プロレス まとめ。 新日本プロレスだけじゃない!?国内プロレス団体の近年のビジネス変革をまとめました!!

新日本プロレスだけじゃない!?国内プロレス団体の近年のビジネス変革をまとめました!!

プロレス まとめ

「プロレスとは『底が丸見えの底なし沼』である」 井上義啓 元週刊ファイト 編集長) 「プロレス」とは原則的に筋書きのある闘いですが、時にはそうではない戦いが出現します。 本気でやりあってしまう 「ガチンコ」「シュート」「セメント」。 何らかのミスにより「決まっている結末」に導かれない 「事故試合」。 さらには確信犯的な 「ブック破り」など・・・それらは 【不穏試合】と称され、プロレスファンの間では、そんな「危ない試合」に関する「謎解き議論」が、日々尽きる事がありません。 ここでは知る人ぞ知るプロレスマニアであり、さらにはこの「不穏試合」という言葉の生みの親であるコロマロ(実話)が、数々の不穏試合をご紹介していきたいと思っております。 力道山対木村正彦 昭和の巌流島 元祖不穏試合 1954年に行われたプロレス日本選手権【力道山対木村政彦】。 木村の前蹴りが下腹部に当たった事に激高した力道山が、張り手の猛ラッシュで木村を完全KOした。 そもそも引分けになるはずだった試合で覚書も存在しています とはいえ力道山側の著名捺印はされておりません。 この試合の背景に関しては今も色々な説がありますが、試合そのものは、典型的な「片方がプッツン」したパターンの試合でありまして、個人的に言わせてもらえば、あまたの「陰謀論」はあまりそぐわない試合に感じられます。 動画を見る限り『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』などに代表される「実際に最初から真剣勝負をやれば木村が絶対に勝つはず」というような意見には非常に疑問が湧いてきます。 とにもかくにも二人の体格差がありすぎます。 そして不意打ちだという面を差し引いても、木村選手が力道山選手の怒涛の打撃攻撃というものに、本当に全く対応できていないのですね。 そのことが強く印象に残るのです。 そしてこれを視る限り、もし最初から互いにガチンコでやっても、この力道山選手のラッシュを避けて、木村選手が組み技や寝技に持っていく事は不可能だったのではないかと感じさせられます(実際に木村選手は2度タックルを切られています)。 木村氏の力道山に対する恨みは相当深かったようで、力道山が暴漢に刺されて亡くなった際、木村氏は 「私の怨念が力道山を殺したのでしょう」と語ったとされています。 馬場正平(G馬場)VS ミスター珍 ジャイアント馬場の新人時代 馬場がまだ本名だった1961年に行われた【馬場正平対ミスター珍】。 初戦で失神KOさせられたミスター珍が、 再戦で馬場の胸に噛み付き食いちぎるという報復を行った。 初戦では新人の馬場選手が蹴りの加減を間違えてしまい、珍選手ががいびきをかいて昏倒し病院送りとなってしまいました。 あくまで事故試合だったのですが、先輩の珍選手はそれに怒り、再戦でシュートを仕掛けたという 不穏試合の二重構造になっているのです。 この試合で負った馬場選手の傷は生涯消えないものであり、その後のプロレス観に大きな影響を与えたとされる試合です。 そして馬場選手の「シューティングを超えたものがプロレス」という基本理念の基にもなっています。 ジャッキー佐藤VS神取しのぶ(忍) フル動画公開で議論再熱 1987年の【ジャッキー佐藤 対 神取忍】。 握手から綺麗に始まった試合だが、開始直後から神取がナックルの連打で追い込み、グラウンドでも一方的に関節技で圧倒していった(ジャッキーは一時、試合放棄状態に)。 最後は腕がらみで神取が完勝。 ジャッキーはこの試合を最後にプロレス界を去っていった。 当時、もともとギャラ問題でもめていた両者でしたが、そんな中で、目の怪我で負傷欠場を訴えた神取選手のことを、「ワガママ」と捉えたジャッキー選手が、その日のタッグマッチにおいて、制裁含みの打撃攻撃を敢行するという事件が勃発したのです。 それにより両者の関係は決定的に悪化しまして、神取選手はフロントにジャッキー選手とのシングルマッチを要求します。 そしてそれがすんなり実現してしまったという試合ですね。 正直、試合を組んだフロントがどうかしているとコロマロは思います。 この試合については 「あのおっかないジャッキーさんをやっつけたというのだから、神取というのは凄い奴なんだなと思っていた」と北斗晶が証言しているのも興味深いですね。 北尾光司VSジョンテンタ 暗黒のSWS神戸大会その1 1991年の【北尾光司対ジョン・テンタ】の2連戦の2戦目。 試合序盤から不満顔の北尾が喉輪などの危険攻撃を繰り返し、途中からはサミングポーズのままテンタを威嚇。 最後は間に入ったレフリーに暴行し反則負けになった。 試合後、北尾選手はリング下から 「お前なんて八百長じゃねえか!八百長野郎!」とおきて破りのマイクアピールします。 それにより北尾選手はSWSから解雇されました。 相撲時代の実績は横綱だった北尾選手の方が、三段目で廃業したテンタ選手よりも圧倒的に上でした。 それゆえ、北尾選手からすれば、そんな格上の自分が2連敗するという筋書きはとても受け入れがたかったのです。 さらにそのストーリーを書いたのが、同じく相撲出身のカブキ選手だったという事が、この北尾選手の不満をよりいっそう高める要因になりました。 実はこの試合において、テンタ選手はほとんど何もしていないのですが、噂が噂を呼び「日本でとんでもないシュートマッチをした」と、アメリカで一目置かれるようになったらしいですね。 13 船木選手のYoutubeによると、試合後のバックステージにSWS田中社長夫人が現れ、「なんなんですかこの試合は?」と文句を言ったところ、北尾選手は「うるせえババア!」と椅子を投げつけて、危うく夫人に当たりそうになったとの事です。 やっぱり北尾選手はとんでもないですね。 スポンサーリンク キラー・カーンVS藤原喜明 テロリスト前年の不穏試合 1983年の【キラーカーン 対 藤原喜明】。 前座レスラーだった藤原が、当時のトップスターだったキラーカーンに関節蹴りなどの危険攻撃を仕掛ける。 カーンは全く対処できず右往左往するのみで、その不穏な様子に気がついた長州とマサ斉藤が突如乱入し、試合を強引に終わらせた。 藤原選手がテロリストとしてブレイクする前年の話でありまして、いち前座レスラーに対し集団で襲い掛かる維新軍団の様子は、とても不自然なものでした。 これはモンゴリアンキャラでブレイクしたカーン選手が、持ち前のビックマウスぶりで調子に乗っているところを前座の鬼が制裁したとされる試合なのですが・・・ 実際はカーン選手が他の試合で入場する際に、 セコンドの藤原選手が階段を逆さまに取り付けてしまったことがトラブルの発端なのです。 カーン選手が「俺に嫉妬してわざとやったのだろう」と暴言を浴びせた事により藤原選手がプッツンし、マッチメイカーだった坂口選手 カーン選手と不仲 に直訴して、この試合が実現してしまったそうです。 ちなみに現在は和解しておりまして、藤原選手はよくカーンさんの店に飲みに行くらしいですね。 アントニオ猪木VSグレートアントニオ 伝説の密林王をノックアウト 1977年の【アントニオ猪木対グレート・アントニオ】。 すでに50歳を超えていた密林王は猪木の試合の動きについていける状態ではなかった。 噛み合わない試合展開が続く中、猪木が突如激高し、プロレスの範疇を超えたストンピングの連打で密林王を完全KO。 密林王にとって、この試合が生涯最後のプロレスになった。 アリ戦の負債を支払うのに必死だった時期の新日本プロレスが苦肉の策でひねり出した試合です。 サーカスでの怪力自慢が本業だったグレート・アントニオ選手を16年ぶりに来日させ、白髪染めで年齢を誤魔化し蔵前の大舞台で猪木と対戦させたというものです。 そもそもプロレスの出来ないグレート・アントニオ選手相手には、KO決着しかありえませんでした(TVではKO時間当てクイズまで行われていました)。 それゆえ結果だけ見ればおろらくは筋書き通りの決着なのですが・・・そのフィニッシュのストンピングは常軌を逸したものだったのです。 色々説があるのですが、映像を視る限り、スムーズなタックルからストンピングの流れ、さらにはリングでの立ち居振る舞いを見ますと、この試合はいわゆる「激昂系」とは違って、 猪木選手は最初からハードヒットでKOするつもりだったのではないかと考えられると思います。 試合の背景にはそれに対する制裁の意味合いもあるかもしれないですね。 田村潔司VSゲーリー・オブライト 第2の前田vsアンドレ 1995年の【田村潔司 対 ゲーリー・オブライト】。 入場時に椅子を投げ入れるという、いわゆる「U系」に有り得ない行動をしたオブライトが、そのまま試合でも相手の田村にセメントを仕掛けた試合。 オブライト選手の「ブック(プロレスの試合の筋書き)通りの試合はしない」という強固な意思を感じ取った田村選手は、そこからキックを主体に猛反撃します。 スタミナ切れしたオブライト選手は打つ手が無くなり試合放棄状態に。 最後はスリーパーで田村選手が勝利しました。 当時のUインターはオブライト選手に見切りを付けておりまして、この試合も田村選手が勝利する予定でしたが、プライドの高いオブライト選手がジョブ 負け役 を拒否します。 それゆえに結局セメントマッチになってしまいました。 試合後、 勝った田村選手はリング上で涙し、試合をまとめきれなかった和田レフリーも控え室で号泣したそうです。 それまで水面下だったUインターの内部崩壊が表沙汰になった試合でした。 ブルーザー・ブロディVSレックス・ルーガー 大物同士の海外不穏試合 1987年の【ブルーザー・ブロディ対レックス・ルガー】。 米マットで人気のゲージマッチで行われた試合だが、試合途中からブロディが謎の無気力ぶりでルーガーの攻めに反応せず、困り果てたルーガーがレフリーに暴行する形でとっとと試合を終わらせた。 ルーガーは試合後シャワーも浴びず帰路へ。 この試合を最後にフロリダNWAを離脱した。 キャリア的には当時のルーガーは新人のカテゴリーに含まれる存在でしたが、バックステージでは大卒のインテリとして、大先輩のフレアーにも臆せずに意見するようなタイプだったらしいのです。 それゆえブロディとの関係については、そのあたりを発端とするような様々な憶測がされているのですが・・・こと実際の試合の映像を見る限り、実はそういう難しい背景の試合ではなかったのではと思われるのです。 ずばりこの不穏試合の原因は 「試合中盤のフェンスへの叩きつけの際に、誤ってブロディの顔が固いフェンス部分に当たってしまった事」だと思います。 それ以後、明らかにブロディがセル 相手の技に対するリアクション をしなくなるのです。 この後、クロケットプロ入りしたルーガーは、ここから出世コースに乗ってWCWの王者に君臨する事になります。 一方のブロディは翌1988年、プエルトリコでホセ・ゴンザレスに刺殺される事となました。 この試合はそんな両者の一瞬のすれ違いでした。 前田日明VSアンドレ・ザ・ジャイアント 不穏試合の代名詞 1986年の【前田日明対アンドレ・ザ・ジャイアント】はプロレスのシュートマッチの代表格とされる試合。 冷たい表情のアンドレに異変を感じて途惑う前田。 アンドレは一切のセルを拒否し、いざ組んでからも、全体重をかけた押しつぶし、首折、喉輪、サミングなどの危険攻撃を繰り返した。 藤原の「潰されるぞ」の声に腹を決めた前田がスイッチオン。 関節蹴りや、膝狙いのローキックを繰り返し、最終的にはアンドレを戦意喪失に追い込んだ。 もともとはアンドレ選手が18文キックからのヒッププレスで勝つと予定されていた試合で、前田選手もそれを了承していました。 試合拝啓については様々な陰謀論が出ていますが、近年の研究では 「酒に酔ったアンドレ選手の単独犯行」で、ほぼ間違いないとされています。 当時、新日に参戦していた外国人選手から「あいつはセルしない」「危険な攻撃を入れてくる」「へたくそで危なっかしい」と、前田選手の評判はとても悪かったのです。 それを聞いたアンドレ選手が、外国人のボスとして「前田選手を懲らしめてやろう」とシュートに走ったという話であり、そうであるとすると全ての謎のつじつまが合ってくるのです。 しかしながら、この試合に対する外国人選手の意見は、我々の認識とは全く異なっており 「前田は前々から名前を挙げようとシュートのチャンスを狙っていた。 あの日のアンドレは体調がすごく悪かったので、それを知った前田が仕掛けたのさ」というマスクド・スーパースター選手の証言には驚かされます。 そしてそこからは、当時の新日本体、UWF、そして外国人軍団の3グループが、それぞれがそれぞれに対し、大きな疑心暗鬼に駆られていたことが伺えるのです。 