アノミー 的 自殺。 【要約】デュルケーム「自殺論」とは?わかりやすく簡単に解説

社会学のアノミー的自殺って具体的にどうゆうことなんでしょうか。本を読んでい...

アノミー 的 自殺

この仮定の下では、過労死する労働者は会社のために働くこと自体を自己の最優先利益とする選好構造をもつか、あるいは費用便益計算を誤って愚かな選択をしたということになる。 前者の場合、かかる会社人間的選好構造が形成されるのは、まさにその労働者が会社共同体に自己同化しているからである。 後者の場合、自己の生命という最も重大な利益の喪失のリスクを不当に軽視するという態度そのものが、個人としての自己の存在の価値の重さを忘却するほど会社共同体に没入していることの結果と見るべきである。 過労死が象徴するような現代日本の多数の労働者の生の条件は、生命・健康だけでなく家族生活の享受や会社から自立した社会参加の機会など、個人としての労働者の基本的な人権や諸自由を侵食している。 八木氏が自らの死を例証にして残したサラリーマンと奴隷との類比は、単なるレトリック以上の切実な響きをもつ。 しかし、急いで付け加えられなければならないのは、以上に見たように、この「奴隷状態」の機能的等価物を生み出しているのは古典的な階級搾取ではなく、労働者が「我が社」を自らのアイデンティティの基盤とし、「我が社の発展」に自己の発展を融合することを可能にするとともに要請する社会構造、即ち、会社主義だということである。 これは、象徴的に言えば、労働者が会社から自立した個人のアイデンティティと生活を守るために残業や単身赴任など会社への自己犠牲的献身を拒否することが、管理職の上司によってだけでなく、組合や同僚によっても「我がまま」と非難されるような体制である。 過労死は字義的意味の自殺ではない以上、デュルケームの論じた象徴死としての自殺の三類型のいずれとも同じではない。 さらに過労死は、デュルケーム自身が過去の日本における集団本位的自殺の例として論及した侍の切腹の巧みさの競い合いや、「阿弥陀の宗徒たち」などによる成仏を求めた入水・餓死・投身等の殉教と民衆によるその礼讃といったものとは質的に異なる。 デュルケームは前者の事例を侮辱への過敏性、生への執着に対する侮蔑など「未開人の道徳の特徴とみられる没個人肘」によって、後者の事例を「個人のなかに実在するものは個人の本性となんのかかわりもないという観念、個人に生を与えている霊魂は個人の霊魂ではないという観念、したがって個人は固有の存在をもたないという観念」を本質的特徴とする「汎神論的信仰」によって説明している。 過労死がいずれの動機付けとも関わらないのは明らかである。 しかしそれにも拘わらず、より深い次元では、過労死は集団本位的自殺と通底している。 デュルケームによれば「一方〔自己本位的自殺〕は、一部分あるいは全体的に解体にひんした社会が、個人をそこから逸脱するにまかせているために起こる。 他方〔集団本位的自殺〕は、社会が個人をあまりに強くその保護監察トにおいているところから起こる」(〔 〕内は引用者)。 集団本位的自殺に人をはしらせるのは「自我が自己自身を所有しておらず、自己自身とは別の何かと融合している状態、行動目的が自己自身の外部、即ち、自らが参加する集団に置かれている状態」である。 集団本位的自殺の根本的な社会学的原因についてのデュルケームのこの洞察は、過労死の根底にあるものにも照明を当てている。 過労死は死の美学や蛮勇、汎神論などとは無縁だとしても、会社が労働者個人にとって、単に労働力という自己の商品の一時的な買い手ではなく、自己のアイデンティティと行動原理をも規定する帰属集団、即ち、共同体論の言う構成的共同体と化していることに根本的に起因しているからである。 デュルケームが自殺を個人的気質の問題ではなく、社会的状態の反映として理解する必要を説いたように、我々も過労死を孤立した個人的悲劇としてではなく、我々の社会構造の反映として理解する必要がある。 自己本位的自殺とアノミー的自殺が個の解放と虚脱・放縦・不安・絶望とが裏腹である個人主義社会のディレンマを象徴するように、集団本位的自殺と通底する過労死は、高度産業資本主義と共同体的社会編成原理を結合した現代日本社会のディレンマを象徴している。 これは、階級社会的疎外を資本主義的生産拠点の共同体的再編により克服しようとする会社主義が、まさに成功を謳歌したことの帰結として、会社共同体への過剰同化による具体的個人の自己疎外が新たに進行するというディレンマであり、国民一人当たりの名目所得が米国を抜くような日本の「経済大国」的繁栄をもたらしたのと同じ社会構造が、具体的な個人の生を破壊し貧困化しているというディレンマである。

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【自殺論とアノミー】 人類が直面する諸問題はすべてアノミーである!

