おお つつき 一族。 【相関図】犬塚 一族/犬塚ツメ 、ハナ、キバ。∑(´Д`)

大筒木カグヤは宇宙人?どこから来たの?君麻呂との関係や最後に賛否?

おお つつき 一族

概要 [ ] 職掌 [ ] 「大伴」は「大きな」という意味で、名称はに直属する多数のを率いていたことに因む。 また、祖先伝承によるとや等の軍事的を率いていたことが想定されることから、と共にのを管掌していたと考えられている。 なお、両氏族には的な大伴氏と、的な物部氏という違いがあり、大伴氏は宮廷を警護するやのような役割を負っていた。 根拠地 [ ] 古来の根拠地は・の沿岸地方であったらしく 、の「住吉の宅」があったほか 、『』でも「大伴の御津の浜」 「大伴の高師の浜」 と詠われている。 住吉はの重要な港であったが所在したところであるし、「御津」は、「高師」は現在の一帯のことである。 一方で、遠祖・がでの功労により築坂邑に宅地を与えられたとの『』の記述や 、大伴氏の別業が同国跡見荘にあったこと等により、のちに根拠地を大和国の・高市地方に移したものと想定される。 歴史 [ ] 全盛期 [ ] 後半に現れた大伴氏の最初の実在人物とされるが朝でとなり 、それまでに参画して勢力を誇っていたに替わって大伴氏が急速に台頭する。 朝で大連となったの時代が全盛期で、その後・・・まで5代にわたって大連を務める。 この間、金村はからを皇嗣に迎え入れるなどの功績により、ヤマト王権内に確固たる地位を築いた。 しかし、の運営を任されていたところ、欽明朝における4県のへの割譲策について、同じ大連の物部氏から失政として咎められて失脚し 、(現)の邸宅に引退した。 以後、との対立の時代に入る。 飛鳥時代から奈良時代 [ ] しかし、大伴氏の力はまだ失われておらず、・・は大将軍や大夫(議政官)に任ぜられ、の後の5年()にはがになっている。 また、元年()に発生したの時は長徳の弟にあたる・兄弟が兵を率いて功績を立てている。 以後もまでのにおいて、まで昇った・・以下、多数のを輩出した。 一方で、大伴安麻呂・大伴旅人・・などのも多く世に出している。 ほかに、を務めたは独断でをからさせて日本へ導いている。 政争への関与と衰退 [ ] 大伴氏はから前期にかけての政争に関わって一族から多数の処罰者を出し、徐々に勢力が衰えていく。 6年()に発生したでは、と親しかった大伴旅人が事件前後に一時的ににされる。 その後、奈良時代中期の政権下において、9年()ので、大伴古麻呂が、は(後に復帰)に処される。 また、大伴家持は別途藤原仲麻呂の計画に関わっていたとされ、8年()に左遷されている。 その後、家持は2年()に発生したにして解官の憂き目に遭いつつも、最終的に朝初頭ににまで昇った。 3年()桓武天皇はへのを実行する。 大伴氏はこの政策に不満を持っていたとされ、遷都の責任者であった中納言・を暗殺する事件()を起こす。 乱後、大伴古麻呂の子・は首謀者として死刑、直前に没していた家持も除名された。 なお初期には、初代・となってで功績を挙げに昇ったや、暗殺事件の首謀者・の子として若くしてとなるも、恩赦後に内外の諸官で業績を上げてに任ぜられたとを輩出している。 また、14年()(大伴親王)がするとそのを避けて一族は 伴(とも)と氏を改めた。 9年()に発生したではが首謀者として流罪となり、による他氏排斥で伴氏も打撃を受けたとされるが、実際に五位以上の氏人でした者はいなかった。 その後、国道の子・がの知遇を受けて頭角を現し、朝の6年()には旅人以来130年振りにに昇る。 しかし、貞観8年()に発生したでは善男・父子が首謀者とされてその親族が多数流罪となり、伴氏の公卿の流れは断絶してしまった。 