27 前田氏の新たな証言「徳島の試合でアンドレが猪木さんとの試合前に飲みすぎてコントロール不能になり、しまいには阿波踊りを踊りだしてしまった。 それで困った猪木さんは他の外人選手を乱入させて強引に試合を終わらせたということがあった。 それを見ていたからこの試合もそういう風になるのかなと結構冷静に考えていた」 スーパー・タイガーVS前田明(日明) 旧UWF崩壊の象徴 1985年の【スーパータイガー 対 前田明】。 旧UWF最末期の不穏試合。 仕掛けたのは前田で、通常とは異なるガード主体の構えから、強烈な張り手やローキックで序盤からスーパータイガー 佐山 を追い込んでいく。 スーパータイガーもなんとか試合を立て直そうとするも、頑なな前田の心を動かす事はできず、結局、自らレフェリーに金的攻撃を訴え 本人曰く「当たってません」とのこと 、反則勝ちで試合を終わらせた。 佐山はこの試合を最後に旧UWFを離脱し、それにより旧UWFは自主興行団体としての活動を終えることになった。 当時の佐山選手は、このUWFを「エンタメ性の強いプロレス」から「真剣勝負のシューティング」へ移行させる事に集中していたのです。 しかしながら理想を急ぐあまりの彼の強引な手法に、他選手は拒否反応を示しました。 さらにはUWFと新日本との合併話も持ち上がっていった最中の事で、双方の間の溝は埋めようがないものになっていました。 それゆえこの試合は 「プロレスのシュート化をやめさせるべくシュートを仕掛ける前田」と「シュートになりつつある試合を『これはプロレスだぞ』と諭す佐山」という、実に奇妙な不穏試合になっているのです。 そして当時、前田選手にシュートを炊き付けていたのは、フロントの伊佐早敏男氏 故人 だったと断言もしています。 橋本真也VSヒロ斉藤 破壊王 若き日の暴走 1987年の【橋本真也対ヒロ斉藤】。 当時のヒロ斉藤は長州軍団の切り込み隊長であり、いち新人レスラーの橋本よりもあきらかに格が上だった。 しかし格下の橋本が斉藤の攻撃を全く受けず、そればかりか手加減無しの打撃やグラウンド攻撃を繰り返すという暴挙。 それにより最終的に斉藤が手の甲を骨折してしまったという試合 試合はセントーンで斉藤のフォール勝ち。 当時は全日本から長州軍団が新日本へUターンしてきた直後でした。 当然、その出戻りを歓迎しない人間も多かったわけです。 そんな中、 ベテランの荒川真が若くて一本気な橋本を焚き付けた・・・というのが通説になっています。 橋本の掟破りに対する長州軍団の怒りは凄まじいものがあり、試合後の控え室では長州とマサ斉藤が橋本を制裁しました。 そのことを逆恨みした橋本は、しばらくの間、復讐するための刃物を隠し持っていたという話です。 それゆえ骨折させられた橋本選手の蹴りも「自分が受けそこねたゆえの事故」だと思っていたそうで、橋本選手が控室で制裁を受けた事を後で知って驚いたとのこと 斉藤選手は病院で手の治療していた。 アントニオ猪木VSパク・ソンナン 1976年のA猪木その1 1976年【猪木VSパクソンナン】。 韓国プロレス協会がアリ戦で知名度が上がった猪木を招聘し実現した試合。 この試合で凱旋帰国したパクに箔をつけ、韓国プロレスを盛り上げようというのが目的だった。 韓国側は二連戦のうち、一試合は花を持たせてもらおうという魂胆だったが、猪木は拒否。 大邱の試合でシュートを仕掛けパクをリンチ状態に。 その影響で翌日のソウルでの試合では、怖気づいたパクが試合開始になっても登場せず、結局、無気力試合であっけなく敗北。 試合後会場では暴動が起こった・・・というのがこれまでの定説であった。 そもそも猪木選手は最初からこの興行に乗り気ではなかったのです。 しかしながら『アリ戦の借金返済』&『韓国と日本の大物プロモーターの顔を立てる』&『当時の韓国の大統領の朴正煕がプロレスの大ファンだった』という3つの理由により、結局韓国遠征が実現する事になりました。 2試合中、不穏試合は大邱での初戦でした。 これは勝敗の交渉がまとまらないうちに試合開始時間になってしまい、猪木選手がプッツンしてしまったというものです。 経験の浅い韓国セコンドは「セメントだ!」と空気を読まず盛り上がりましたが、あくまでパク選手自身は「プロレスはプロレス」という大人のスタンスであり、試合も同様のファイトマナーでした しかし試合は『ナックルが顎に入った』という猪木選手の言いがかりのようなシュート宣告 猪木選手の師匠である力道山の木村戦に酷似 により、実に陰鬱なものになってしまいました。 試合をさばいていたミスター高橋氏が猪木選手にやりすぎを警告しますと、猪木選手は「うるさい!ガタガタ言うとお前も潰すぞ!」と言ったそうで、高橋氏は「この人は〇いすぎていて手が付けられない」と感じたそうです。 そんなわけでこの試合は一方的に猪木選手が攻めたままノーコンテストに終わりました。 そしてここからが定説と異なる部分なのですが、実は猪木選手はこの最初の試合後、パク選手に対して自身のやり過ぎを詫びているのです。 それに対してパク選手は謝罪を受け入れ、翌日の試合をやる方向で話はまとまったとのこどです。 そして翌二戦目。 前日の経緯もありパクサイドは「今回の試合はパクの勝利。 どうしても駄目なら両者リングアウトの引分け」という要求をするのですが、しかし猪木選手はそれを断固拒否したのです。 韓国では試合が生中継されていたこともあり、 パク選手が最後には「じゃあリングアウト負けならジョブしよう」と、自分の敗北を受け入れたというのがこの2連戦の真相らしいですね。 鈴木みのるVSアポロ菅原 暗黒のSWS神戸大会その2 1991年の【鈴木みのる対アポロ菅原】。 SWSと藤原組の対抗戦に組み込まれた試合。 活きの良い若手の鈴木が、何故かベテランのアポロとする事になり、案の定、不穏試合になった。 一貫して、手四つを誘うアポロに対し、鈴木は掌低の構えを崩さず試合は平行線の様相。 時折顔面にヒットする鈴木の掌低に露骨に嫌悪感を示すアポロ。 その後、ロープ際で揉み合った際に両者はなかなか離れず、それを振りほどいた鈴木が再び掌底をヒットさせるとアポロはリングを降り、試合放棄裁定が下る。 試合後鈴木は号泣。 アポロはリングを降りただけの自分を負けにしたレフェリーに抗議するという、実に後味の悪い試合となった。 「船木さんは佐野さんなのに俺なんてアポロだよ」という発言が物語るとおり、当時の鈴木選手は藤原選手はおろか、天龍選手の言うことも聞かないくらい生意気だったとのことです。 さらにはUWFスタイルも曲げようとしないため、そんな鈴木選手の相手を買って出る選手は、SWSには皆無でありました。 それゆえマッチメーカーのカブキ選手が独断でこのカードを決めてしまったとのことです。 一説には「アポロが指折りをした」という話もあるのですが、ビデオを視る限り、それはそう証言した鈴木選手の誤解だと思います。 最後はアポロ選手が「鈴木の打撃は見逃すのに、俺がナックルの構えをしたら一瞬で反則を取った。 そんな不公平な試合には付き合いきれない。 そもそもSWSルールなのにリングを降りただけで負けにするなんておかしいじゃないか」という理屈をもって試合を終わらせました。 しかしその後、アポロ選手だけに罰金を科せられたことを考えますと、そもそもこの試合は鈴木選手が勝つ予定で、いわゆる「ブック破り」をしたのはアポロ選手の方ではないかと推察されるのです。 そんなわけで藤原組参入による不穏な空気から大荒れになったSWS神戸大会でありましたが、 実は生意気盛りの鈴木選手本人がその空気に呑まれて「ビビッていた」そうなのです。 それゆえ鈴木選手もアポロ選手同様、中途半端な試合対応になってしまい、そのことを試合後カールゴッチ氏や藤原選手から叱責されたそうです。 そんなわけで疑心暗鬼の中途半端試合。 それゆえ本人達の証言も噛み合うことなく、様々な人が様々な解釈をいまだに論じている試合であります。 スポンサーリンク 藤原喜明、星野勘太郎VSヘラクレスローンホーク、寺西勇 一杯食わせ者の末路 1983年の【藤原喜明、星野勘太郎VSヘラクレスローンホーク、寺西勇】。 新日本プロレスクーデター事件直後に行われたブラディファイトシリーズの不穏試合。 新体制シリーズの目玉になるはずだったヘラクレス・ローンホーク選手。 しかしこれがとんだ一杯食わせ者。 筋骨隆々の見た目とは裏腹に、攻めも受けも何もかもが未熟で、しかも「頭が本当にからっぽ」 ミスター高橋談 なので、前座試合に組み込むことすら困難という有様。 最後はあからさまな制裁マッチで星野に殴り倒され試合放棄。 ペイデーを待たずに途中帰国した。 時は例の1983年です。 クーデターにより猪木選手と坂口選手と新間寿営業本部長を失脚させて、マッチメイクの権限を掌握した選手会&新役員軍団でしたが、猪木選手の新マッチメイカーへの協力拒否とヘラクレスローンホーク選手の大コケにより、新体制シリーズはガタガタになってしまいました。 選手会はあろうことか追放したはずの坂口選手に泣きつき、マッチメイカーに戻ってもらうことになりました。 そんな坂口選手が最初に手掛けたのが駄目ガイジンへの制裁でした。 試合でシューターの藤原選手に蹴りまくられ、さらには星野選手のナックルパンチで顔面に青タンを作ったローンホーク選手は、そのまま控え室に逃げ込み試合放棄しました。 控え室で「警察に訴えてやる!」と泣き叫んでいるローンホーク選手に対して、その場にいたディックマードック選手が「日本の警察だから行ってもムダだ。 行くならアメリカ大使館にしろよ」とからかったのですが、 ローンホークはその言葉通り、本当にアメリカ大使館に逃げ込んでしまったのです 当然門前払い。 しかも「試合放棄はプロレスの掟破りだから追放」という無茶な理屈で、新日本からギャラが満額払われることは無かったという・・・まあ、あの頃の新日本と言うか、なかなか酷い話ですよね。 高田延彦、山崎一夫VS小林邦明、保永昇男 確信犯山崎の最後っ屁 1988年の【高田延彦、山崎一夫 対 小林邦明、保永昇男】。 この試合を最後に新日本を離脱することに決めていた山崎が、それまでの経緯への不満から「最後は好きなようにやってやろう」と確信犯的に小林に喧嘩を吹っ掛けた不穏試合。 試合開始直後、手四つからの前蹴りを投げ飛ばされた山崎は、あからさまにふてくされた態度をとり、「ロープに押し込まれてからの張り手へのセル」を拒否する。 むきになって張り手をする小林に山崎はスイッチオン。 ただならぬ雰囲気にタッグパートナーのみならず、レフェリーやセコンドも総出で二人を分ける。 興奮する山崎を高田が何とかなだめようとするも、相手の小林は納得せず、その後も試合不成立スレスレの両者の攻防が続く その都度高田が割って入る。 試合は高田が保永を抑えて終了するも、山崎はその後もふてぶてしい態度で小林を挑発し続け、「前田が泣いてるぞ!」という、どこかで聞いたことがあるような客席のヤジが飛ぶ中、両者は控室に戻っていった。 試合の映像を視ますと山崎選手の幼稚さ に対して高田の大人ぶり が目に余ります。 一方の小林選手は、そんな山崎選手に対して正に一歩も引かない態度だったため「不穏試合を仕掛けられた人間」側では珍しく株が上がった印象がします。 この試合について評論家の菊池孝氏は 「何の非もない好漢・小林に対して新生UWFへの移籍を決意した上で最後っ屁をかました山崎は人間として最低!」と山崎選手を断罪しています。 そして山崎選手自身も 「当時は自暴自棄になっていて八つ当たりだった。 小林さんはとんだとばっちりで本当に申し訳のないことをした」と著書の中で謝罪しています。 芳の里淳三VS市川登 「潰せ!」とシュート命令 1954年の【芳の里淳三 対 市川登】は「力道山VS木村」の前座で発生したもう一つの不穏試合である。 芳の里が不意打ちで張り手を数十発乱打し、ワンサイドで市川を昏倒させた。 市川は打撃によるダメージで脳に障害が残りプロレス界を引退し、その後、1967年に静養先の故郷の沼津で永眠した。 恐ろしい事に試合前、芳の里選手は力道山選手から「市川を潰せ!」と命令されていたとのことです。 柔道家でもあった市川選手ですが、圧倒的な体格差に加え、相撲とボクシングの心得がある芳の里選手から、掟破りの不意打ちを食らってしまっては、ひとたまりもありませんでした。 市川選手はプロ柔道が母体である全日本プロレス協会所属の選手であり、その彼と相撲出身の芳の里選手が対決するというのは、仮想「力道山VS木村」とも言えるものでもあったのです。 力道山選手の芳の里選手へのシュート指令については「力道山選手からの木村選手への宣戦布告」とする向きがありますが、個人的にはそれとは逆で 「力道山からの木村選手への警告」という感じがします。 