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2020. 13 【新型コロナ現象について語る犯罪学者のフォーラム】新型コロナで自殺は増えるのか? 〜アノミー型自殺と逃避型自殺〜 犯罪学は、あらゆる社会現象を研究の対象としています。 今回の「新型コロナ現象」は、個人と国家の関係やわたしたちの社会の在り方自体に、大きな問いを投げかけています。 そこで、 を通じて多くの方と「いのちの大切さ」について共に考えたいと思います。 今回は、石塚 伸一教授(本学法学部・長・兼同ATA-net研究センター長)のコラムを紹介します。 新型コロナ現象の中で自殺者が増加するのではないか、という声が聞かれます。 「感染を理由に自殺した人がいる」というようなフェイク紛いのニュースもありますが、相談の現場からは、「元々抱えていた不安が感染拡大であおられた」「失業などで生活が行き詰まった」「外出できず家族との関係が悪化しストレスを抱えている」などの声が漏れてきます。 少し状況が落ち着き、多くの人びとが現実を直視するようになると、かえって、自殺の危険が高まるのではないか、との指摘もあります。 京都大学レジリエンス実践ユニット(代表・藤井聡) (註1)は、新型コロナウイルス感染症の流行によって、2020年度の実質GDP が14. 2%下落すると、失業率はピーク時に6. 0%〜8. 4%に達し、累計自殺者数が14万〜27万人増加すると予想しました。 (註2) 【自殺の現状】 日本の自殺件数は、バブル経済の崩壊とそれに引き続く長引く不況の中で1998年に2万人台から一挙に3万人台に急増し、その後、3万人台の高い水準を維持していましたが、2010年前後から減少に転じ、ここ10年連続で減少していました。 2019年の自殺者数は、前年より671人(3. 自殺者の内訳は、男性14,078人、女性6,091人で、男性が女性の約2. 3倍です。 人口10万人当たりの自殺者数(自殺死亡率)は0. 5人減って16. 0人となり過去最少でした。 ただし、これは先進7か国では最悪の数字です。 (註3) 京都大学経済研究所附属先端政策分析研究センター研究チーム(代表・渡部良一) (註4)は、1998年に急増した自殺の統計分析を通じて、「30歳代後半から60歳代前半の男性自殺率の急増が自殺者の増加に最も大きな影響を与えている。 自殺の原因は、失業あるいは失業率の増加に代表される雇用・経済環境の悪化である」と指摘しています。 対策として「失職者や経営難に陥った自営業者を経済面だけではなく精神面でも支援するような人的ネットワークを土台とするセーフティーネットの構築が自殺予防に有効である」と示唆しています。 【不況と失業と自殺の三題噺】 藤井チームの発想は、アメリカの経済学者アーサー・オーカン(Arthur Melvin Okun:1928 —1980 が、1962年に発見した 「オークンの経験則 Okun's law 」 (註5)に由来します。 一国の産出量と失業との間には負の相関関係があり、景気が悪くなると失業が増え、景気が良くなると失業が減る。 そして、失業が増えれば、自殺も増えるというのです。 犯罪学の古典的研究でも、失業と犯罪に関する有名な研究があります。 G・ルッシェ(Georg Rusche:1900-1950 とO・キルヒハイマー(Otto Kirchheimer :1905—1965)の『刑罰と社会構造』(1939年) (註6)についての研究です。 社会に不満を持つ貧困層の犯罪を抑止するためには、刑務所などの矯正施設の生活条件は、現状利用可能な生活条件よリも低くなければならない(「降格化(less eligibility)」)。 また、ある時代の刑務所の人口は、その時代における労働市場(失業)と相関関係にある(「労働市場(labor market)」)という2つの法則から、刑罰と社会構造の関係を歴史的に考察しています。 景気が良くなり、労働者が不足すると労働条件が良くなり、失業者も減るので、罪をおかす人が減り、刑務所の収容者が減る。 反対に、景気が悪くなって、労働者が労働市場で余るようになると失業者が増え、罪をおかす人も増えるので、刑務所の収容者が増えるというのです。 この議論についての詳細は、別稿に譲ることとして、話を自殺に戻しましょう。 (註7)デュルケームは、社会には、その社会に相応しい自殺率があり、それぞれの社会によって自殺の形態も異なると言います。 そして、社会と自殺の関係を4つの類型(利他的自殺・利己的自殺・アノミー的自殺・宿命的自殺)に分けています。 (1) 利他的自殺は、集団の価値体系に絶対的な服従を強いられている社会、あるいは個人の方が社会の価値体系・規範へ自発的・積極的に服従しようとする社会で見られる自殺の形態です。 そこでは、社会への献身や集団のための自己犠牲を尊びます。 明治天皇が亡くなったときの乃木希典と妻・静子の自刃などがその例です。 集団本位の自殺と言えるでしょう。 (2) 利己的自殺は、挫折や失望を体験した個人が、次第に集団との結びつきを弱めていき、ついには孤独と焦燥の中で自殺するようなパターンです。 禁欲的なプロテスタントや個人主義が広まった都会の片隅で孤独の中で自らの命を絶つような自殺です。 デイヴィッド・リースマン(David Riesman:1909-2002)の『孤独な群衆(The Lonely Crowd)』 (註8)やサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)」 (註9)の世界と言った方がわかりやすいかもしれません。 