平安時代中期以降 [ ] 2年()にが6ヶ国の国司を勤め上げて72歳にして参議に任ぜられ、伴氏として75年振りに公卿となる。 保平は高齢を保ち4年()にまで昇り、翌年には姓にするが、結果的に伴氏としては最後の公卿となった。 平安時代前期には、と並んでを伝える家とされたが、の台頭とともに伴氏は歴史の表舞台から姿を消していく。 その後は以下の家が伴氏の後裔を称した。 鶴岡社職家・・・が初代となって以降、その社職を継承。 の後裔を称したが 、の弟であるの後裔とする系図もある。 ・・・の。 にはがとしてと争うが、子孫は島津氏に臣従しとなった。 出自は明らかでないが、伴姓を称し、伴中庸に繋げる系図がある。 三河伴氏・・・の豪族。 後期にがで活躍した。 ・ ・ らに繋げる系図がある。 甲賀伴党・・・の豪族。 のちを称し、にを出している。 三河伴氏の一族。 伊豆伴氏・・・平安時代後期にを歴任。 伊豆権守(か?)・の娘はの母とされる。 伴善男が伊豆国への配流後に儲けたとされるに繋げる系図がある。 小野家・・・でを務めた。 のは・主殿助。 の後裔を称した。 尾崎家・・・家のを務めた地下家。 江戸時代の極官は・。 江戸時代後期には81歳の長命を保ち従三位に叙せられた。 また、はの勲功によりにされている。 伴善男の後裔を称した。 市部氏・・・とも呼ばれ、にその一族であるの系統。 支族にがある。 系図 [ ] 『』掲載の「大伴氏系図」 が知られているが、の子をとするなど誤りが多い。 またの子をとする「伴氏系図」 も不正確である。 、従来の大伴氏系図とは別系統の「古屋家家譜」 が公開された。 田中卓は従来の大伴氏系図が「むしろこの家譜によって訂正、或いは補充される箇所が少なくない」 とし、も「古態を留めたきわめて資料的価値の高いものである」 と評価している。 『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会,)も『古屋家家譜』の内容を採用している。 , p. 1229. 佐伯[1994: 111]• 『』欽明元年9月己卯条• 『万葉集』1-63・68• 『万葉集』1-66• 『日本書紀』神武紀• , p. 1230. なお、瀬川尚紀は『日本書紀』には大伴氏の記録による室屋や金村の顕彰記事が採用され、特に金村については継体天皇擁立への関与を疑問視して大連就任も同天皇の即位後とする。 なお、金村の失脚理由について、実際には即位していない安閑・宣化と欽明の帝位継承争いに巻き込まれたと、は主張していた。 「鶴岡社職系図」『続群書類従』巻第182所収• 『百家系図』巻59,大伴宿禰• 「肝付家譜」『薩隅日地理纂考』肝属郡内郡高山郷条所収• 「伴氏系図」『』巻第182所収• 鈴木真年の著作による。 宝賀[1986: 822]ではこの説に従っている。 鈴木真年『百家系図』巻第59,大伴宿禰• 太田[1963: 3362]• 『伊豆志稿』• 「大伴氏系図」『』巻第182所収• 「伴氏系図」『』巻第182所収• 『甲斐国一之宮浅間神社誌』 ,pp278 - 300。 )資料篇所収• 『田中卓著作集6』国書刊行会 ,p. 160• 『古代氏族の系譜』 ,p. 同著で溝口は「古屋家家譜」を詳細に分析している。 参考文献 [ ]• 「大伴 オホトモ」『』第1巻、、監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、1229-1237頁。 『姓氏家系大辞典』(、)• 編『日本古代氏族事典』(、)• 『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、)• (冒頭でと共に言及されている)•