要は「今日はやってやるぞ!」ではなく「変な事をするなよ」ということです。 そして木村選手はこの時点でもっと試合に対して敏感になるべきだったとも思っています。 馬場、ドリー、田上 VS 鶴田、三沢、秋山 今さらギャラアップ?勘違いへの制裁 1996年のジャイアントシリーズで「全日本プロレス創立24周年記念試合」として行われた【馬場、ドリー、田上 対 鶴田、三沢、秋山】。 最初の絡みで、秋山と三沢が連続してドリーに強烈なエルボーを叩き込み、ダメージを受けたドリーはたまらず場外にエスケープしたという試合。 記念試合らしからぬ「老人いじめ」のような秋山と三沢の攻撃が長年謎とされてきたが、G+のファンクス特集において 「ドリーのギャラアップ要求に対する制裁だった」という真実が明かされた。 90年代半ばのドリー選手は衰えが激しく、馬場夫妻としては一線級(当時は四天王プロレス全盛期)ではなく「功労者」として、なかば義理で来日させていたのですが、そんな中でのドリー選手のギャラアップ要求は「勘違い」としか言いようがなかったでしょう。 それゆえ「じゃあ一線級の攻撃を入れてやれ!」という制裁指令につながっていったと推測できるのです。 ちなみに長年続いていたドリーの来日もこの時をもって途絶えることとなりました。 北斗晶VSイーグル沢井 LLPWの全女潰し 1994年の【北斗晶対イーグル沢井】。 女子プロレスの対抗戦の総決算であった同年の東京ドーム大会『憧夢超女対戦』。 常識的に考えて北斗の勝ちは動かないと思われた試合だったが、体格差に勝るイーグルが、 試合開始直後にランニングパワーボムから全体重をかけたエビ固めを極め、シュートにフォールを取りに行った。 北斗はかろうじてそれをキックアウトするも、その後もイーグルが体格の差を見せつけるような展開が続き(イーグルは北斗の必殺技であるノーザンライドボムも一度キックアウトした)、ドームがどよめく中、最終的には北斗が勝利した。 この頃の全女とLLPWは、フロントレベルでのトラブル(松永兄弟VS風間、神取)や、LLPW駒沢大会時のファイティングマナー問題(アンダーカードにおいて多くの全女選手がLLPW若手選手の技を受けず秒殺した)など、ぎくしゃくした遺恨を抱えておりました。 それに加え、このドーム大会当日のバックステージにおいて神取と北斗が偶然鉢合わせしてしまいます。 そこでこれまでの北斗の言動(行動)をとがめた 神取が北斗を殴打するという事件が勃発してしまいます。 それにより両団体の信頼関係が完全に喪失し、風間と神取から、北斗と対戦するイーグルに対し 「ブック通りの動きの中で完全にスリーカウントを奪う」というシュート(事前に練習済み)にゴーサインが出されました。 しかし実際にはイーグルが非情になり切れず北斗を逃してしまったため(優しい性格だったことに加え、女子プロドーム興行を壊す行動にためらいがあった)、指令を出した神取は不満をあらわにしていたとの事です。 この興行を最後に、女子プロの対抗戦ブーム&特需は沈静化していく事になりました。 ジャイアント・グスタブVS後藤達俊、橋本真也 ジャイアント・グスタブVS星野勘太郎、後藤達俊 坂口指令のダメ外人制裁ふたたび 1985年の【ジャイアント・グスタブ事件】について。 「超怪物」という触れ込みで初来日したジャイアント・グスタブは、新日本の巡業バスを引っ張るパフォーマンスを見せるなど、猪木戦に向けて猛アピール。 実際にリング上でも対戦要求を行ったが、結局試合は実現しなかった。 その後、シーズン終盤に組まれた「後藤橋本組」「後藤星野組」とのハンディキャップマッチにおいて、フッカーである3人に連日ボコボコにされ(両試合ともグスタブの反則勝ち)、最終戦を待たず途中帰国した。 このグスタブについては「典型的なとんだいっぱい食わせ物」だという話がされていますが・・・そもそも新日本は「カーニバルレスラー」だった彼に過剰な期待をしていたわけではなく、シリーズの目玉カードであった【猪木対ブロディ】の単なる盛り上げ要員・・・つまりは「猪木のやられ役」的役割で呼んでいたのでありました。 そんなわけで、もし猪木戦が実現していたとしても、これはモチーフとなったグレートアントニオ同様に、グスタブが猪木にボコボコにKOされてお役御免という事になったはずなのです。 しかしながら、そのグスタブが猪木戦をリング上で要求したその日に、あろうことかマネージャー役のブッチャー・バションが試合の実現を拒否してしまったのです。 これがギャラの吊り上げなのか、それとも商品価値の保持なのかは、今となっては解りませんが・・・それに激怒したのがブッカーの坂口でした。 もともとグスタブの態度の悪さ(実際頭も弱かった)に辟易としていた坂口は制裁を決め、後藤と橋本と星野という腕自慢(フッカー)をグスタブの相手にマッチメークしました。 「一発蹴るたびに5000円をやるから潰してこい」 と、ハードヒットを命じられた後藤と橋本は、嬉々としてグスタブを蹴りまくったのです (後藤曰く「やりすぎだ」と坂口はお金をくれなかったそうな)。 さらにパンチの強い星野にもボコられたグスタブは、最終戦になる前に逃げ帰ってしまったという話なのですね。 まああのヘラクレスローンホークを彷彿させるような笑えるエピソードなのですが・・・実は僕はこれらの事件が、あの「前田日明による長州顔面蹴撃事件」に繋がっていると思うのです。 ウィリアム・ルスカVSイワン・ゴメス 地球の真裏の不穏試合 1976年の【ウィリアム・ルスカ対イワン・ゴメス】は、新日本プロレス二度目のブラジル遠征で行われた試合。 ゴメスは試合前からルスカに「柔道着を脱げ」と要求するなどナーバスな様子であった。 試合開始後にはフットワークを生かした掌底攻撃でゴメスが優位に立つも、続くゴメスの膝蹴りを食らったルスカが遂にスイッチオン。 オープンハンドの打撃でゴメスをぐらつかせると、顔面に強烈な右ストレート一閃。 それをまともに食らい大流血に追い込まれたゴメスは、胴タックルでルスカをグラウンドに引きずり込み、エプロンサイドでチョークスリーパーの態勢に入るも、異変を察知したレフリーのミスター高橋が 『ゴメスのエプロンカウントアウト負け』を宣告した。 顔面を血に染めつつ納得のいかないゴメスと(当時のバリツードはベアナックルパンチ禁止)、地元の英雄の不可解な負けに暴動寸前の観客を(バリツードはロープブレイク無し)、試合後にリングインした猪木がなんとかなだめ(ブラジル育ちの猪木は現地で超ベビーフェイスだった)その場を収めた。 翌日、ルスカとレフェリーであるミスター高橋に。 『サンパウロとブラジリアにおける興行出場資格停止』処分が下され、騒動には一応の決着がついた。 当時のブラジルでは「バリツード(なんでもありに近い闘い)」と「ルタリーブリ(西洋式のプロレス)」が分かれて認識されておりました。 新日本の二度目のサンパウロ遠征は、当然、通常のプロレススタイル(この場合ルタリーブリ)だったわけですが、当日のチケットを見ると「ゴメスVSルスカ」のみ「バリツード」とアナウンスされているんですね。 ブラジル体育協会主催試合です。 ですのでゴメスサイドは最初から『柔道五輪王者』であるルスカと、バリツードで闘おうともくろんでいたと推測されます。 一方のルスカといいますと、この年の2月に猪木と異種格闘技戦で熱闘の末に敗れ、「猪木と再戦をするために新日本について回っている」とキャラ付けされ、このブラジル遠征も「猪木戦を実現するためにブラジルまで猪木を追ってきた」という設定になっておりました。 だからまさかこの場で真剣勝負を行うつもりはなかったでしょうし、ブラジルの英雄に(負けを飲むまでは行かないが)少しは花を持たせるぐらいのつもりもあったでしょう。 しかしながらゴメスは 「柔道家のルスカは打撃を知らないだろうから、スタンドで仕掛ければシュートでも勝てる」と考えていたふしがあり、最初からバリツードを仕掛けてきました。 これには地元の英雄として引けない部分もあったのでしょうね。 しかしルスカは甘くなく、結果このような試合になったのだろうと推測されます。 「(ゴメスの打撃は)いわゆる他流試合ではなくストリートファイトのニュアンスのものだった。 はるばるブラジルまでやってきて喧嘩ファイトで余分なダメージを受けたら割に合わない。 やられたらやり返せは勝負の世界の鉄則だ」ルスカ ルー・テーズVS大木金太郎 二代目力道山襲名はガチだったのか? 1964年にテキサス州ヒューストンで行われたNWA世界ヘビー級タイトルマッチ【ルー・テーズ対大木金太郎(キムイル)】。 頭突きでシュートに攻め立てる大木に対し、テーズは鉄拳制裁で応戦。 戦意喪失した大木にテーズはバックドロップ一閃。 そのままフォールに行かず引きずり起こしたところでレフェリーが試合を止めた。 大流血の大木は担架で運ばれ入院。 顔面を24針縫う重傷を負った。 この試合の前年の1963年に力道山が暴漢に襲われ不慮の死を遂げました。 それにより大きな後ろ盾をなくした大木は韓国に帰国します。 大木は母国で韓国プロレスを立ち上げ大成功をおさめ、その勢いで翌1964年にアメリカ遠征に出発しました。 そこでスーパースターであるテーズとの世界タイトル戦に挑んだわけです。 1964年と言えば、大木のライバルでもあるジャイアント馬場もアメリカ遠征を行っており、大木に先んじて世界三大タイトルに連続挑戦を果たしておりました。 そのことは海を越えて大評判になっておりましたから、大木としても負けられない思いがあったのです。 そのうえ大木は当時日本プロレスの社長だった 豊登から 「もし世界王者になったら二代目力道山を襲名させてやる」 と伝えられていました。 そういう背景により、この試合は 豊登の軽口を真に受けた大木がセメントマッチに走ってしまい、怒ったテーズに鉄拳制裁されたと、これまで言われてきたのです。 しかしながら…どうにも僕が気になるのは 『この試合の写真が大量に現存している』ことなのです。 同じ年に全米で行われた馬場の3つの世界戦の写真は殆どないのに、なぜかこの試合の写真は非常にクリアに写されたものがたくさん残っているのです(おそらくネガが現存していたのでしょう)。 そしてそれらの写真が 『出版用画像販売サイト』の『シュートマッチ』の項目に30枚近く公開されてい るというミステリーぶりなのです。 ほかにその項目にあるのは「1. 4事変」と「前田対アンドレ」の2試合なのですが、それらの「超有名不穏試合」はたった数枚の写真なのですね。 ですのでバランス的にも明らかにおかしいのです。 そしてここから推察されるのは、ずばり 「この試合で何かがあることを確信していたので、東スポのカメラマンがわざわざ大木に同行した」のではないかということなのです。 当時、東スポのオーナーだった児玉誉士夫(戦後最大のフィクサー&日本プロレス会長)と、町井久之(在日韓国人のトップ)は、大木の 「二代目力道山襲名」にかなり積極的でした。 大木を日韓をまたにかけたスーパースターに仕立て上げようとしたのです。 そしてそれに対して反対の立場だったのが、力道山の亡き後に日本プロレスの社長に就いた豊登でした。 ですので彼が言ったとされる「もし世界王者になったら二代目力道山を襲名させてやる」という言葉というのは、これは決して軽口ではなく、豊登が現役のプロレスラーとして発した 『絶対に無理な条件』だったのだと考えられるのです。 世界王者テーズは政権最末期でありました。 48歳の老世界チャンピオンに対して、セメントに定評がある大木は意を決して危険な攻撃を仕掛けていきましたが・・・ 「大木は最初からまともな試合をするつもりはない様子だった。

次の

ガチンコ、セメント【プロレス不穏試合まとめ】シュート、ブック破り

プロレス まとめ