自己本位的自殺です。 (3) アノミー的自殺は、社会の規範や規制が崩壊または弱体化した社会で起こる自殺です。 集団や社会の規制が緩み多くの自由が獲得された結果、個人の欲望が膨れ上がってしまい、追い求めても実現できずに挫折し、社会に幻滅して、虚無感の中で選ぶ自殺です。 欲望に歯止めが効かなくなった時代の後にやってくる自殺です。 大志を抱いて都会に出てきはしたものの、夢を実現する道を閉ざされた高度経済成長期に都会に出てきて挫折した若者たちやバブル経済崩壊直後の「悲劇のヒーロー・ヒロイン」たちです。 (4) 宿命的自殺は、集団や社会の規範による拘束力が強く、個人の欲求を過度に抑圧することで起こる自殺です。 妹の夫への愛に悩み、ついには自ら死を選ぶ、アンドレ・ジイドの『狭き門』のアリサのような死です。 デュルケームは、社会秩序が乱れ、混乱した状態を表す用語として、ラテン語の「アノモス anomos 」に起源をもつ「アノミー anomie 」という用語によって、社会の規範や規制が弛緩すると、かえって、個人は不自由になり、不安定な状況に陥るという近代の病理を鋭く批判しました。 【犯罪学者の目〜アノミー論の逸脱への応用〜】 アノミー論を逸脱に応用したのがアメリカの社会学者ロバート・キング・マートン(Robert King Merton 1910 — 2003 でした。 彼は、「文化、構造そしてアノミー」(1938年) 註10 において、文化を「社会または集団において共有された、行動を支配する組織化された規範的価値の集合体」と定義しました。 他方で、社会構造を「社会または集団の構成員の多様な適応状況を示している組織化された社会関係の集合体」と定義しています。 マートンは、アノミーを文化規範によって与えられた達成目標とそれに適合しようと行動する構成員たちとの間に矛盾や分離が生じたときに生ずる状態を「無規範状態」と定義しました。 文化と構造の連続性が断たれたときに逸脱が生じ、社会の存立を脅かすというわけです。 アメリカは、金儲けをして莫大な財産を築くことを成功目標とする社会です。 スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツは、現代における成功者の典型です。 アメリカ人は、金銭的成功を過度に強調します。 他方で、夢を実現するためには、正統とされる方法には拘泥しません。 アメリカン・ドリームは、みんなの理想ですが、その実現のための手段は多様です。 目的のためなら手段を選ばぬ典型が、アル・カポネのようなギャングの頭目です。 逸脱は、与えられた文化目標とそれを達成する手段との間に不均衡や緊張が原因となって発生します。 この理論仮説を犯罪学では「緊張理論(strain theory)」と呼びます。 アノミー論は、この系譜に属します。 文化目標(cultural goals)とその正統な達成手段(the legitimate means)との関係を整理したのが【表】「マートン逸脱行動の範型」です。 このような逸脱は、犯罪や非行として処罰されることがありますが、イノベーター(革新者)は独創的な方法を見つけ出し、新たな財を創り出すこともあります。 外形的には遵法的な市民ですから、逸脱者とは見なされません。 麻薬に溺れるジャズミュージシャンなどは、現実から逃避し、堕落した生活をしている逸脱者と見なされます。 彼らは、革命が成功すれば英雄ですが、失敗すればただのテロリストにされてしまいます。 革新と儀式主義は、目標と手段に矛盾や亀裂が生じているので、アノミーを徴表する行動パターンです。 革新と逃避主義は、正統ではない手段を用いることから、行為者は犯罪者あるいは逸脱者と見なされます。 日本では、法的には、自殺は犯罪ではありません。 (註13) かつては、自殺に対しては、社会的な差別や偏見もありました。 しかし、近年は、逸脱というより、被害者と見られるようになっています。 ここでは、生きるというライフコースから外れたという意味で自殺を逸脱と位置付けて話を進めていきます。 【失業と自殺〜アノミー型自殺〜】 デュルケームが『自殺論』を書いた1897年頃のヨーロッパは、1973年に始まる長期の不況から脱するため、欧州諸国がしのぎを削っていた時代でした。 彼は、成功の夢破れ、挫折し、絶望の中で死を選択するという自殺者の中に資本の時代におけるホモ・エコノミクス(経済人)の姿を見たのでしょう。 マートンもまた、1929年の「暗黒の木曜日(Black Thursday)」に始まる世界恐慌の中で、「社会構造とアノミー」 1938 を書いています。 渡部チームの「自殺の経済社会的要因に関する調査研究」は、1986年から91年にかけての「バブル景気」の中で20歳から40歳台を過ごし、その後の不況で自殺した世代に注目しています。 いずれも、好景気の中で欲求が膨れ上がり、その後に長い不況が始まり、職と財産を失った人たちをターゲットにしている点で共通しています。 失業から自殺(逸脱)への移行がアノミーの中で発生していることから、これを「アノミー型自殺」あるいは「革新型自殺」と呼ぶことにします。 このパターンの自殺は、不況と失業の時代に増えることが予想されます。 先ほども述べたように、2008年のリーマン・ショック後、日本における年間の自殺者数はしばらく3万人台が続きますが、2012年に2万人台になり、それ以降の10年間は減少が続きました。 