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オハツキイチョウ

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来歴 [ ] 出身。。 芸名はデビュー当時の大阪の有名レコード店である「大月楽器店」と「ミヤコ」にちなんで名づけられた。 に『母恋三味線』でデビューし、デビュー20年目にしてのヒット曲『女の港』で()に初出場を果たした。 大月が紅白初出場を果たした第37回の紅白では、同じ年にデビューしたは22回目の出場で、デビュー22年目にして檜舞台の紅白に登場した大月を激励した。 以後、までに10回出場。 には『』で第34回日本レコード大賞を受賞。 に東京プリンスホテルで「歌手生活40周年を祝う会」を開き、同年には最新曲まで全シングル198曲を収録した12枚組ボックス企画『大月みやこシングルコレクション「あゆみ」』(別名: 『大月みやこ大全集』)を芸能生活40周年記念作品としてリリースした。 、東京の世田谷キャンパスで自身初のライブを行った。 、表彰。 4月、を受章。 同年11月、。 ディスコグラフィ [ ]• 母恋三味線 (1964. 希望の太陽 (1964. 潮来舟 (1964. 大人ッてやーネ (1964. 風っこ郵便 (1965. 花笠月夜 (1965. ひなげし小唄 (1965. 夕陽の波止場 (1965. おもかげ波止場 (1965. 旅の空だよ (1965. 1) 作詞:/作曲:白石十四男/編曲:白石十四男• 三日月船頭 (1965. 東京しぐれ (1965. 大阪夜霧 (1966. 陽気な渡り鳥 (1966. なさけ船 (1966. 東京百年おどり (1966. 1) 作詞:矢野亮/作曲:/編曲:細川潤一• 麻雀小唄 (1966. 夫婦漫才 (1966. なみだ星 (1966. 島は私の故郷よ (1966. 涙ぎらい (1966. 銀座川 (1967. ひなげし哀歌 (1967. 横堀川 (1967. 東京夜霧 (1967. 愛してちょうだい (1967. いらっしゃいませ銀座 (1967. 奥能登ブルース (1968. 慕情の町 (1968. 新船橋音頭 (1968. 波止場がにくい (1968. 胸に手をあて (1968. 信じられないの (1968. 泣きはしないわ (1969. あなたの指 (1969. 甘えていたい (1969. 祇園格子 (1969. 通天閣の子守唄 (1970. 横浜のためいき (1970. 好き好き いやいや (1970. 岬は雨ね (1971. 女ごころの釧路川 (1971. きもの (1971. 浜木綿のワルツ (1971. みれんの酒 (1972. 愛染パラパラ (1972. 妻となり母となるも (1972. サラリーマン小唄 (1972. 宮崎ブルース (1973. 十三夜 (1973. 信じていいかしら (1973. 別れてひとり (1980. 大阪ごころ (1981. 大大阪音頭 (1982. 大阪ふたりづれ (1982. 今夜はふたり (1983. (1983. ノムハムニダ(あんまりです) (1985. 大田ブルース (1985. 愛してます(サランヘ) (1985. とまり木の花 (1985. かくれ宿 (1985. ふたりの灯 (1986. (1986. 根室海峡 (1986. 津軽海峡 (1986. (1987. (1988. 浪花の灯り (1988. こぼれ酒 (1988. (1989. 花宴(はなまつり) (1989. (1990. 今はこのまま (1991. 冬の華 (1991. 女の子守唄 (1992. (1992. 冬の駅 (1993. 恋ものがたり (1993. 去し方の宿 (1993. 22) 作詞:星野哲郎/作曲:船村徹/編曲:丸山雅仁• (1994. 名残りの花 (1994. 愛愁 (1995. 夜の雪 (1995. (1996. 花しずく (1996. 女の涙 (1997. 花くれないに (1997. (1998. 涙かさねて (1998. 燃える恋 (1999. 恋しぐれ (1999. 月に咲く花 (1999. 東京しのび逢い (1999. 京都ひとり (2000. 水仙 (2001. おしず (2001. 30) 作詞:池田充男/作曲:鈴木淳/編曲:池多孝春• 夢つづり (2001. 巡る愛 (2002. 心の駅 (2003. より添い花 (2003. 月の海峡 (2004. 千年の花 (2004. 女ひとりの日本海 (2005. 幸せ明日も (2005. 恋文の宿 (2006. 乱れ雪 (2006. ひとり語りの恋歌 (2007. 信じています (2008. (2008. 儚な川 (2009. 心ひとすじ (2010. (2011. 女の哀愁 (2012. 女のかがり火 (2013. いのちの海峡 (2013. ひとり越前~明日への旅~ (2014. 霧笛の宿 (2014. 愛のかげろう (2015. 紅の傘 (2016. 紅ひとり (2017. (2017. 母なる海よ (2018. 海鳴りの駅 (2018. せめてもう一度 (2019. 涙川 (2019. 氷雪の岬 (2020. (日本テレビ)• (フジテレビ)• (テレビ東京)• (、2010年11月18日、2014年12月20日、2015年12月14日) - 受賞出演• (テレビ東京)• (NHK BSプレミアム)• (NHK総合)• (NHK総合)• 」大月みやこトリビュート ほか テレビドラマ [ ]• 第742話「競馬人生」(NETテレビ) - 幸子 役• 「カラオケ教室殺人事件」(テレビ朝日) - 主演• 「」(TBS系) - 特別出演 ラジオ [ ]• 対戦相手の歌手名の 内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある はトリ等を務めた回数を表す。 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。 コラム [ ]• 「」 交遊抄(2007年3月31日) 脚注 [ ] [].

