石原軍団。 【熊本地震】石原軍団、炊き出しの裏側がすごすぎる!「軍団員として、ギリギリの収入で身銭切ってる」

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メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。 50人の購読者に加わりましょう メールアドレス 石原プロモーションとは 〒182-0024 東京都調布市布田4丁目20番地 調布シティビル3階 設立1963年(昭和38年)1月16日 俳優の石原裕次郎が設立した日本の芸能事務所、制作プロダクションである。 本社は東京都調布市に所在。 略称は「石原プロ」。 また、同社が制作していた「大都会 PARTIII」の『黒岩軍団』、 「西部警察」シリーズの『大門軍団』にちなみ、 所属タレントの集団は『石原軍団』(いしはらぐんだん)の愛称で広く親しまれている。 2016年12月から新たに「石原プロNEXT GENERATION」 と呼ばれるグループが誕生し、従来の石原プロとともに二部構成となった。 代表取締役会長は石原まき子。 石原軍団の特徴は、芸能事務所・制作プロダクションでありながら、 映画撮影用機材や撮影クルーも自社で持っているという点です。 そのため石原軍団は、自社を「映画製作会社」と言っています。 1963年1月16日に石原裕次郎の個人事務所)として設立されました。 1960年代から1970年代前半にかけては、映画の大成功で経営が潤っていました。 しかし、その後は経営が悪化して、当時8億円ほどの借金を背負ってしまいました。 また、そこに追い打ちをかけるように映画の人気が低迷していったのです。 石原裕次郎はそんな状況下でも、テレビの評価が低いという理由で、テレビ出演を頑なに拒んでいました。 それでも周囲からの強い説得に折れる形で、テレビドラマ『太陽にほえろ! 』に出演したのです。 』はスタートするやいなや、大人気番組となりました。 石原裕次郎はそこで初めて、テレビの威力に気が付いたのです。 その後は、映画ではなくテレビに活動の拠点を移していくことになったのです。 その後は、『大都会』『西部警察』シリーズを、 石原軍団でテレビドラマ自ら製作して大きな人気を獲得したのです。 その収益で、それまであった10億円近くの負債の支払いは完全に終わり、 それどころか約30億円に上る資産を築いて、再び大成功を収めたのです。 その後は渡哲也が副社長に就任して、神田正輝や舘ひろしも取締役になったのでした。 そして1987年に石原裕次郎がこの世を去った後には、渡哲也が2代目の社長を務めました。 スポンサーリンク 石原軍団解散 2019年4月16日の報道で、石原軍団解散というニュースが出ました。 1987年に石原裕次郎がこの世を去った後も、渡哲也が24年もの間、2代目社長を務めてきました。 社長を辞任した後も、相談役として石原軍団を支えてきました。 そんな渡哲也ですが、ここへきて石原軍団の解散を決意したのです。 その理由は、高齢化と体調問題でした。 現在会長職を務めている石原まき子も85歳。 渡哲也77歳となっています。 渡哲也が社長を7年前に辞任して、それ以来社長のいすは空席になっていました。 3代目社長の誕生を待っていたのですが、 結局誰もやりたがらないまま、日々は過ぎ去っていきました。 本来はこの4月に事務所も閉鎖する予定だったのですが、 若手タレントらの所属先が決まっておらず、 また、資産整理などもできていないために、公式発表は延期されています。 ただ、石原プロは映画、ドラマ、音楽の版権を持っているので、 この会社を解散することは不可能なのです。 だから、今後は芸能事務所としての活動は休止して、 そういった版権などを管理していく会社にシフトしていくのではないでしょうか? 所属タレントのその後は? そこで所属俳優たちの今後が気になります。 それについて調べてみました。 徳重聡は俳優系が強い事務所への移籍が濃厚。 舘ひろしは独立。 神田正輝は大手事務所へ移籍が濃厚。 まだ、解散も正式発表されていないので、 こういった情報は噂の範囲を超えていません。 まとめ あの石原軍団が解散というのは驚きのニュースでした。 これまでの日本の芸能界をある意味支えてきた存在でもあるので、 そんな日が来るとは誰も思っていませんでした。 栄枯盛衰とは世の常なのはわかっているのですが、 なかなか寂しいものですね。 でも、これも正式に決定したものではないので、 まだまだ違った展開があるかもしれません。 とにかく、何があっても石原軍団を応援していきましょう! スポンサーリンク.