安倍総理就任以降のいわゆる「アベノミクス」の金融・財政政策によって、長期的な好景気が始まり、雇用状況は改善しました。 同じ時期に自殺も減少していたので、失業率と自殺率との正の相関関係を指摘する論者は少なくありません。 景気回復で雇用が伸び、失業が減ったことが、犯罪認知件数や刑務所人口の減少に何らかの影響を与えたことも想像に難くありません。 たしかに、この10年の自殺の減少は失業との関係で説明することができます。 とはいえ、2006年頃から、厚労省を中心に始まった自殺防止対策 (註14)がなくても、景気が良ければ、自殺は減ったという経済決定論にはそう簡単に与することはできません。 (註15) 【儀式主義から逃避主義へ〜逃避主義型自殺〜】 新型コロナ自殺についても、失業が即自殺に結びつくかどうかについて疑問があります。 マートンの範型でいうと、アメリカは、お金への欲求を過度に強調し、お金のためなら手段を選ばないイノベーション型(革新型)の社会です。 しかし、日本は、大金持ちにならなくとも、法に触れず、真面目にやっていくことが、「清く正しく美しい」とされる儀式主義的傾向の強い社会です。 たしかに、「バブル景気」を経験した人たちの中には、億万長者を夢みた人たちがいました。 イノベーション型の出世を求め、それに挫折して自殺した人もいたでしょう。 しかし、ポスト・バブルの時代に「就職氷河期」を体験し、「ロスジェネ(失われた世代)」と呼ばれた世代の人たちは、好景気の最中にあっても、大企業の社長やIT長者ではなく、堅実な公務員を目指します。 地道な職業への志向性が強く、老後に対する関心も高いため、他人を押しのけても金持ちになろうという人は、あまり見当たりません。 ここ数年、「働き方改革」が提唱され、儀式主義は、ますます進行しているように思います。 やり甲斐よりも「生き甲斐」、出世よりも「福利厚生」を求める若者が増えています。 先日、このような報道がありました。 2020年4月30日夜、東京都の「とんかつ店で火災があり、店主の男性(54)が全身やけどで死亡した。 男性は東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれていた。 新型コロナウイルスの感染拡大で大会は延期されたうえ、店も営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観するような言葉を周囲に漏らしていたという」。 とんかつ店は創業50年の老舗。 店主は、高校を出て大学の夜間学部で学び、卒業後には大学院で修士号を取得しました。 商店街で中心的な役割を担い、地域への思いも強かったようです。 趣味はマラソン。 全国各地の大会に参加して、東京五輪の聖火ランナーに選ばれ、「夢のようだ」と喜びを語っていたそうです。 ところが、新型コロナの感染で五輪開催が危ぶまれるようになり、周囲に落胆の表情を見せるようになっていきました。 緊急事態宣言が発令され、飲食店の時短営業の要請を受け、臨時休業中だったそうです。 (註16) 【ポスト・コロナ社会の自殺対策】 彼は、お金への欲求を膨らませたイノベーター(革新者)ではありません。 法に触れず、毎日を一生懸命に生きてきた儀式主義者です。 その人が、家族や近隣に迷惑がかかることを覚悟で、放火で自殺を図った。 儀式主義者が逃避主義者へと変わった瞬間です。 逃避の形態が、アルコールや薬物の乱用・依存なら、専門家の治療や自助グループがあります。 ギャンブルやゲーム、SNSやスマホへの依存なら、回復支援が始まっています。 家庭内暴力(DV)や性問題行動、クレプトマニア(窃盗症)となると、司法の介入も止むを得ませんが、司法と福祉をつなげる試みが始まっています。 アディクション(嗜癖・嗜虐行動)は、「孤立の病」です。 逃避主義が自殺行動に転化してしまうことを回避するためには、人的ネットワークを基盤とするセーフティーネットが必要です。 レジリエンス(resilience)とは、心理学の用語で、外からの力が加わっても、また元の姿に戻れる力、すなわち、「自発的治癒力」を意味しています。 (註2)同ユニット「新型コロナウイルス感染症に伴う経済不況による『自殺者数』増加推計シミュレーション」(2020年4月30日)。 上掲ホームページ参照。 (註3) 「自殺者、10年連続減で過去最少に: 自殺率はG7で最悪」(2020. 17付nippon. comの記事) (註4) 渡部良一ほか『自殺の経済社会的要因に関する調査研究報告書』(2006年3月) 内閣府ホームページ (註5)Okun, Arthur M. 1962. "Potential GNP, its measurement and significance". Cowles Foundation, Yale University. (註6)Rusche, G. and O. Kirchheimer Punishment and Social Structure. Columbia University Press:1939;reprint 1968、〔邦訳〕G. ルッシュ=O. キルヒ ハイマー『刑罰と社会構造』法務資料306号、1949年) (註7)E・デュルケーム『自殺論』 宮島喬訳、中公文庫 1985年;改版2018年 (註8)D・リースマン『孤独なる群衆』(〔邦訳〕佐々木徹郎=鈴木幸寿=谷田部文吉訳、みすず書房、1955年;加藤秀俊訳、みすず書房、1964年;改訳版・同「始まりの本(上)(下)、同、2013年」 (註9)ポール・サイモン(Paul Simon:1941- )と アーサー・アイラ・ガーファンクル(Arthur Ira Garfunkel:1941- )。 