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アニメ ボルト 感想 大筒木(おおつつき)、襲来!!

おお つつき 一族

概要 [ ] 正史で最初の大臣と見なされているのはの時代のである。 その後は、武内宿禰の後裔(、、、など)が大臣の地位を継いだ。 『』では、武内宿禰一人が成務天皇、、、の四世代の天皇に大臣として仕えたとされている。 あまりに長寿とされたため、架空の人物と見なす説もあるが、実際には成務天皇から仁徳天皇までが三世代であり、同書における武内宿禰の活動も武内宿禰との親子を、一人の人物として合体したものと見る説もある。 大臣は、各大王の治世ごとに親任され、からまでの治世に当たる5世紀中期にはが、からまでの治世に当たる5世紀後期にはが、の治世に当たる6世紀前期にはが、からまでの治世に当たる6世紀後期から7世紀初期にはが、それぞれ大臣に任命された。 蘇我馬子がであるを討った後は大連制が事実上廃されたために馬子が単独の執政官となり、以降は蘇我氏が政権の中枢を担うようになった。 また、によるの制定時、馬子は太子とともに推古天皇の王権を代行する授与者の立場に回ったことで蘇我氏の大臣は被授与者である群臣とは別格の政治的地位を築いた反面、群臣合議から乖離した結果、他の豪族たちからは孤立して後に蘇我氏宗家が滅亡する遠因となったとする指摘もある。 推古天皇の晩年、大臣は(馬子の子)が跡を継いだ。 の治世に当たる、蝦夷は息子のに大臣の冠である紫冠を授けて独断で大臣の地位を譲った。 大臣の地位のみが冠位制に拘束されず、旧来通り認められることは内外の反発を招いた。 、いわゆるにより、蘇我入鹿は暗殺され、父の蝦夷は自死し蘇我氏の隆盛は終わった。 この事変の直後にしたは、大臣に代ってとを置き、権力集中の防止を図った。 ただし、新しく左右大臣に任じられた・に授けられていた冠は従来の大臣が着用していた紫冠であったと考えられ、に大臣にも(前年に制定)に基づく冠を与えようとしたところ、左右大臣がこれを拒んで旧冠(紫冠)を着用し続けた(『日本書紀』大化4年4月辛亥朔条)とあることから、初期の左右大臣は群臣合議体の一員に戻りながらもなお旧来の大臣の影響を残していたとみられている。 左右大臣を冠位制に基づく官人秩序に組み込むことが実現するのは、阿倍・蘇我が死去した以後のことである。 大臣の一覧 [ ]• ・・・・・・の大臣。 ・・・の大臣。 丸邇之比布禮能意富美。 ・・・・・武内宿禰の曾孫。 ・の大臣。 (大前小前宿禰大臣)・・・の大臣。 ・・・・・・の大臣。 ・・・の大臣。 ・・・、の大臣。 (嶋大臣)・・・蘇我稲目の子。 ・・・の大臣。 (豊浦大臣)・・・蘇我馬子の子。 ・の大臣。 ・・・蘇我蝦夷の子。 皇極天皇の頃に、蝦夷が独断で入鹿に大臣を継がせたとされる。 記紀以外の大臣 [ ] 『』によれば、最初の大臣はの申食国政大夫であったの遠祖・とされ、その後も一族が大臣の地位を継いだとされている。 『先代旧事本紀』にある懿徳天皇から成務天皇までの大臣の名は、『日本書紀』では皇后の父兄として登場するが、大臣とは見なされていない。 諸氏の系図史料や『』や諸神社の伝承では、成務天皇から仁徳天皇までの四代の時代には、武内宿禰以外にも、、、、、、など複数の人物が大臣として名を連ねている。 ・・・・・2年3月に大臣(もとは申食国政大夫(4年4月))• ・・・・・出雲醜大臣命の弟。 元年7月に大臣• ・・・・・出石心命の子。 