プロレスの試合(タッグマッチ) プロレスは、リング上で主に観客へ見せることを目的とした攻防を展開するを基本とした、、である。 もしくは、その試合を複数展開することにより開催される興行のことである。 正式名称は プロフェッショナルレスリング。 興行レスリング、 職業レスリングとも呼ばれる。 古くは 西洋相撲(角力)と呼ばれていた。 などの国では レスリングとも呼ばれる。 では 、では を省略して キャッチと呼ばれている。 試合は、、、時にはなどを用いて行われて試合において闘う者をもしくはレスラーと呼ばれている。 アメリカ、メキシコ、などにおいて歴史があり複数のプロレス団体を有しており全国各地で興行が連日行われている。 プロレス興行がない国においてもとを通じて世界中の人にも楽しまれている。 概要 [ ] 興行会社が試合は、その他で構成される興行を開催することで観戦料などの収入を得る・。 プロレス業界において興行会社は「団体」と呼ばれている。 のプロレス団体「」を代表とする台本の存在を公にしている系団体と日本の主流である競技性を前面に押し出しているプロレス団体が存在する。 また女性のプロレスラーの行うプロレスは特にとされ区別される。 それ単独での興行は存在しないものののプロレスラーが行うプロレスを「」と呼ぶこともある。 事業収入を得ない組織も存在する。 その中でも学生の愛好家達によるものはと呼称される。 本来、を除いては制度も無いため厳密にアマチュアとを分類することは不可能であるが、強いて分類するなら観戦料徴収の有無で分けることが出来る。 アマチュアプロレスは地域の催事ないしは祭事でプログラムの一環として行われることが多い。 「アマチュアプロレス」という表現が矛盾していることもありプロではないがプロと同じ形式という意味で「プロスタイルレスリング」、「ノンプロ」との合成語として「ノンプロレス」と表現することもある 1つの地域に重点を置く地域密着型と都市圏を中心に全国を回る巡業型がある。 勝敗を競う形式を取るがアメリカのWWEはあらかじめ作られた台本に則って行われている「エンターテインメント」であることを明らかにしている。 理由としては、などの昨今のプロスポーツと薬物の問題が根底にあるが、その他にも、スポーツ委員会よりも興行(娯楽)として登録する方がが低く済みダウンに繋がることやの際に経営透明化という観点から業務内容を公開する必要があったためである。 1950年代にフランスで活動したロジェ・ドラパルトは、プロレスの持つ競技牲と演劇性を「プロレスは75パーセントのスポーツと25パーセントのスペクタルがなければならない、その逆はない」 と例えている。 歴史的に活動が盛んな地域としてはアメリカ、、日本、、メキシコが挙げられる。 アメリカではプロレスでもレスリングでも「レスリング」と呼ぶがプロレスのみを指す場合はのそれとして「ラスリン」と南部訛りで呼ぶことがある。 運営 [ ] 事業内容 [ ] 産業とほぼ同じ事業形態である。 事業形態 [ ] 球場、体育館、イベントホール、屋外などを試合会場として、そこへリングや周辺器材(フェンス、椅子等)を設置して有料で試合を観戦させる「興行」が主な事業である。 会場の規模と観客数は団体や興行規模により様々であり、数万人を動員することもあれば、数十人程度の観客を相手に興行することもある。 WWEのWrestle Mania32では10万人を超える動員に成功した。 1つの興行には5試合から10試合を行うことが多い。 これらの興行はシリーズの中に組み込まれることが多く、団体は選手と従業員、器材を移動させつつそれを行わせる。 これを「巡業」と呼ぶ(巡業については後述)。 また、経済的あるいは他の事情から巡業を行わない団体も存在する。 それらは、団体が所有してリング等を設置している「常設会場」を使用するか、限られた地域にて営業している会場を使用している。 事業収入の柱となるものは以下の様なものである。 観戦料 観戦の際必要になる有料入場券(チケット)の売り上げ。 自主興行では事業収入の重要な柱の一つである。 価格は3,000円から20,000円程度と幅広く、興行の規模や座席種により推移する。 の最大「」では最も高額なリングサイド席で2,000ドルにもなる。 地方興行などでは同様に、で割引優待券が配布されていることもある。 また、他のスポーツ興行と同様に法人顧客にある程度まとまった数を販売して法人が自身の顧客に対して販促の一環として配布したり余れば福利厚生の一環として従業員に配布することもある。 なお、ビッグマッチを除き、地方興行ではプレイガイドでの販売数はそれほど見込めないため法人営業力の重要性は高い。 また、選手自らチケットを販売(手売り)する事も珍しくなく、主にインディー団体においては、それが選手の収入に繋がっていることもある。 なお、人望のあった選手などが重い病気や重度の負傷、リング内外の事故により事実上の廃業、あるいは長期欠場を余儀なくされた時、その選手やその家族のために闘病・療養費用などの一助にしようと選手有志や縁のあった団体などの協力という形で選手のための興行が行われて観戦料などの収益がその選手に渡されることもある(で引退したのなど)。 グッズ販売 プロレス団体が、やなどの衣料品、等を製作して販売することによって得る収入。 会場の売店での販売が中心だがスポーツショップでも販売している。 近年はを行う団体も増えつつある。 また、会場の特設売店やイベントで選手が購入者へサインを贈る等のファンサービス販促を行うこともある。 これらは粗利が高く日銭を稼ぐことが出来るため、零細団体ほど比重が高くなる。 グッズが製作できなくなると団体は経営的に破綻寸前であることが多い。 また、などのロイヤリティーも含まれる。 コンテンツ販売 試合を収めたの販売、での配信を行う団体もあり、アメリカのインディ団体では映像ソフトにパッケージという目的を持って試合を行う場合もある。 近年ではサイトの有料会員向けに待ち受け画像、着声などを配信するケースも増えている。 広告料 リングやパンフレット、チケット裏面などのスペース料。 冠興行での協賛金など。 テレビ放映料 、、放送事業者からの放映料。 かつては、地上波テレビ放送が無い団体では経営が成り立たないと言われていたが、がビデオ販売でヒットを飛ばしたことや、CSで放送される有料専門チャンネルの増加などから必ずしも地上波での放送がなくとも経営ができるようになった。 やWWEなどではビッグイベントを方式で販売して収入に直結させている。 新日本プロレスは、テレビ朝日で毎週土曜日深夜2時にやっている。 所属プロレスラーによる芸能活動 団体を所属事務所として出演するテレビやラジオ、各種イベントでのトークショー、・などへの出演料。 レスラーが主演を務める作品もあり、俳優業を本職としたものもいる。 飲食店経営 団体が運営するやの事業収入。 、、などでは、新人を中心とした所属選手やした元選手がスタッフとして働く店を経営する例もある。 また、、のように常設会場にカフェ・バーなどの飲食店を併設しているケースもある。 興行権販売 主に地方での巡業であるが、各地方のプロモータと呼ばれる興行会社(いわゆる)に一定額で興行権を販売する。 地域に根ざしたプロモータが営業活動、宣伝活動などの業務を行うため団体のスタッフの負荷が軽減できることや、不入りであっても安定した収入を得られる点が利点。 このような興行は「売り興行」あるいは「委託興行」と呼ばれる(における地方巡業やにおける地方球場での公式戦でも見られる形態)。 逆に団体自らが興行を開催して、直接収入を得る興行を「手打ち興行」あるいは「自主興行」と言う。 興行形態としては他に団体とプロモータで負担を分担し合う「分興行」(いわゆる「合同興行」で採られることが多い)、団体が一部経費を負担して残りをプロモータが負担する「乗り興行」(で多く見られる形態。 プロレスでは「プロレス夢のオールスター戦」「夢の懸け橋」などが該当)がある。 元選手が引退後にプロモータに転身することもある。 現役選手でも出身地や縁の深い場所で興行を行う際、興行権を購入して取り仕切ることもある。 また一部のプロモータが興行権を団体から購入せず自らの手で興行を打つこともある。 祭事、催事のプログラムの一環として試合を行うこともある。 代表例はや場など。 変り種としてので行うこともある。 社長プロレスラー [ ] 日本のプロレス団体における特徴の1つとして現役レスラーまたは引退したレスラーが社長業を兼務するというものがある。 日本のプロレス団体運営システムの始祖であるから始まった形式。 から派生した、(2019年7月現在はいずれも後述する「背広組」の経営)もこの形式を踏襲したほか2019年現在も、など、この形式を取る団体は少なくない。 女子でも、、、、が該当する。 引退したレスラーが社長を務める団体としては過去にはなど、2019年現在はなどがある(PURE-Jについては現役から継続)。 主演スターが座長も兼ねる劇団に近い形態といえる。 興行の現場を知るものが社長業を行うことで、現場(レスラー)との乖離を避けることが出来たりスポンサーとの営業活動などに利点がある。 しかし、個人商店化してワンマン体制や血縁、同族企業になりがちな点、プロレスの試合におけるセンスと経営の能力は別物であるため、経営を手助けする優秀なブレーンとなる存在が無ければ維持することは難しい。 また(特に主力選手が社長を務めるケースにおいて)選手専任であればトレーニング、休息、リハビリなどに充てられる時間を経営に割かなければならないため、選手としてのコンディションの維持が困難になり、の死亡事故を機に問題視する声も出ている。 これに対して選手出身ではない者(「背広組」と呼ばれる)が社長や経営幹部を務める場合は、経営と現場を分離できるものの、両者の間に軋轢が生まれて分裂、活動を停止するケースも存在する一方、社長レスラーによるワンマン経営に反発して選手が離脱するケース、絶対的な影響力を持つ社長レスラーの退陣によって(レスラー、背広組問わず)後任者が選手やフロントをまとめきれず瓦解するケースも少なくない。 のように背広組社長は会社経営に専念し、現場にかかる業務のほとんどを選手に委ねるプロレス団体も存在する。 一方で「背広組の社長がレスラーになる」ケースもある。 では会長であるが(時期によるが)自ら試合に出る。 彼は元々「背広組」であったが、演出の必要上レスラーとしての訓練を積んだ例である。 また、社長のはレスラーとしての訓練は積んでいなかったが演出としてリングでレスラーとの乱闘を演じたことがある。 社長のも元はプロモーター出身の背広組だが、の「レスラーデビュー」以後時折試合に出ていた。 最高経営責任者のの場合は、レスリング経験者ということもあり2010年に「プロレスラーデビュー」して勝利を収めた。 巡業 [ ] 日本のプロレス団体でツアー展開をする場合は、の地方興行やと同様、巡業の形態を取ることがある。 メジャーと呼ばれる大規模団体が開催する興行数は年間100試合前後と他の格闘技と比べて圧倒的に多く、スタッフはリングや周辺機材を積んだトラックで別移動するが、レスラーは集団でバスなどを用いて移動して同一のホテルなどに宿泊する。 競技性を売りとする系の団体では、コンディション調整に時間を割くため、興行数は年間数試合から数十試合程度となっている他、対戦するレスラー同士が会わないよう、別のホテルに宿泊させて競技性の保持に務めた。 集客数は、試合の会場とする場所にもよるが、スタジアムなどの大会場では数万人規模、地方の体育館やイベントホール、屋外グラウンドなどの会場では数千人から少なくとも千人程度までの集客を見込んで興行を打つことが一般的である。 興行の際の会場使用料に関しても、主要アリーナや公共の体育館は入場料を徴収するアマチュアスポーツ大会使用時よりも高額(入場料を徴収するアマチュアスポーツ大会使用時の使用料より3から10倍程度)に設定されている。 使用料自体も、開催曜日(土曜・休日は平日よりも高額となる会場もある)、使用時間帯(定額制の会場もある。 時間帯制の会場は時間が遅くなるほど高額になる)、最高入場料(特別リングサイド料金)、観客席の使用の有無などで会場によって異なっており、設営から撤収までの時間で使用料が決まる。 会場使用料には基本使用料の他にも、時間外使用料、冷暖房料金、照明料金、テレビ中継を行った際の設備料金などの付帯料金やパイプ椅子など会場設備を損傷させた場合の弁償料などが加わる。 使用料の支払は基本的に前払い(前払いの場合は支払期限があり、期限を過ぎれば予約は自動的にキャンセルとなる)であるが、予定よりも伸びた場合の時間外使用料や会場設備を損傷した場合に生じる損害賠償は、後日会場側から団体に請求される。 は損害賠償のリスクを回避するため、会場によってマッチメイクを決めている。 はが参戦したシリーズでは損害賠償に悩まされていた他、は観客が暴動を起こしたために使用料をはるかに超える損害賠償を請求されたり、使用禁止を言い渡されたことがある。 は、急遽後払いに変更した会場使用料を滞納したために会場の管理者から告訴されたことがある。 会場や興行の規模によっては、使用申込後に他のスポーツイベントや行事などとの日程を調整する利用調整会議への出席が義務付けられている会場や、使用申込後に団体の信用度などの事前審査を行う会場もあり、会場の事前審査によっては使用不可となる場合もある他、使用料の滞納などで使用禁止となる場合がある。 一旦使用料を支払えば、開催中止の場合でも使用料を返還しない会場が殆どであり、その場合は巡業の収支にも大きく影響する。 海外では、レスラーの現地集合、解散の方式を取ることが大半で個別行動が基本。 新人や若手レスラーは、移動経費の節約のため、自動車や先輩選手の自家用飛行機に相乗りで移動することもある。 