現実に押しつぶされそうになり、毎日塞ぎ込んでいました。 その時の思いは、ファンのみんなに会いたい!今すぐに会いたい!それだけでした。 そんな思いの中、無我夢中で自宅で1フレーズとサビを録音して、すぐにSNSにアップしました。 どんどんこの曲が広まっていくのと同時に、沢山の方からDMでメッセージをいただき、その時はじめて全国のみんなも僕と同じ様に「大切な人に会いたくても会えない」そんな日々に苦しんでいる事を知り、僕が下を向いてる場合じゃ無い!頑張らなくちゃ!と、みんなから勇気をもらいました。 『LOVEからはPEACEしか生まれない』この曲が沢山の人達の愛をつなぎます様に。 ーこの楽曲の制作は、作詞作曲からレコーディング、編集まで一人で行ったとのことですが、普段はスタッフが何人も関わり合う楽曲をお一人で作り上げたことで改めて見えてきたもの、感じたことはありましたか? 山猿:今も基本的にそうですが、ステイホーム、3月、4月、5月の自粛期間中はレコーディングスタジオにも行けなかったので、レコーディングに必要な物をネットで調べて、一つ一つ機材を買い揃え、全て一人で行いました。 もともとデモ段階のプリプロ(仮録音)出来るレコーディング機材は持っていましたが、それはZOOM MRS-1608というすごく古く、かつすごくマニアックなもの 笑。 今のミュージシャンでこの機材でレコーディングしているのは世界で僕くらいだと思います 笑。 きっとびっくりされると思うんですが、機材と言っても5万円もかかっていません 笑 今ミュージシャンを目指している若い世代の方にこれだけは言わせてください。 「数万円の機材で自宅でレコーディングした曲でもチャート1位をとれる、今の時代は好きな事も、夢も自分で叶えられる。 」 ー多くのミュージシャン志望のかたが勇気づけられるお言葉ですね!そして、この楽曲のMVには俳優の秋山勇次さんが出演していらっしゃって、秋山さんもMVを自宅で一人で撮影、編集したと伺っています。 このMV制作の経緯はどんなものだったのでしょうか? このMVは、自粛期間中に僕がTikTokに投稿した『名前の無い歌』の音源を使いファンの子達がSNSに載せてくれた動画に、以前から交友のあった俳優の秋山君が共感してくれて「俳優の僕にも何か出来る事はありませんか?」と連絡をいただいたところから始まりました。 自粛期間中と言うこともあり、詳細や編集はリモートで打ち合わせを行い制作を進めました。 全て自分たちの手作り動画です 笑 ! この動画の他にも全国のダンサーやアーティスト仲間が各々のステイホーム期間中に撮影した動画やリリックビデオをSNS上で発信してくれて、この曲を少しでも多くの方の元へ広めようとしてくれています。 また、ファンの子達が載せてくれている動画もとても個性的でクオリティが高いものが多いので、コロナウイルスが落ち着いたら今後のMVに取り入れたり、動画を編集してひとつのMVに出来たらいいな、なんて事も考えています。 ー秋山さんからもMV制作の経緯を伺えますか? 秋山勇次:最初この山猿さんの歌をSNSで聞いた時に、今のステイホームしている色んな想いを秘めた人たちに響く切なくて温かい歌だなと思いました。 以前「あいことば2」に出演させていただいて、いつも気にかけてくださってる山猿さんへこの歌に合うかなと動画を送ったところ「動画の続きも僕に作ってもらいたい」と山猿さんからお話をいただきました。 全部1人で出来るのか不安でしたが、山猿さんと熱いやりとりを重ねて完成まで至りました。 現時点 取材時 で300万再生を超えて、MVに携われた事を誇りに思います。 ー次に、山猿さんの活動についてお伺いします。 最近ですと、アルバム『あいことば7』を2020年3月10日にリリースされていますね。 このアルバムは、配信などはせず、CDショップの店頭でも販売しないCDをインディーズ作品として発表したことについて考えを教えてください。 山猿:実は去年メジャーからインディーズに戻り、地元の仲間達と1から音楽事務所を作りました。 PAC DA RECORDZ(パックダレコーズ)と言うんですが、あえてSじゃなくZ 笑 今の時代はCDよりも配信で音楽を聴く事が当たり前になっていて、自分が音楽をやっているんだという証が欲しかったんです。 僕もそうでしたが、昔は好きなミュージシャンの音楽は直接CD屋さんに買いに行って、車や家でガンガン聴いていました。 自分の好きなミュージシャンが大切に作ったアルバムだからこそ、ジャケットや歌詞を何度も何度も見て大切にしていました。 当時は配信なんてものはなく、好きな子に「この曲良いから聴いてみてよ」なんて、お互いの好きなミュージシャンのCDを貸し借りしたりしていたのを覚えています。 あの時はまさか自分がミュージシャンになるなんて思ってもみませんでした。 あの頃の様に、今の若い世代のみんなにもミュージシャンが作ったアルバムを大切にして欲しいと思い、今回のアルバム『あいことば7』は一切配信もせず、本当に聴きたいと思ってくれた方の心に届く様に、版だけのリリースと言う形にしました。 ある意味、時代の流れに勝負を挑む様な感覚でした。 それでも、お陰様でめちゃくちゃ売れまくっていてメジャーに居た時よりもたくさんの方に届いている気がします 笑 ーそして、山猿さんは地元・福島に根ざした活動をされているかと思います。 地元での活動にこだわる理由を教えていただけないでしょうか? 山猿:ただ単純に僕は地元が、福島が大好きなんです 笑 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、僕は9年前の東日本大震災の時に仙台に住んでいて、生活していた家が津波で流されてしまいました。 その後数か月間、近くの小学校や、親戚の家、千葉に住んでいる妹の家を転々として避難生活を送っていました。 やっと地元福島で生活の目処が立ち、従来の生活を取り戻しつつある日々の中で、慣れ親しんだ街や人、風景に再会し、地元の温かさに胸を打たれました。 見渡せば田んぼと山と……田んぼが広がり 笑 冬には一晩で腰の高さまで雪が積もってしまう様な街ですが、僕が生まれ育った地元は、ミュージシャンとなった今でも僕を成長させてくれます。 この街でなければ作れない歌がある。 僕はこれからも、この大好きな地元で、音楽と向き合っていきたいです。 ーそれでは、最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。 全国の山猿Famのみんなへ…いつも応援ありがとう!必ずまたみんなに会える様に、僕は全力で走り続けます!そしてその時は絶対に笑顔で会いましょう!愛してます!.

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