映画『卒業』の挿入曲。 (註10) Merton, Robert K.. "Social Structure and Anomie". American Sociological Review. Vol,3, no. 5,1938, p. 672—682. (註11)Merton, Robert K. , Social Theory and Social Structure: Toward the Codification of Theory and Research, Free Press, 1949(〔邦訳〕森東吾=森好夫=金沢実=中島竜太郎訳『社会理論と社会構造』みすず書房、1961年) (註12)経済学者ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter: 1883-1950)は、企業者 entrepreneur の行う不断のイノベーション(刷新)が、官僚化した大企業と停滞した経済を創造的に破壊し、社会を変動させると考えた。 多数者にとってイノベーターは、煙たい存在です。 Schumpeter,J. ,Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, Berlin: 1911(〔邦訳〕『経済発展の理論:企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究』 塩野谷祐一=中山伊知郎=東畑精一訳(岩波文庫、1979年、全3巻)参照。 (註13)日本の現行刑法は、自殺自体は処罰していませんが、刑法202条は、自殺教唆・幇助(前段)と嘱託殺人・承諾殺人(後段)は、犯罪として処罰しています。 - 厚生労働省「自殺の状況をめぐる分析」 - 舞田敏彦「失業率とシンクロする自殺率の推移」(『News Week』 2019年1月9日(水)16時40分) (註14)厚生労働省「自殺対策」 (註15)前述のルッシェとキルヒハイマーの研究の問題点として、20世紀に入ってからは、労働市場と刑務所人口の相関が怪しくなってきます。 保護観察制度のような社会内処遇制度が登場して、緩衝材になっているとの指摘もあります。 また、1990年代のアメリカは、リーマン・ショックまで景気は悪くありませんでしたが、刑務所人口は増え続けました。 単純な経済決定論に与することには躊躇を覚えます。 (註16)「聖火ランナーのとんかつ店主、火災で死亡 生前は延期や新型コロナ影響を悲観」(毎日新聞2020年5月2日 01時01分 最終更新 5月3日 15時30分.

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現代社会が「アノミー」から脱するために ~アクセルを緩め、徹底議論する勇気を

アノミー 的 自殺

過去記事の再掲です。 自殺問題について、その理由をです!と説明しといて、そのあと何も説明しないのもあれなんで、詳しく説明をしとこうかなと思います。 長いこと書く書くって言って全然終わらなかった。 まともな記事が全然かけなかったなぁ。 物凄い日が空いた。 それぐらい力を込めたつもりです。 自殺っていうか、近代世界中の人間が直面する問題の根本がなので。 家内安全、子宝に恵まれ、あらゆる災厄から逃れられます。 というかこういう学問が導いた常識がどれくらい人口に膾炙しているんだろうな…。 これを教えない教育ってはっきりいってありえないんだけどなぁ…。 かの博士の受け売りですが、説明したいと思います。 まず、何を言ってもという言葉を作ったデュルケムと『自殺論』という古典的名著に触れないわけにはいかないでしょう。 いわずと知れたの泰斗ですね。 デュルケム氏はですね、素晴らしすぎて語りきれないんですよ、も五分の一くらいですからね。 一本しっかり書くとなると、まとめるのめんどくさいんですよ。 三時間以上は平気でかかるでしょうし、大好きだから中途半端でやりたくないガッツリ、精魂込めてやりたくなるから、放置してます。 【近代化とは何か?】 個人的な、あくまで私個人の、きのこる的な解説だということを踏まえたうえで読んでください。 そもそも近代化というのは何か?近代化って説明できますか?何、科学が発展したから近代化?ブーです。 近代化したから科学が発展したのであって、その逆ではありません。 ま、全くないとはいいませんが、前提はあくまで近代化があったからこそ科学や社会が発展した、今日的なものになったのです。 そのことを絶対混同したり、勘違いしてはいけません。 では迷信的な話でしょうか? お化けやら、神やらのストーリーで物事を捉えなくなったことが近代化なんでしょうか?これもまた同じく違います。 近代化というのは世の中の一時的な現象ではなく、手法の決定的な変化です。 近代化以後は絶対にそのな手法・様式、つまり今までやっていたやり方や方法に戻ることは絶対にないのです。 これをしっかり抑えてください。 もちろん例外一時的な退潮なんてのはいくらでも見られますけどね。 ブームとかたけのこ族のような一回 こっきりのムーブメントじゃなくて、一回そういうやり方になったら絶対後戻りしないんです。 テレビとか新幹線とか、一回普及したらもうず~っと続くでしょ?そういうことなんだとしっかり抑えておいてください。 