それが故に、やが事故でレスラー生命を絶たれたり、が移動中の交通事故で死去したケースもある。 日本でもJWP時代のや時代のは自家用車に後輩を乗せて移動していた。 巡業を伴わない興行形態 [ ] 近年では何らかの形で常設会場を設けて地方巡業を行わない団体も増えてきている。 主に ローカルインディや 草の根インディ或いは どインディ というスラングで呼ばれる極めて小規模な団体がこの形態を取ることが多い。 こうした団体は、メジャー団体や中規模インディ団体のように集客数の採算分岐点の大きく、かつ会場使用料が高額な大会場を用意する経営体力がないため、仮に巡業を行う場合であっても小規模な公民館や体育館の一室、或いは駐車場の一角で平均百人前後、多くても数百人程度の集客で興行を成立させる運営を行っていることが多い。 リングさえ用意してしまえば何処でも興行会場になるとも言えるため、極端な場合では団体事務所の敷地内にリングを置いたり、リングが常設されている団体の道場に客を集める形態(いわゆる道場マッチ)を取る場合もあり、数十人から数人程度の観客動員でも興行を成立させたと見なしてしまう零細団体も存在する。 海外ではレスラー自身が各地のインディー団体を転戦するケースも多く、この形式は インディーサーキットと呼ばれる。 進行形式 [ ] プロレスの興行は、1日で5から10程度の試合が行われ、間に1度休憩が挟まれる。 トータルの興行時間は平均して3時間前後が基本。 試合の構成は以下の通り。 選手入場(テーマ曲が流されて会場によってはライトアップなどの演出が取られる)• 選手名、身長や体重などの紹介• 試合開始• 試合終了• 選手退場(勝利者のみのテーマ曲が流される) WWEなどのように選手名を告知してから入場してリング上では告知を行わない団体もある。 選手入場の際に用いられるテーマ曲はアーティストによる既存曲と選手個人または団体が制作を発注したオリジナル曲がある。 試合をパッケージ販売する際の著作権処理の煩雑さと使用料回避のため、オリジナル曲を使う傾向が強くなっている。 コスト削減のためパッケージ販売時には入場シーンに別の曲を編集で用いたり入場シーンそのものをカットしているものもある。 また、(詳細は後述)の入場、退場時に用いられる曲は「格上」のレスラーのものであることが基本である(大物同士のタッグでは同格であることを強調するため両者のテーマ曲を混合した曲を用いることもある)。 アングル上の決着戦の場合は通常と異なる前奏を付加したものやタッグマッチ時に1人ずつテーマ曲に合わせて入場するといった演出が施される。 ルール [ ] スタッフ [ ] 試合を行うレスラーの他、試合を行うために必要なスタッフとして、次のようなものがある。 試合の最高責任者。 試合の審判員。 選手、レフェリーの紹介等、試合の司会、進行役を行う。 タイムキーパー 試合時間を計時し、レフェリーの合図、時間切れでゴングを鳴らし、試合の開始、終了を他のスタッフ、観客に告知する他、試合結果の公式発表を行う。 リングドクター 試合等で負傷したレスラーに対する処置を行う。 、を含む場内放送係員 場内放送設備を操作し、実況、解説を行う傍ら、観客に注意を促すなどの呼びかけを行う。 その他、試合の運営に必要な係員 基本ルール [ ] 基本的なルールはほぼ以下の通りである。 勝敗は、以下の状況に至ったとレフェリーが認め、その旨を宣告した時点で成立する。 対戦相手の両肩をマットに押しつけ( フォールという)、レフェリーが3カウント数える。 (KO) 10カウントの間立ち上がれないでいること(レフェリーによって、またカードによって、カウントのスピードは異なる)。 10カウント、ないし20カウントの間リングの外に出ていること(WWE、TNA、全日本プロレスなどが前者を採用、日本の団体の多くは後者を採用)。 口頭での敗北意志の提示をする。 相手の体の一部またはマットを叩くことにより敗北意志の提示をする。 関節技を受けている選手がギブアップやタップアウトせず、これ以上技を受け続けていると重傷を負うと判断した場合はレフェリー権限で強制的に試合を終わらせる。 など絞め技の場合はレフェリーが絞められている選手の腕を上げてから離して3回腕が落ちれば負けとなる。 勝ち(反則負け) レフェリーに暴行、凶器の使用、セコンドや他レスラーの協力的乱入があった場合、行為を行った側が強制的に負けとなる。 ただし、例外もある(詳しくは下記参照)。 セコンドからのタオル投入(TKO) オーバーザトップロープ トップロープの上を越えて場外に落ちたら失格となるルール。 主にバトルロイヤル形式の試合で採用される。 またアメリカでは相手選手をトップロープの上を超えて場外に落とした場合反則負けとなるルールが過去に採用されていた。 その他に次に掲げる代表的なルールがある。 基本的な攻撃は、、、、など。 プロレス団体により、詳細は異なるが一般的なプロレスのルールでは反則は5カウント以内に止めなければ反則負けとなる。 これは逆にいえば 5カウント以内であれば反則攻撃が認められる ということであり、プロレスの試合における攻撃手段や表現のバリエーションを形成する要素となっている。 禁止されている攻撃として、目()、のど(チョーク)、急所への攻撃()、噛みつくこと、拳での、つま先での蹴り技、1本のみの指を取ることなどがある。 ただし打撃系の反則技は後述の5秒ルールのため相手の体に断続的に密着しない限りは注意のみで反則を取られないので事実上は反則技でないことが殆ど。 (ロー・ブローのみ例外の場合がある)• 観客用のイスを始めとした武器()での攻撃は反則とされるが、団体によっては即時に反則負けとなる場合もあれば、カウント内での使用が認められる場合もある。 同じ団体の試合であってもレフェリーによって判断が異なることもある。 ロープブレイク : 技をかける側、かけられる側、いずれかのレスラーが手足でロープに触れるか、体の部分がロープ外のリングサイドエプロンに完全に出た場合は、技の解除が求められる。 フォール中の場合は、カウントはストップされる。 原則的に4肢の場合など手首、足首がロープに届かないとロープブレイクと見做されないため指先が触れただけの場合などはレフェリーがロープを叩く蹴るなどして一旦離して再度きちんとしたロープブレイクを求めることもある。 従って手の場合は、ただ出すだけで無く、ロープを握るなどしてレフェリーにアピールすることがある)• 試合時の服装規定は無い。 そのため普段着で試合をしたり、ニーブレース(knee brace、金属製の強固な膝サポーター)などを着用して試合をする選手もいる。 試合形式 [ ] プロレスの試合は多くは何分何本勝負、という形で行われる(ヨーロッパおよび力道山時代の日本ではボクシング同様の制の試合も行われていた)。 1980年代以降の日本では、ほとんどが一本勝負で行われている。 かつて日本でもなどで行われた3本勝負(2本先取で勝利)は過去現在を通じてメキシコでは主流の試合形式である。 試合時間は概ね10分から無制限まで千差万別であるが、タイトルマッチは60分1本勝負<過去には61分3本勝負などのルールもあった>が主流である。 アメリカのテレビ放送用の試合では「放送時間内1本勝負」(つまりテレビの放送時間終了までに勝負がつかなければ)という例もあった。 シングルマッチ 2人のプロレスラーが1対1で行う形式。 2対2、3対3など、複数人がチームを組んで対戦する試合の総称。 各チームの構成人数が3人以上の場合は6人タッグ、8人タッグの様に合計人数を接頭に付けて呼称される。 2対2の場合は人数を明示せず「タッグマッチ」と表記されることがほとんど。 2対3などチーム構成人数に差がある場合は変則タッグまたはハンディキャップマッチと呼ばれる。 日本ではコーナーに控えている選手とタッチしないと試合権利が移らない方式を取っている団体が多いがメキシコではタッチをしなくても試合権利が移る方式(権利者が場外へ落ちた後、控え選手がリングインすることで権利が移る)を取っている。 日本でもメキシコに縁のある団体ではタッチしない方式を取っている団体もある。 3WAYマッチ、3WAYダンスとも呼ばれる3人で闘う形式。 バトルロイヤルと異なり誰か1名が勝利を挙げた時点で試合が終了する方式と最後まで残った者(チーム)が勝利、の2通りある。 タッグマッチで行われることもある。 ハンディキャップマッチ 前述の変則タッグのなかでも少人数のチーム方に圧倒的な実力がある選手がいるものを特にこう呼ぶ。 巨漢レスラーの怪物性を示すために採用される形式。 1対2、1対3などが基本である。 通常とは異なる要素を加えた試合形式。 これに特化したプロレスを英語でという。 詳細は「」を参照 対戦の舞台となるのは3本のロープを四方に張り巡らせたリングで形状はなどとほぼ同じ(ただし、ボクシングの場合ロープ数は4本で、コーナーの形状も異なる)。 大きさは団体によって異なる。 プロレスの特徴として、ロープの反動を積極的に用いたり(ロープワークと呼ばれる)、コーナーに上っての技などがあるためリングおよびロープは他競技用のものに比べて頑丈に作られている(ロープの中にはワイヤーが入っている)。 と呼ばれる試合形式の場合、特殊な加工が施されたリングを用いることがある(ロープを有刺鉄線に交換するなど)。 リング内に敷かれたマットの硬度は大差はないものの団体によって違うと言われている。 柔らかい方が投げ技を受けたときにダメージが軽減される。 あまりに表面が柔らかすぎると踏ん張りが効かなかったり逆に足をとられて怪我をするおそれもあるため、柔らかさに一定の限度は存在している。 歴史的な経緯は不明だが、現在のほとんどのリングには「スプリング」が入っており、投げ技や跳び技の着地時におけるケガを予防するようになっている。 総合格闘技の試合がプロレスのリングで行われた際にはスプリングを止めて「固く」していた。 各プロレス団体が専用のリングを所有するが小規模プロレス団体は所有していないことが多い。 この場合は他団体または「リング屋」と呼ばれる会場設営業者にレンタルする。 代表的なリングレンタル会社としてジャッジサポートがある。 日本ではので6角形のリングが使われたことがあり、アメリカでは、メキシコではなどの団体で、6角形のリングが使われている。 や黎明期ののようにリングを使用せずマットのみの場合もある。 リング外には転落時の衝撃を和らげるためのマットを敷く団体がある。 また観客席とリングの間に鉄柵を設置する団体もある。 階級 [ ] 多くのプロレス団体では、レスラーの体重を基準にヘビー級とジュニアヘビー級(クルーザー級、ミッドヘビー級)に区分される。 クルーザー級は主にアメリカの団体で用いられ、日本でもやなどでクルーザー級と呼んでいる。 ほとんどの団体の基準は概ね100kg未満であるがが用いられ、では2016年に復活させたクルーザー級の定義として205lbs(約93kg)以下、WRESTLE-1のクルーザー級は200lbs(90. 719kg)以下、では231. 5lbs(105kg)までがジュニアヘビー級として扱われる。 基本的数値の基準としては海外やの220lbs(99. ボクシングと違い公式な計量は存在しないことが殆ど(メキシコを除けば必要に応じて行われるのみ)。 階級を超えたマッチメイクもしばしば行われて軽量級に在籍しながらヘビー級戦線で活躍するレスラーも少なくない。 近年ではシャープな肉体の選手が増えた為、105kg以下のヘビー級戦士も多く全日本のようにヘビー級の体重制限を事実上廃止した団体も存在する。 旧は巨漢レスラーが多く参戦していたためにヘビー級の上に130kg以上のスーパーヘビー級を置いたことがある。 時代のではジュニアヘビー級の下に190lbs(86. 28kg)未満のを置いていた。 はその下にさらに、を設置してより詳細な階級区分を行っている。 ルチャ系の団体では全体的に体重の軽い選手が多いためミドル級、ウェルター級などで分類されることもある。 の軽量級に当たるは180lbs(82kg)以下を対象としており、ウェルター級に該当する。 インディー団体では体格に優れたレスラーが少ない傾向にあるため階級区分が行われていない団体が多い。 また、ののように、個々の体重制限はないが選手2人の合計体重が200kg以下というものもある。 なお、女子プロレスにおけるジュニアとは軽量級カテゴリーではなく経験の浅い若手選手を指すカテゴリーである。 ただし、では双方のカテゴリーをまとめてと表現している(キャリア3年以上の体重上限は55kg)。 では軽量級はと呼ばれ、132lbs(60kg)以下を対象としていた。 におけるもほぼ一致する。 