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石原軍団解散へ?舘ひろしと神田正輝が2021年にも独立する意向か

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その後、芸能人たちもさまざまな形で被災者を支援している。 こうした行為には賛否あるだろうが、中でも目を見張るのは 石原軍団の動きだ。 6月に入ってから舘ひろしら石原プロモーションのメンバーが熊本入りし、炊き出しを行った。 その場に、木村拓哉などジャニーズメンバーも加わっていたことでさまざまな物議も醸しているが、ここで気になるのは、 石原軍団の資金源だ。 石原軍団は過去にも震災などがあれば大規模な炊き出しを行っているだけでなく、舘らは日頃の仕事場にも名物のおはぎを大量に差し入れている。 これらの行為には当然、それなりのお金がかかるのだが、失礼ながら今の石原軍団の活躍ぶりを見ていると、そこまで羽振りがいいようには思えない。 一体、これらのお金をどこで賄っているのか。 関係者に話を聞いた。 「テレビや映画を見ていればわかるように、石原軍団メンバーは今、俳優としての仕事は少ないです。 そのため、石原プロモーションとしての収入も減少しており、かつてのような勢いはありません。 炊き出しを行う際の食材などは、食品会社やスーパーなどに提供してもらえる可能性もありますが、それでも最低数百万円のお金はかかっているはずです。 おはぎにしても毎回スタジオに100個単位で持ってきてくれます。 これだって数万円前後かかり、それが年間で何十回とあります。 舘クラスでも出演ギャラが番組によっては、30万円から40万円ほどですから、業界内でも『一体どこからお金が出ているのか』と不思議がる声は多いですよ」(テレビ局関係者) 関係者でも疑問だという軍資金の出どころだが、一説には石原裕次郎の印税収入という話もある。 「たしかに石原裕次郎の印税収入が莫大なようですが、それにしてもたかだか数千万円のレベルですよ。 事務所の維持費、人件費などを考えれば、炊き出しやおはぎに回す余裕はないはずです」(プロダクション関係者) ならば、どこから出ているのか。

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芸能界の独立話が後を絶たないなか、ビートたけし(71)も独立する。 88年に自身が立ち上げた「オフィス北野」を退社。 すでに設立している「T、Nゴン」で活動する。 30年間に渡りたけしを支えてきた森昌行社長(65)と別れ、「愛人」と言われている女性を新たなビジネスパートナーに小説や絵を中心にした仕事に取り組むと見られている。 特に小説は、又吉直樹の直木賞が刺激になり意欲を燃やしているという。 仕事の方向転換には別な見方もある。 「テレビのレギュラーや映画の仕事も徐々に減らし、小説など家でできる仕事をすることで愛人と過ごせる時間も増やすのでは」(テレビ関係者) 芸能界の独立は出ていく者に試練が待っているのが相場だが、今回は逆。 たけしの新たな旅立ちは準備万端。 さらなる期待の声も多いが、残る「たけし軍団」には一抹の不安がよぎる。 80年代初期にたけしのファンやタレント志望の若者がたけしを慕い集まって結成された「たけし軍団」。 当時は「石原軍団」のパロディーとも言われたが、たけしを「殿」と呼び、男の絆と結束力はマジだった。 番組でもいかんなく軍団力を発揮。 熱湯風呂など体を張ったパフォーマンスで茶の間を席巻したが、軍団はあくまでもたけしとのセット。 たけし番組のアイテムに過ぎなかった。 そこにブームの終焉がやってくる。 替わって台頭してきたのが吉本芸人を中心としたお喋りバラエテイー。 舞台で鍛えた喋りのプロの前では敵うはずもなく、軍団は次第に出番が減っていった。 一方で個人となったたけしは天性の才能を発揮。 俳優、監督といくつものジャンルに進出。 「世界の北野」と言われる存在になった。 対照的なたけしと軍団。 石原軍団は実績のある渡哲也が参謀にいて、舘ひろしや神田正輝が育ったが、今もたけし軍団に所属して独り立ちしているタレントは極一部しかいない。 たけしに次ぐMCを張れるようなタレントを育てることができなかったのは唯一の誤算だろう。 それでもたけしと軍団の絆は不変。 殿のためと「フライデー殴り込み」までやった軍団は「アウトレイジ」で親分の為に体を張る若い衆とも被って見える。 義理と人情の篤いたけし。 事務所で働き続けた30年は借りを作った軍団に尽くした一面もあったはず。 「3億円はあった」という退職金を貰わず、逆に莫大の資金を事務所に残して去るたけし。 軍団に対する最後の愛情のようにも思える。 飛ぶ鳥跡を濁さず。 (二田一比古/ジャーナリスト) 引用元:.

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