近代化というものを一言で表現すると 頭脳と身体の切り離しなんですね。 選り優れた頭脳を集めて使う=企業のCEOとか、head quarter、軍隊の司令部などですね。 また官僚とか政治家もそうですね。 政治家は優れた人物が選ばれるとは限りませんが、その組織に応用されている発想は同じです。 より序列の高いものが集まって戦略を設定して、その都度その都度最高幹部会議で方針を決めて、命令を下す。 そして命令を受けた下部組織は、その命令をまんま実行する。 大前氏が『』で優れた組織とは集中と分散をより巧みに、効率的にできる組織だと指摘していたでしょ?ヒトでも、モノでも、最小限のパーツにいつでもわーっとばらばらにできて、必要なところにそのパーツをあっという間に集中させることができる組織が最も優れた組織です。 状況に応じて離合集散が巧みに行えるかどうかが企業経営の要諦であるのと一緒です。 つまりは私達が今暮らしている社会組織すべてが「近代化、官僚化された組織」だということです。 近代化されていない社会組織があるとすれば、家族と私的な友愛団体くらいですね 注友達関係のことです 目的合理的でない組織にはそんな上位下達必要ないですから。 【近代化は全てを変えた】 最も分かりやすい例で言うと兵隊ですね。 の五部でが兵隊は何も考えないって言ってたでしょ?兵隊、末端の人間は考える必要がないんです。 言われた事にしたがってればいいんですから。 というか末端の命令をただ遂行するだけの人間が、物事を考えていちいち異議を挟んだらどうなるでしょうか?組織は破綻しますよね。 命令が実行されないその部隊はあっという間に全滅するでしょう。 軍の部隊というのは一糸乱れぬ統率があってはじめてその力を発揮するものですからね。 命令をする人間は命令をするだけ、 実行する人間は実行するだけ明確に区別されるのです。 もちろん今の軍は特定の状況でどうするこうするというルール化を綿密に決めてますから、いついかなるときも逆らえないという意味ではありません。 必ずルールに基づいて責任、権限、役割が分担化されているわけです。 そしてそれは紛らわしいことがなく、どこまでも明確なものであるわけです。 そうじゃなかったら命令をきちんと遂行できないでしょ?効率が悪いでしょ?そして逆は真なりで、その近代的組織が他の何よりも 能率・効率的だからこそ世界の標準となっているわけです。 【がヒットしたのは現代の問題の本質をまさに抉り出したから】 あと、思い出したところで『』。 官僚制の欠点をまんま指摘したあの作品は官僚制だけでなく、その前提にある 近代化の欠点をまさにえぐりだしたんですね。 だからヒットしたんですよ、あれ。 作品のいたるところにそのテーマが見られますので、是非もう一度見返してみてください。 あの話は現場のことを全くわからない、エリートが不合理な判断を繰り返して、現場の人間が犠牲になって傷つく、そして死ぬ あれ?死んだかな?どうだったか?。 対照的にエリートは傷一つつかない。 失敗の責任も負わない。 部下が死のうが生きようが気にも留めない。 トップ首脳陣は私利私欲を追及するだけ。 確か映画で『末端の兵隊が死のうと関係ないというのか!』って筧さんが憤るシーンがありましたけど、まんまそのとおりなんですね。 あの作品は実は、 典型的な腐朽官僚制の話なんですよ。 どうしてあの映画がヒットしたかといえば、腐朽官僚制がありとあらゆるところで起こって日本の社会が機能不全に陥っているからです。 まさに危機の本質が何かということを肌で、実体験で理解しているからこそ、あの映画が受けて、 本能的に 共感を呼び、大ヒットしたのです。 やばい長い。 やっぱりね…。 本当はどうして近代化が起こったのかという興味深い、大事な話があるけど省略。 でも、デュルケムでも、でもどうぞ。 自殺の話とかの方が大事だから。 【近代化は共同体の連帯を破壊する】 近代化とは個人を前提とします。 共同体内部にいる成員、個人個人を完全に切り離して、独立した個人として扱うことが大前提です。 より 独立した個人化、この度合いが近代化の前提であり、資本主義発展の前提であるといえます。 法学者氏が、確か昭和初期でも田舎のほうでは所有権の明確な観念がなかったとおっしゃってますしね。 田舎にした人が、服を置いといたら勝手に売られたというさんの『天』のような話が川島氏の本にあったと記憶してますが、近代化以前の社会ではモノは個人のものではなく、所属する共同体全員のものとして扱われるのですね。 デュルケム氏が指摘するように 個人なんてものはどこの事例を探しても、近代化以前の社会にないのです。 刑法は個人の契約で取り決められたものではなく、神・宗教上の契約によって決まっているのです。 なぜなら神の命令を犯すことは共同体の秩序を乱すことと同義ですから。 きわめて厳しく罰せられるのです。 古代社会の宗教とは必ず共同体のルールにふさわしい形で発展してきたのです。 古代社会を観察してみると良くわかるように、宗教という社会システムはきわめて合理的なのですね。 社会の秩序を維持するために。 【近代資本主義=分業=独立した個人による生産】 こういう個人化、近代化をデュルケム氏は『魂なき専門家』・『分業』といったキーワードで説明しています。 近代化社会は当然効率が絶対です。 効率的に行うためには個人が分担して専門化することが最も効率がいいことです。 パン屋とか消防士とか、そういう職業だけではなく、機械工程を考えると良く分かるかもしれません。 自動車屋さんは一から車を作るでしょうか?物凄い数の部品の一つだけを徹底して作る。 