のも存在していたが体重制限が撤廃されて現存するタイトルは無差別級となる。 服装 [ ] 試合時の服装は団体によって規定、禁止されているものを除けば特に規定はなく、様々な種類のコスチュームが存在する。 男子の場合、一般的には上半身半裸で以下の種類が使用されている。 近年では着ぐるみ姿のプロレスラーもいる。 アンドレ・ザ・ジャイアント、が体重の増加でショートタイツからショルダータイツに変えたように経歴において複数のタイプを使った例も多い。 着衣 [ ] ショートタイツ ビキニ型のパンツ。 最も一般的なリングコスチュームで黎明期から現在に至るまでほとんどの団体の選手で見られる。 伝統的にでは黒、では赤、青、黄、緑などカラータイツが好んで着用されて新人選手の多くは無地のこのタイプを着用している。 また、馬場全日系は新日系よりも股上が深いものを使用する傾向があった。 黒色無地のタイツに肘、膝のサポーター類を一切着用しないスタイルはの象徴と呼ばれ、現役では、、、らが実践している。 一定のキャリアを積んだ選手の中には柄付きやロゴ付きのものを着用しオリジナリティを演出する者もいる。 他のタイプのコスチュームを着用する時もアンダーウェアとして着用されるほかなどのようにロングタイツの上から着用するパターンもある。 ロングタイツ 腰から膝下、または足首付近までを覆うタイツ。 こちらも古くから使用されており、日本ではが使用していたコスチュームとしても有名。 リングシューズ、膝サポーターをデザインの一部に組み込むことができるのが特徴。 膝下までのタイプは俗に「田吾作タイツ」と呼ばれて、、などジャパニーズヒールの代名詞となっている。 ショルダータイツ(ハーフショルダータイツ) で使用されていると基本的には同一のものだが脚部がロングタイツになっているものや肩がワンショルダーになっているものもある。 レスリング出身の選手が着用するほか、、、、など上半身の肉が厚い超重量級の選手が体を引き締めて負荷を軽減するために着用する。 ショートスパッツ、ハーフタイツ 上記のコスチュームよりも比較的新しい時期に登場したコスチューム。 ショートスパッツはで主流のコスチュームで格闘技色の強い選手は好んで使用する傾向がある。 全身タイツ 上半身、下半身両方を覆うタイツ。 体全体をデザインとするため、など覆面レスラーに着用者が多い。 は上半身がロングスリーブ、下半身がハーフタイツの用のに近いデザインの変型タイツを着用している。 パンタロン タイツタイプの裾だけが広がってる物と道着のような全体に絞めつけのない物とがあり膝サポーターをコスチュームの下に隠してしまえる利点がある。 蹴り技を得意とする選手や軽量級の選手に着用者が多い。 また日本の袴を連想し東洋的なイメージを演出するために、(道着 )、、、の他、前者のタイツタイプは(初代)、、などが着用していた、現在は(4代目)が着用している。 道着 柔道や空手で使用されているものとほぼ同一で、それらの出身の選手が自身のバックボーンをアピールする目的で着用するが上衣や帯は首を絞めるための凶器にもなり得るためズボンのみ着用する選手も多い。 はチームコスチュームとして使用していた。 トランクス ボクシングや総合格闘技の出身者が着用することが多いがプロレスでは着用者の絶対数は比較的少ない傾向にある。 、、が代表例。 普段着 市販の普段着のほか普段着に似せて作られたコスチュームも存在する。 傷や衰えた体を隠す目的で上半身にシャツなどを着用する選手も多い。 デスマッチ系の団体では有刺鉄線や蛍光灯の破片などに対する皮膚の保護を目的として着用する選手もいる。 のが有名。 袴 荒武者のニックネームで知られるは2011年から黒い袴を着用してリングに上がっている。 その他 [ ] 詳細は「」を参照 レスラーのキャラクター形成を行うためのアイテム。 顔面ペイントの元祖は。 、のようにボディペイントを施すレスラーも存在する。 汗や衝撃によって試合時間が経過するごとに剥がれていくのが難点。 そのため現在のは、塗料に加え合成樹脂やラバー製の特殊メイクを貼り付けることによってペイントの代わりとし剥がれを防いでいる。 、パッド 肘や膝を保護する目的で多くのレスラーに使用されている。 中には金属製など硬質のものまで存在して団体によって禁止されているものもある。 リングシューズ 脹脛まで覆うボクシングタイプのもの足首までのレスリングタイプのものなどが使用されている。 基本的には選手の体型に合わせて製作されており、近年の練習や試合での事故の増加に伴い、新日本プロレスがプロレスの運動に適した専用のリングシューズの開発をメーカーに要望している。 によれば 1985年頃までの リングシューズは非常に危険なもので、材質である皮自体が硬く紐もついており特に底のゴムは2センチメールほどもある非常に固いものであった。 このリングシューズを用いて顔面を蹴れば惨事は免れず、またなどを放てば当たり所によっては命に関わりかねず腕でガードしても肘の方が壊れてしまうような凶器であり競技でこれを着用してキックを放てる様なものではなかったという。 足の甲から脛にかけてを覆い蹴りによる自身、相手双方の負傷を防ぐ目的で着用される。 蹴り技を得意とする選手や格闘技色が強い選手が着用する傾向にある。 ではスタンダードコスチュームとして着用が義務付けられており、その名残でUWF系団体出身の選手に着用者が多い。 入場時 [ ] 入場時に限り、専用の服装をする選手もいる。 多くは公式グッズのTシャツか、ガウンを着たりしている。 ガウンに関しては様々な形があり、古くは着物タイプのものが主流であったが近年では選手のギミックに応じて色も形状も大きく異なっている。 その他、やのようにロープやチェーンなどの凶器を持ち込む者こともある。 マスクを被ったりするものいる。 代表例として、が挙げられる。 珍しいものとして、スーツ着用のが挙げられる。 プロレスの歴史 [ ] いわゆるよりも歴史は古く 、近代オリンピック以降ルールをスポーツとして整えた際に大きく枝分かれをしている。 1896年、で行われたは当時のプロレスルール(現在のグレコローマンスタイルに準じたものであるが)で行われていた。 その起源はのランカシャー地方のランカシャーレスリング()にあると言われている。 レスリングのグレコローマンスタイルを賞金マッチで行ったものがアメリカで行われていた記録もあり、もう1つのプロレスのルーツとなっている。 の初め頃にとともにイギリスで興行が開始されている。 有名な「プライズ・ファイター」(現在のボクサー)ジェームス・フィグはベアナックル(素手)、、、、噛み付き、目つぶし、髪の毛つかみのある当時のボクシングのほか、レスリングも得意であった。 代にはアメリカにレスリング勝者に懸賞金が与えられるという興行が伝えられも行っていた。 キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとグレコローマンのミックスマッチ(3本勝負で混ぜる)や更に腰から下へのキックを認めるというような変則的なルールが各地、各試合毎に行われていた。 現在のプロレスに直接つながっているのは19世紀後半のアメリカに広まったカーニバル・レスリングとされる。 カーニバル・レスリングは"athletic show"あるいは短く"at show"と呼ばれた、いわゆるサーカスの出し物の一つとして行われ、その中では、レスラーは観客の挑戦を受けて試合(いわゆる"all comers")をしたりレスラー同士、あるいはとのを披露していた。 19世紀末まではレスリングのみのショーは試合数が限られていたため、レスリングを職業として生活するためには、このようなカーニバル・レスリングに参加するか1人で旅芸人として巡業する必要があった。 は自身が設立したへの批判に対して、「プロレスの起源はサーカスの見世物」と反論して大仁田とは対照的な正統派のも、自伝においてカーニバル・レスリングと旅芸人がプロレスの起源と述べている。 カーニバル・レスリングをプロレスの起源とする考えはアメリカでは一般的であり、kayfabe()、mark()、boy()、bump(受け身)といったも、カーニバル・レスリングで用いられた言葉とされる。 一方、日本のプロレス研究家、あるいは、向けライターはカーニバル・レスリングをプロレスの起源とすることに否定的である。 例えば日本において出版されたルー・テーズの自伝では前述のプロレスの起源に関する記述はない。 これは"at show"の内容が非常に娯楽色が強くプロレスを真剣勝負として紹介している人たちのビジネスに都合が悪いためと思われる。 1880年代に人気レスラーであり警察官でもあったが警察を退職、専業という意味で最初のプロレスラーとなった。 マルドゥーンは劇場などの常設施設で行われるレスリング・ショーの発展に努力して後に「アメリカン・レスリングの父」とも呼ばれるようになる。 1890年代にはカーニバル・レスリング出身のマーティン・ファーマー・バーンズが、らとの試合で人気を集めた。 その後バーンズはを始めとする多くのレスラーを育てレスリングの通信教育も行った。 バーンズもまた「アメリカンレスリングの父」と呼ばれる。 20世紀前半 [ ] に入ると、、といったヨーロッパの強豪レスラーがアメリカを訪れ、トム・ジェンキンス、フランク・ゴッチ、アドルフ・エルンスト(後の)らアメリカのプロレスラーと対戦して、レスリング・ショーを盛り上げた。 1910年代よりアメリカの人口は都市に集中し始め、その結果、町から町へ渡り歩く"at show"は下火となった。 代わりに、劇場などで行われるレスリング・ショーが増えてレスラーは都市を中心としたテリトリー内を巡業するようになった。 このことはレスラー間のつながりを強めて事前に試合内容を調整することを容易にした。 1920年代になると、、(通称「ゴールドダストトリオ」)が数百名のレスラーを配下にして、プロレスラー同士で架空のストーリー(最も分かりやすいのは「善玉」と「悪玉」の闘い)を演じさせた。 また、従来の試合では基本的に1回のショーでは1試合だけを行っていた。 プロレスラーにほとんど動きがないまま1時間以上経過するようなことも珍しくなかったためである。 これを改め事前に様々な調整することにより、複数の試合からなる興行を行った。 これらによりプロレスの人気は高まったが一方で報道、賭博など社会的な場においてプロレスが普通の意味でのスポーツとして扱われる機会は激減。 1920年代にはプロレスショーの仕組みは完成して、、などにも伝わる。 なおメキシコのプロレスはと呼ばれる。 アマチュアスタイル興行復興の試み [ ] 3月にで () (RPW)なる格闘技団体が発足した。 これは(NCAA)レスリング大会などので活躍した選手が全米各地区のチームに所属して純粋な競技スポーツとしてプロレスリングの活動を行うというものである。 ルールや試合場はレスリングのフリースタイルに近く、ポイント制であり、打撃やなどは禁止である。 レスリングとの違いとしては、リングの外に相手を押し出すと得点となることや、攻勢を維持していた選手にボーナスと呼ぶ得点機会を与えることなどがある。 日本におけるプロレスの歴史 [ ] 戦前 [ ] 最初の日本人レスラーはとされている。 初の世界王者は世界ジュニア・ウェルター級王者となったマティ・マツダ(1921年)。 戦前にはハワイで(志熊俊一)が日本人初の重量級レスラーとして活躍したことが、プロレス系の個人サイトに遺族が投稿したのを機に近年、明らかになった(後にで漫画化されている)。 その他に数名の日本人、が主にアメリカでレスラーとして活動していたことが確認されている。 マツダとともにレスラーとして活躍した三国山は帰国後のに東京の銀座で「西洋大角力」を開催しており、これが日本初のプロレス興行とされている。 しかし観客は集まらず失敗に終わっている。 にアメリカのプロレスラー、が弟子のを連れて来日し、に対戦を要求。 講道館は対戦を拒否したが、系列のが受けてたち、永田礼次郎、庄司彦雄、増田宗太郎、清水一の4名の柔道家が対戦。 今で言うであり、試合は東京の九段の相撲場で3月5日と6日の両日に行われている。 なお、この試合に関しては「 プロレス対柔道」のタイトルでにて漫画化されている。 日本の大手プロレス団体はがデビューしたを日本におけるプロレス元年としている。 プロレス興行が根付いたのは戦後に力道山がにを旗揚げしてからのことである。 しかし戦前にもいくつかのプロレス興行があったことが確認されている。 戦後間もない頃で多くの日本人が感情を募らせていた背景から、力道山が外国人レスラーを空手チョップで痛快になぎ倒す姿はを見る群集の心を大いに掴み、と並び国民的な人気を獲得。 