大矢口命。 大矢口根大臣命。 ・・・の三世孫。 孝昭天皇31年1月に大臣 (または孝昭の頃に )• ・・・・・高倉下の六世孫。 孝昭天皇の大臣 (ただしには無い)• ・・・・・出石心命の孫。 8年1月に大臣• ・・・・・鬱色雄命の弟。 8年1月に大臣• ・・・大綜杵命の子。 開化天皇8年2月に大臣• ・・・・・伊香色雄命の子。 元年に大臣 、または、垂仁天皇23年8月に大臣、同月に大連• ・・・伊香色雄命の甥。 (36年8月条に「大臣物部胆咋宿禰」の記述)、元年1月に大臣(3年1月にはが大臣) の大臣で、後にとされる• ・・・中臣栗原連、津嶋直、三間名公の祖• ・・・・・仲臣雷大臣 の六世孫。 ?・・・新羅の王族のの失言が発端となり、倭国が新羅に侵攻する。 新羅は敗北し、于老は処刑された。 の代になり、残された于老の妻が倭国大臣を饗応すると見せかけて殺害し、復讐を果たす。 (鏨着大使主) ・・・(の祖)の子。 に、しとぎ餅を奉ったとされる。 子の人華(仲臣)はらの祖。 ・・・・・物部武諸隈の孫。 応神天皇40年に大臣• (尻綱根命)・・・応神天皇の大臣、を賜り大江大連となる• ・・・尾綱根命の子。 の大臣• (服部弥蘇連)・・・・・の一族。 「オホマヘツキミ」論 [ ] 以降、 や から「大和朝廷の職制として存在したのは大臣だけで、大連の職制は存在しなかった」「大臣は"オホオミ"ではなくマヘツキミ(後世の大夫・卿に相当する人々)によって構成される氏族合議体の主宰・代表者である"オホマヘツキミ"であった」とする大臣のみがヤマト王権の最高執政官の役を担ったとする説を唱えた。 黒田や倉本の説はヤマト王権における豪族たちの集団が大臣を筆頭にする律令制の太政官へ移行していく過程を説明している反面、大臣(オホマヘツキミ)と姓(カバネ)の関係性や『日本書紀』に大連と記されてきた大伴氏や物部氏の政治力が過小評価されるという問題点も抱えていた。 この大臣=「オホマヘツキミ」とする考えに対して、大連も"オホマヘツキミ"であったとみる や 、大臣は"オホオミ"が正しいとする("オホマヘツキミ"と訓読され始めたのは律令制成立前後とする)一方で大連は連の姓を持つ大臣に対して『日本書紀』の編纂者が付与した称号(大伴金村や物部守屋ら歴代の大連は大臣に任命された連姓である)で大連という職があった訳ではないとみる などの反論がある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 「」『古樹紀之房間』、2007年。 応神記。 宮主矢河枝比売の父。 系図・伝承ではの弟、または同一人物。 『新撰姓氏録』和泉國・神別・天神「榎井部」項より• 『』45巻、列伝「于老」より。 の伝承• 『』の応神四十年正月• 『播磨国風土記』讃容郡中川里・弥加都岐原• 倉本「氏族合議制の成立ー「オホマヘツキミ-マヘツキミ」制ー」『日本古代国家成立期の政権構造』吉川弘文館、1997年(初出は1991年)• 佐藤『古代日本の大臣制』pp17-18. 篠川「物部氏の成立」『東アジアの古代文化』95号、1998年や同『継体天皇』吉川弘文館〈人物叢書〉、2016年など• 加藤『大和の豪族と渡来人-葛城・蘇我氏と大伴・物部氏-』吉川弘文館、2002年• 佐藤「大臣制の成立と日本古代の君臣秩序」『古代日本の大臣制』塙書房、2018年.

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