そういう会社がいくつもありますよね。 会はそのような部品をただ生産する工場で成り立っています。 【教育は近代資本主義にふさわしい人間を作るためのシステム】 この効率化を近代教育、学校に同年代の人間を集めて集中的に行う。 こうすることで近代にふさわしい人間を教育するわけです。 卒業するころには立派に分業を前提とした職業にふさわしい人間になります。 教育によって社会化socializeの要請が満たされるわけですね。 近代化に学校・義務教育は不可欠であるということは重要な概念であるので頭に入れておくと良いでしょう。 【近代化の病、効率化の果ての連帯、つながりの破壊】 さて専門人を作ること、近代的自我を持った個人を作ることは経済的には良いことですが、その結果なにが起こるでしょうか?デュルケム氏は経済発展する地域で自殺率が著しく高いことに注目してなぜ自殺というものが起こるのか突き止めました。 それは近代化した個人が所属していた 階層classから解き放たれた結果、 連帯solidarityを失い、どこにも所属先をなくしてしまった結果だと見ました。 欧州は階層・階級の学問といっても過言ではないところがあります。 欧州が何よりも優れていた要因の一つに、この階層に注目して歴史を解き明かそうとしたものがあるからです。 はそのもっとも著名な例ですね。 を作り出したなどと一部では考えられていますが、彼の学績はすばらしいんですよ。 立派な研究がいくつもあります。 決して従わない人間は殺してしまえなんていってません。 【いじめ=連帯の喪失】 なんかわからんな~。 という人には単純に説明すると、いじめの結果、自殺することと考えてもらえるとわかりやすいでしょう。 何故いじめの結果自殺するのでしょうか?それは誰とも付き合えないからですよね?今まで付き合っていた友達が話をしてくれなくなる。 遊んでくれなくなる。 今まで所属している社会から浮いてしまうわけです。 社会との紐帯、結びつき、関係性のことを連帯といいます。 この連帯がなくなってしまうと人間は生きる意味を失うのです。 【互酬・贈与は絆、関係性を作るため】 人間が生きる意味・目的・目標はいろいろありますけど、還元すればたった一つの理由に行き着きますよね。 人や組織 共同体 と強く結びつくことです。 強い結びつき、 絆を形成することです。 愛情であったり、友情であったり、あるいは貢献・奉仕であったり、金銭・物品・名誉それらをやり取りすることで強い関係性を築くことです。 モースの『/』なんかそうですよね。 古くから、モノをやり取りすることで、異なる社会間を結びつける働きがあったって。 だからどんな社会でもモノをやりとりするんだって。 ちなみに彼女はデュルケムの姪です。 この叔父にしてこの姪あり。 彼女の著作も優れているので超お勧めです。 違った甥だ 笑。 誰か有名な学者の姪っていたな。 誰かと混同しちゃった。 誰だっけ? ちなみにコンビニでぶっきらぼうな接客態度に腹が立つ!ムカツク!って思う人がいるでしょう。 あれはお金と商品を通してやり取りする人間性、関係性を否定しているから腹がたつんですよ。 単なるモノとカネのやりとりしかない。 贈与・交換の本質を否定しているから、腹が立つんですね。 自分の人格を否定されたような気がして。 【名誉という名の連帯を求める、あとファン】 だからなんて簡単に説明つくんですよ。 国のために奉仕をすることが最高の名誉になる。 おお!君の働きが国家にとってためになった!名誉を称えて勲章を授ける!なんて言われれば、自分の行動が所属する共同体に認められた証が生まれるのですから、最高の名誉です。 行動の代償に、プライドをもらうのですね。 この感情・感覚はファン精神と似ています。 そのアイドル・俳優が好きだから、いくらでも応援する、金銭・時間を費やす。 その代償としてありがとうという感謝を得る。 傍から見ているとなんであんなバカなことに熱狂をするのだ?とおもいますが、それだけ対価を払ってでもいい魅力的なものだというわけですね、ファンにとっては。 金・時間を払うこと、またはファンクラブなんかで支援をしたり、ブログ作って宣伝することは、その人と 紐帯・連帯を築く行為なのです。 だからこそ行えるのですね。 それと同時にファンは裏切られると暴走しますよね。 生きる限り、人間は何かと結びつきます。 とはこの 喪失なんですね。 anomieは。 こっちのほうがわかりやすくていいと思うんですけどね。 規範とは、ちょっと長くなるのでこの文章上にあうだけの説明をしますが、人生の目標、生きる上での目的と考えてください。 つまり、なにと結びつくべきか!何のために生きるべきなのか! そういった人間にとって一番大事なことを失った状態がなのです。 夢や目標があれば、人間はどんなにつらい状況だろうが自殺なんかしません。 むしろ逆に、やる気満々となって立ち向かうでしょう。 資本主義の精神、そのまんま禁欲的行動でその目的に向かって突っ走ります。 一心不乱に、まっしぐらです。 猫まっしぐらです。 ペディグリーチャムです。 【近代以前、一義的だった人生の目的】 昔の社会は強い集合意識がありました。 共同体への帰属意識が巌のように万全として聳え立っていました。 それを犯すなんてとんでもない!それを捨てるなんてとんでもない!という空気支配の社会でした。 今でも日本はニューマ・空気・ムードが非常に強い社会ですがね。 集団の欲求に答えてあげれば、個人の目的が簡単に達成されるのですから、個人の生きる意味は 単純かつ明確で、先進国のような社会に比べてはるかに精神的な欲求・幸福感が満たされるんですね。 