昭和後期、BI砲の時代 [ ] その後、日本においては力道山の率いるの独占市場であったが、力道山の死去後、と(いずれも現在は消滅)が相次いで旗揚げして、さらに力道山の死去後の日本のプロレスを支えていたが新日本プロレスを、そしてが全日本プロレスを旗揚げして両エースを失った日本プロレスは崩壊する。 しばらくの間は上記の2団体と当時は健在だった国際プロレス、そして女子プロレス団体である全日本女子プロレスの4団体時代が続くことになる。 1970年代以降、猪木はプロレス最強を掲げて、らとを行い、馬場もとのコネクションから多くの大物外国人レスラーを招聘しそれぞれ人気を獲得。 国際プロレスもヨーロッパ路線と路線を展開して独自のファン層を開拓。 に入ると馬場の弟子である、、猪木の弟子である、らいわゆるが台頭する。 また、新日本ではがとしてデビューして、それまでヘビー級の過渡期として位置付けられていたジュニアヘビー級をヘビー級から独立した独自のカテゴリーとして、その礎を築いた他、子供層の取り込みに成功して、人気を更に増した。 にはが旗揚げされ、ショー的要素を排除したシュートスタイルのプロレスを確立して、後のの台頭への布石となった。 平成期 - プロレス人気の低迷と団体乱立 [ ] にはがを旗揚げ。 デスマッチを主体とした興行で成功を収めてインディー団体というカテゴリーを確立。 この団体は同時に「」の世界的なパイオニアという側面を持ってもいた。 に入るとFMWの成功を受けて多くのインディー団体が相次いで旗揚げされて団体乱立の時代を迎えた。 この頃から馬場、猪木が第一線を退きプロレス人気に翳りが見えるようになった。 それまでゴールデンタイムで中継されていたプロレス中継は深夜帯へと移動してジャンルのマニアック化が進む。 一方、興行面ではなどの大会場の使用が進んだこともあって観客動員においては最高潮を迎えた。 この頃からアメリカンプロレスがテレビ主導の興行に切り替えを行ったため外国人レスラーの招聘が困難になり日本のプロレスは日本人レスラー同士の闘いに重点を置くようになった。 新日本では(、、)、全日本では(、、、)が台頭して後にまで業界を牽引してゆく。 一方、第2次は、、に分裂(藤原組はその後さらに、に分裂)して細分化が進む。 1990年代後半に入ると、など総合格闘技が台頭し、それまでプロレスが請け負っていた異種格闘技としての側面を奪われる形となった。 古くからアントニオ猪木が「プロレス最強」を掲げていた背景から、これを受けて多くのプロレスラーが総合のリングに参戦するが準備期間の短さなどから結果を残したレスラーは少なく人気低迷に拍車をかけた。 一方で、UWFインター、キングダム出身の桜庭和志や新日本プロレス出身の藤田和之など、総合格闘技のリングで大変優秀な戦績を収めた者もいる。 1997年にのが試合中の事故により死亡。 日本プロレス史上、初めてのであった。 2000年代 - メジャー団体分裂による勢力再編 [ ] に入ると日本のプロレス界の勢力が一変した。 全日本では馬場の死後は社長に就いたと馬場のとして経営の権限を持つが団体運営を巡って対立し、三沢は殆どの所属選手と共に団体を退団してを旗揚げ。 新日本でも、が団体を解雇されて新たにを旗揚げして新たな4団体時代を迎えた。 一方で、所属選手の殆どを失った全日本は団体存続をかけて新日本との交流に踏み切ることにした。 にが新日本を退団して全日本に移籍、同年10月に同団体の社長に就任する。 メジャー団体とインディー団体の交流は1990年代から頻繁に行われていたが2000年代以降はメジャー団体同士の交流が盛んに行われている。 この頃からが日本でも人気を博して、その流れを受けて、、などエンターテインメント志向のプロレス興行が行われるようになった。 には国内初のプロレス統一機構の確立を目指しが発足したが、わずか1年で連盟としての活動は途絶えている。 2000年代前半はいわゆるが台頭するが、人気面で上の世代である三銃士、四天王を凌駕することはできず依然として旧世代が興行の中心を担う形となった。 しかし、2005年に橋本が、2009年に三沢が急逝し他の三銃士、四天王も退団や負傷欠場などによって定期参戦がままならない状態となり、さらに2000年代後半からは第三世代の下にあたる第四世代とも言える新世代の台頭が著しくなり各団体の勢力図が変革されていった。 現在 [ ] 2011年には復興支援を目的として新日本、全日本、ノアによる合同興行が開催され、翌2012年には新日本・全日本が旗揚げ40周年記念興行を合同で開催するなど団体同士の連携を強めている。 2000年代に低迷してゲーム会社のの傘下となっていた新日本プロレスは2012年にエンターテイメント企業「」の子会社となり同社のコンテンツビジネスとの連携を深め、観客数と売り上げを大きく増やし、2016年には団体史上最高額の事業利益を達成している。 ノアは三沢亡き後の団体をまとめきれず主力選手の離脱が相次いでいる。 ノアを離脱したらはベンチャー企業の(後の八丁堀投資)の傘下となっていた古巣の全日本に復帰する。 しかし全日本のオーナーとなったスピードパートナーズ社長(当時)のの運営に反発した武藤らが全日本を退団して、新たにを旗揚げ。 一方、全日本は親会社の経営破綻により秋山を社長とした新体制で再出発。 各団体で主力選手の退団、移籍が発生した他、インディー団体出身のレスラーによる地方団体旗上げが相次ぐなど、細分化も進んでいる。 また現在、日本のプロレス市場はWWEを始めとする海外団体が強く関心を寄せており、、らがWWEへ進出した他、新日本やDRAGON GATEに参戦していた外国人選手が相次いでWWEへ移籍しており、WWE進出を狙う選手やWWEを解雇された選手が相次いで日本の団体に参戦するなど、移籍市場として一定の価値を獲得している。 2020年、対策による興行開催自粛を受けて4月15日、(、オーナー)が音頭を取る形で国内男女7団体 が衆議院議員、スポーツ庁、経済産業省に休業補償などの要望書を提出。 馳は7団体にコミッション設立を要請した。 女子プロレス [ ] 2012年12月 テレビ(中継対象として) 日本の地上波ではや及び、その関連局が大手団体の興行を中継(主に録画)している。 かつてはゴールデンまたはプライムタイムに60分の番組枠を持っていたが、日本テレビ系列は30分に縮小後2009年3月に撤退して、現在はテレビ朝日系列のみで深夜に30分と縮小されて放送されている。 ケーブルテレビやCSといった有料放送でも放送しており、専門チャンネルも存在する。 アメリカではUSA NetworkやSpike TVが放送を行っている。 テレビ(報道対象として) エンターテインメントであると同時にスポーツでもあるという認識でスポーツ番組でも取り上げる。 NTVやテレビ朝日などプロレス中継を行う局が取り上げることが大半。 芸能人が試合を行う場合はワイドショーで扱われることがある。 1979年に行われた「」は、当日参加したプロレス団体と放送局の結びつきが強いことを考慮して中継という形での放送はせず、メインイベントのBI砲復活試合(ジャイアント馬場・アントニオ猪木対アブドーラ・ザ・ブッチャー・タイガー・ジェットシン)のみを、中継ではなくスポーツニュース用の報道扱いであれば1局につき3分まで映像を流してもよいとの許可を出して日テレとテレ朝がそれぞれ中継を担当するレギュラーの実況アナウンサーによる解説でスポーツニュースの枠で放送されている。 一般新聞 スポーツ面に掲載されることはほとんどない。 著名レスラーの死去 、興行会社の倒産、関係者が刑事事件を起こすといった場合に報道される程度である。 珍しい例としてが新聞の聞き書き欄に登場したり、死去した際に追悼コラムが掲載されたりした例はある。 しかし2007年8月下旬から10回に渡り夕刊一面でプロレスの特集が組まれ、レスラー(現役、元)、関係者、、プロレスファンであるなど、約30名のインタビューが掲載された。 一般紙でこれだけ長期に渡り、さらに一面でプロレスの特集が組まれたのは異例中の異例である。 スポーツ新聞 紙面上の扱いに新聞間で差があるものの格闘技と同様に報道される。 試合結果、インタビューなどが掲載される。 かつては、(とその系列)とのみが扱った(女子プロレスも掲載するのはデイリースポーツのみ)。 1986年に大相撲の元横綱のプロレス参戦と同時に各スポーツ紙が掲載するようになった。 専門誌(紙) 新聞と同様、試合結果(詳細な試合レポート)、選手インタビュー、その他企画記事などを掲載している。 新聞よりも各団体のアングルの展開状況を解説する役割が強い。 基本的に層を主要購買層としてプロレスを純粋な勝負であることとして扱う。 プロレス団体の数が増えて、その一方でテレビ、新聞報道が少なかった時期(主に1990年代)は、試合内容を早く、詳しく知るための中心的な存在でありビッグマッチの数日後に「速報」という形で増刊号を発行することも多かったがインターネットの普及により、その優位性はほぼ失われた。 そのため電子メディアとの差別化に苦しんで、発行部数は減少しつつある。 それに伴い、掲載広告はプロレス関連企業の比率は低下して、消費者金融や出会い系サイトなどの割合が高くなっている [ ]。 2007年3月に休刊した週刊ゴングはプロレスとは全く関係ない玩具やアクセサリの誌上通販、出会い系サイトの広告を行っていた。 以下は専門誌の代表的なもの。 (旧:紙のプロレス、紙のプロレスRADICAL)(休刊)後継誌としておよび、に移行。 専門サイト(WEB) 専門誌と同様、試合結果(詳細な試合レポート)、選手インタビュー、その他企画記事などを掲載している。 新聞、専門誌より速報性が高く、YouTube・USTREAM・Twitterなどの普及と相まって情報取得、拡散手段として重要な役割を果たしている。 また専門誌の減少によりWEBマスコミの詳細か各団体の公式サイトでしか情報が取得できない団体も多くなりプロレス文化の下支えとなっている。 週刊プロレスモバイル• バトル・ニュース• リングスターズ• ファイト! ミルホンネット• ぼくらのプロレス• 報道における特徴 プロレス報道における最大の特徴は「『選手経験を持つ、専門の技術』でなくとも解説が務まる」ことである。 テレビ放送時はアナウンサーと解説が付くことが通例であるが、その場合の解説者は、現役レスラー、OBレスラー以外に、マスコミ関係者であることが多い。 やにおいては、解説者は必ずしも、その球団のOBではない。 異なるリーグで一度も対戦経験の無かった、元選手が解説をすることも珍しくはない。 しかし、プロレスの場合は、後にフリーの技術解説者になって様々な団体の中継で解説を行うことは珍しい。 解説の蝶野正洋や、の旗揚げ戦、2015年にで解説を行なった、において女子全般を担当するは極めて稀なケースと言える。 活字メディアにおいても同様であり引退した選手がコラムを寄稿することはあっても、その選手が全く関係を持たなかったプロレス団体の試合分析を行うことは珍しい。 プロレスラーには厳密な引退は存在せず廃業のみがあり、現役復帰が極めて多いことも理由である [ ]。 プロレスがプロ野球やプロサッカー、と違い、スポーツとして取り扱われない理由は台本の存在にある。 逆にオリンピック競技の1つであるアマチュアレスリングは、スポーツとして扱われている。 マスコミ関係者による解説は「気合」、「殺伐」といった精神論的、抽象的表現に終始してしまうことが多い [ ]。 一時期、がフリーの解説者になると表明したことがあったが、結局活動は行われなかった。 ジャーナリズム プロレスにはスポーツジャーナリズムは存在しないことも特徴のひとつである [ ]。 芸能産業、興行ビジネスであるため何らかの形で各地域のと関係を持ちトラブルが発生したりレスラーがのとしてメディアに露出した場合は前述の専門誌やスポーツ新聞は黙殺、無視のスタンスを取り、報道を行わない。 この様なトラブルを扱うのは主に一般週刊誌などである。 近年では暴露本の類のが多く発行される様になった。 日本のプロレスにおいては、しばしばプロレス団体から報道各社に対し「取材拒否」が行われることがある。 これはプロレス団体に対し、不利益な記事を書いたために行われることが大半である。 取材拒否は、そのまま、そのプロレス団体のファンが買っていた分の販売部数の減少に繋がるため広告収入で成り立つマスメディアにとって致命的となるため、プロレス紙誌は各団体の機関誌、広報誌以上の内容にはならないことが大半である。 力道山時代からプロレスは「プロレス村」と表現される程に閉鎖的、排他的傾向を持ちマスコミもその閉鎖性を保持、維持する立場を取ることが多い。 がによる主催であった時代「あなた達(KRS)は何者なんですか」という質問がなされたことを代表に、詳細な取材よりも団体から流されるリリースをそのまま掲載することが少なくない。 