集団への帰属、集合意識のルールを守ってさえいれば、集団から生きる意味を保障されるんですから。 あの人は立派だ、凄い人だってね。 夢とか目的、目標はその集団への奉仕で十分なんですから。 ダメな人間でもその集団内で面倒見ることが保証されているので弱者も当たり前の存在として、まあ救済されますからね。 ネパールが幸福感が非常に強い社会ですよね。 それは個人の生きる意味が非常に 単純で明確だからです。 多様な生き方、独立した目的を達成しなければ!なんてことがないので、非常に満足度が高くなるのですね。 社会が決まりきった役割、単純な役割の欲求をするから、それを満たすのはさほど難しくない。 それで十分他者から尊敬を得られる。 それで十分人間は幸福なんです。 社会なんか身分と役割がハッキリしてますよね?父はこうしなさい、母はこうしなさい、子はこうしなさい、男は…、女は…、君子は…。 そういった明確な基準がハッキリしているわけです。 これを守った人間は社会から立派な人間だ!とほめられる賞賛が与えられるでしょ ?これを守れば社会から認められる、他者の尊敬が得られる。 ほら幸せになった。 テストで100点取りさえすれば、頭が良い!と判断されるみたいに、基準が非常に明確なんです。 社会の要請が単純だから、悩むことなんてないんですね。 悩むとしたら自己の環境上、その要請が果たせないことに悩むわけです。 そこに絶望を抱くわけですね。 近代化以前の社会が崩壊するときはそれが満たせなくなった動乱期だけなんです。 【多用な社会感、あやふやな人生の意義】 今の社会を見れば、わかるように、私たちはまずその基準自体を求められていますね。 女性のファッション誌なんて読みませんけど、最もそういうプレッシャーを受けているのは女性でしょう。 女はいかにあるべきか!という特集がいかに多いか、書店に氾濫する女性誌を見れば一目瞭然でしょう。 仕事ができる女はステキ!カッコイイママ!あとは恋愛・趣味・遊びとか、大体特集組んでいますよね。 読者のニーズにこたえるというよりはそれをしなければ女じゃないよね?といった社会的プレッシャーを作り出しているようにしか思えません。 これが年頃の娘の読むようなものか?とビックリしてしまうようなSEX特集なんて若い娘の雑誌にあるでしょ?あれは肉欲も満たさないと幸せじゃないよね?という風潮を作り出している。 またそれが生まれているという表れ以外の何者でもありません。 『』なんかそうですよね。 逆にそれについて行けてないわが道を行け!っていうのが『干物おんな』ですよね。 あれも脱干物しちゃいましたけどね。 ちなみに押尾事件のように麻薬・SEXに溺れるのも、また博打・犯罪に走るのも喪失感を生めるためです。 仲間内で連帯を作るためです。 少年非行ってあるでしょ?あれは自分たち仲間内部だけでのルールを作る、犯罪を共有して、秘密を共有することで連帯を形成するのです。 そうやって仲間を作る。 仲間が出来れば連帯ができるから、その仲間内での連帯によって、自我を形成 できるわけです。 だから昔はオレも悪だったよ、やんちゃしたよ的な元ヤン非行グループがあっさり落ち着くというのは、彼らの少年犯罪は連帯こそが第一なので、連帯が生まれればあとは成人して自然と「卒業」して犯罪をしなくなるのです。 社会が求めているものすらがあやふや、つまりは他者からの尊敬を十分に得られにくい社会であるということです。 一昔前に「自分探し」なんて言葉が流行ましたが、よっぽど才能のある人物、特別な人間でない限り、そんなを見つけ出すことはできない。 「自分探し」は社会の評価探しでもあるわけです。 そして未だにそれは見つからないわけです。 見つけた先駆者がどれだけいるでしょうか?何も見つけられないのが現状ではないでしょうか? 【目的を見失うと、人間は正常な判断ができなくなる】 どこにいけばいいか分からない、社会がどこに行き着くか分からない、どうなるかわからない。 まさにここに極まれりです。 別に難しいことがわからなくても身近に連帯を感じる人間、集団、帰属先があれば、人間は絶望してになることはないわけです。 日本の教育、社会システムはを量産する人間の心を破壊するまことに効率の良い教育です。 イヤ 狂・凶育ですね。 「逝く」の方に近いかもしれません。 近代化した社会は規制・共同体の連帯が緩んで分業化された、独立した個人が氾濫する。 その個人に義な帰属先を見つけなくてはならない。 どこにも行き場所がない、誰も頼りになる人がいない。 これが現代いかに多いことか!この状況を打破しない限り、自殺でも、ひきこもりでも、でも、カルト宗教のテロでも何でも起こります。 人間が頭をなくした部品化したことこそ問題の核心なのです。 それを無視して、を無視して社会の諸問題を語っても何の意味もありません。 【まとめ】 最後に今一度、近代経済は発展するにつれて必ず、昔からあった人間のつながりを分断する。 会は絆が失われやすい。 絆がない人間は狂人になる。 狂人があふれる社会が健全なはずはない。 日本の教育システムはその欠点を理解していないから、まこと見事に狂人を育成する。 是正するどころか助長するという最低・最悪のシステム。 まことに鬼畜悪魔の所業なり。 解決策は色々あるでしょうが、長いのでこの辺で。 デュルケム読んだら早いですよ。 わからない人は質問ご自由にどうぞ。

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