選手インタビューと銘打たれていても事実を述べてそれに対しての選手や考え方を訊くような質問の意図が明確な内容よりも選手の独白に記者が詩的修飾語が多用された解説・脚注を加えたものが掲載されることは少なくない。 この傾向はプロレス雑誌での試合観戦記においても例外ではなく後述の「台本」の項の通りターザン山本編集長時代の週刊プロレスのように裏金や誌面優遇などの癒着の見返りに記者自らが台本を決定していた行為が公然と行われていた時代には他スポーツの観戦記に見られる様な試合経過を淡々と写実的に解説する文面ではなく試合展開や背後のアングルをベースに詩的修飾語が多用されたかに近い内容の観戦記も多々見受けられた。 なお、ライターの斎藤文彦は上記に異を唱え、「プロレスマスコミ」という存在があることが、日本において特殊なジャーナリズムと記述している。 ショー的側面 [ ] ブック [ ] 詳細は「」を参照 ブックとはプロレスの試合における段取りや勝敗の付け方についての台本のこと(なお照明、音響、撮影係等のスタッフ用の興行進行台本はこれとは別の物)。 この台本を考案、作成する人間を「 ブッカー」または「 」と呼ぶ(ただしbookerのbookは「出演契約を取る」という意味のbookであり「脚本家」という意味ではない)。 ブッカーはリング外での筋書き()及び試合展開や決着方法についての台本を考えてレスラーはそれに合わせた試合を行う。 勝敗以外の詳細な試合展開については、試合を行うもの同士の裁量に任されることが多いと言われて口頭での打ち合わせによる。 実際に本があるわけではなく、それでも力学に変動のある様式を岡村正史は「ジャズのアドリブ演奏」に例えている。 基本的に試合展開や決着方法に関するブックは当事者以外には知らされないとされているが進行や演出の都合上の音響、撮影スタッフに伝達されることがある(後述)。 の内幕を描いた『』では、とが場外時の観客席の移動ルートやパイプ椅子での殴打回数などを打合せするシーンが見られる。 またWWEは経営上の理由(スポーツよりとして登録する方が、が低くなり税制上有利、また株式上場にあたり台本の存在を非公表のまま上場することが上問題がある)から台本の存在を公言した。 また所属レスラーが死亡した際に物語上で対立していたレスラー [ ]が「対立はあくまでもでありリング外では家族の様な関係であった」と自身のWebサイトで弔意コメントを出した。 は自身のDVDの中で当時の決定方法について述べている。 日本の場合はプロレス団体自らが台本の存在を公言したことは無い。 やも試合を行うハッスルのように「エンターテインメント」をとして用いる団体は存在する。 日本のプロレスで台本の存在が公になったのは法廷である。 との試合終了後の乱闘で渡辺が負傷したことについての裁判では、が「通常のプロレス興行で、事前の打ち合わせ無しに相手に攻撃を仕掛けることは許容されておらず、観客に見せるプロレス興行としては異質の暴行」との裁判例を示した。 また、女子プロレス()でもと(小川宏)社長間のやをめぐる裁判で台本の存在を認定した上で判決が行われた。 裁判以外でも個人が日本の団体における台本の存在を明かすことはある。 が海外でのインタビューで「でと試合を行った時、(決着を付ける技)だけは前もって説明が必要であったが、それ以外は話すことなく試合をさせてくれるので自由で良い団体だ」と語った。 近年多く出版されるプロレス内情暴露本では新日本のOBレスラーが昔は台本はあってもそれ以外の部分は必死に闘っていたのに、今のレスラーは必死さが足りないと嘆く形で存在が明示された。 台本の存在や取り決め方は新日本プロレスのであった、が自著で詳しく述べている。 またプロレスの台本の存在をトリックに組み込んだミステリー小説『』がを受賞。 新日本で行われた異種格闘技戦も台本が存在したとミスター高橋は著書で述べている。 代表的なものとしてメダリストのとが試合をした場合もルスカはプロレス技を数多く受ける台本を打ち合わせの時点で了承していたと述べた。 全日本の場合には元週刊プロレス編集長であったが、近年自著の中で台本の存在を明らかにした。 全日本からのによる選手の引き抜きに伴い、が山本に裏金を渡した上で誌上でのSWSバッシングを行う様依頼したことが契機となり、山本とに近い関係が生まれ、馬場はその後週刊プロレス誌上で全日本プロレスを優遇する見返りに、ビッグマッチにおける台本を山本および一部記者に決定させる権限を与えていたと山本は述べている。 代表的なものとして、後のの原点とも言われ、が大きく飛躍する契機となった対三沢光晴戦の決着を、ではなくでのギブアップとする結末を山本達が決定したことなどが挙げられる(ただし実際には三沢が鶴田からギブアップ勝ちをしたのは三沢が飛躍する契機となったシングルマッチではなく鶴田のライバルとしての地位を確立した後のタッグタイトルマッチである。 三沢の対鶴田シングル初勝利はピンフォール勝ち)。 また台本の存在が公表されているアメリカで出版されたの伝記に「この時の日本遠征では世界王座が移動する予定はなかった」などの記述が登場することがある。 、の自伝など。 によるを扱った書籍「泣き虫」において高田が台本の存在を明示している記述がある。 長野県を中心に活動しているや芸人たちによるギャグプロレス団体のではキャッチコピーに「台本重視、安全第一」などと掲げている。 ラジオ番組でゲスト出演した構成作家が某女子プロレス団体でも仕事を行っていると発言。 当時全日本プロレスを中継していたのが製作したアニメ「」の第12話「場外乱闘流血必至!! ただし、個人が台本の存在を明示することはあっても全ての団体、全ての試合に台本があるという証明がされているわけではないので、その点においては理解が必要である。 またかつての全日本女子プロレスの所謂抑え込みマッチの様にプロレスとしてのフォルムや暗黙の起きてを守りつつ結末を決めないで試合をする事が日常茶飯事だった例もある。 台本通りの試合展開にならなくなることをそれを引きちぎる様から「ブック破り」と呼ばれる。 ブック破りは一方の選手が意図的に行うことが多いが何らかのアクシデントのためやむを得ずブック破りになってしまう試合もある。 アングル [ ] 詳細は「」を参照 特に20世紀中期以降のアメリカ合衆国のプロレスなどの場合、選手には一定のキャラクターが要求された。 それにはレスラーが考えたものもあれば団体から提示されるものもあった。 特定の人物が悪役()として振る舞う。 悪役は反則するのが当たり前で審判の目を盗み、あるいはその制止をも無視して反則技を振るい、客の正義感を沸き立たせる。 大半は最後に敗北して客は溜飲を下げるが場合によっては反則攻撃などの汚い手段で勝利、反則負けをする。 悪役が勝っても反則負けをしても次回の試合への客の関心を集める役目を果たした。 これに対して正義漢、善玉の役割をという。 やられ役が負けることをという。 特にアメリカのプロレスでは、その面が顕著で日本でも昭和期のプロレスにはその色が強かった。 悪役は往々にしてな嫌われ者を体現して特に外国出身を名乗る選手では人種的民族的偏見を明確に示す場合があった。 場合によっては風貌が近い者を別の国の出身者に仕立てることもあり悲喜劇的な例としての支配による体制を嫌ってからアメリカにしたが試合前にソ連の国歌を歌うなどのギミックを背負った悪役にされた例がある。 また、ギミックには世相が反映されることが多い。 特にアメリカではその傾向が強く後にはを連想させる不意打ちを連発する「卑劣な」風のレスラーや「の残党」を名乗るレスラーが多数存在して、米ソ冷戦時代はロシア出身を名乗るレスラーが多数いたり時にはアラブ人のギミックでの側近を名乗ることで観客のヒート(興奮)を買う、といったことが繰り返された。 興行の進行用台本 [ ] 前述の「ブック」とは別物である。 ブックはレスラー間の試合内容の打ち合わせを意味するが、これは裏方スタッフのイベント進行用の台本であり各種機材の使用のタイミング・順序等を示したものである。 かつてはでの興行「ZERO-ONE USA」のテレビ放送進行用台本が出品されることがあった。 また、日本ではとが中心になって開催されたイベント「」においての叫び声と同じ言葉「いっちゃうぞバカヤロー」がに表示され、レスラーと会場スタッフ間での段取り決めがあることを示した。 もっとも、小島の「いっちゃうぞバカヤロー」は殆どの試合で見られる小島の得意の 1 対角線エルボー 2 「いっちゃうぞバカヤロー」 3 ダイビングエルボーの流れの中で出されるものであり、段取り決め等を行っていない観客も一緒に叫ぶことが通例となっている。 また、日本の週刊誌()が「」の会場スタッフ用台本を誌面に掲載したことがあり、それには勝者用のテーマ音楽についてなどの指示が記載されていた。 非ショー的側面 [ ] 詳細は「」を参照 プロレスは真剣勝負やスポーツではないが例えば蹴り技ではK1などの格闘技のように相手選手の急所を狙う(膝へのローキックなど)のではなく、鍛えた筋肉で守られ怪我をする恐れが少ない部分をめがけ、力を込めて蹴っている場合もあるのであり同様の技を常人が受けた場合は危険が生じる(それに対しての場合は、拳骨部を当てると顔が腫れ上がったり、骨折などの怪我を誘発する恐れがあり危険であるためが普通である)。 プロレスラーが受けてもタイミングの狂いなどから危険が生じることは時々ある。 はの首をのかけ損ないで骨折させたことがあり、またハンセン、、など試合中に失神してしまった例も多い。 は業界一の受身の達人といわれていたがの受け損ないで死亡している。 ただし佐山聡によれば、多くのプロレス技は「暗黙の了解」がなければかかるようなものではなく、かつ格闘技には使えないものであると断じている。 また、本質は真剣勝負ではないとしても試合中に本気になってしまう場合など、それに近い試合が行われてしまうことはある。 以下に例を挙げる。 対は「シュート」(演劇的要素を無視した試合)に近いものであり試合中は本気のパンチを当てていた(相手にかけた関節技を自ら解くなど、完全な真剣勝負ではない)。 タッグマッチ中にがによる顔面への攻撃に本気で怒り大谷を追い掛け回した挙句、味方であるにそれを止められている [ ]。 はが本気で危険な技をかけてきたのに対して、関節部への危険な蹴りを多発した()。 試合中の細かい点までは決めない団体も多く、気性の荒い者たちによる試合中のトラブルは時々見られる。 演劇的、ショー的な要素はあるものの、プロレスにはそれにとどまらない部分もあると指摘されることもある。 はその一著において [ ]、試合が「演技」であるプロレスは世間から最も軽蔑されているスポーツであるとしたうえで「演技」であるからこそプロレスは偉大なのだと論ずる。 すなわちやにおいては、相手の攻撃に対する防御それ自体が「強さ」であるがプロレスにおいては、相手の攻撃をどれだけ受けられるかが「強さ」なのであるという。 そうしたことから町山は、敵の攻撃の全てを受け抜いて「伝説」になったという点でこそが世界最初のプロレスラーであったとしている。 用語の特殊性 [ ] 詳細は「」を参照 日本のプロレスにおいては企業経営で用いられる言葉を他の表現に言い換えることが多い。 以下はその代表例。 また日本のプロレスのビジネスモデルの基盤を成立させた力道山が出身だったためは相撲と共通するものが多い。 団体 プロレスラーあるいは他のスタッフと契約して興行を行う一般では興行会社と呼ばれるものをプロレスではこう称する。 規模によってメジャーとインディペンデントに分類される(詳細は後述)。 レスラーが所属せず興行ごとに要員を契約する会社をプロモーションと呼ぶ場合がある。 道場(練習施設)を自社保有していれば団体と呼べると指摘されることもあるが、厳密に団体・プロモーションを分ける基準は無い。 そのため数人程度の所属選手とフロントのみで練習は他団体の道場やジムで行っている興行会社であっても「団体」を自称する興行会社も多い。 また、プロレス興行を行わないもしくは年間興行数が非常に少なく自社の保有する練習施設を利用しての所属選手育成および他団体派遣を中心行う会社 (フリーのプロレスラーの所属 もこれに含まれる)は「事務所」、「オフィス」、「道場」などと称する場合もあり、これらも「団体」を自称していることもある。 逆にこれらに所属する選手は「フリー」として扱われる場合も多い。 しかし、団体=組織を表すのでは無いため、所属選手が1人でも団体を名乗ることが出来る。 メジャー団体、インディペンデント団体 プロレス団体はメジャーないしはインディペンデント(略称はインディー)団体と表現される場合がある。 規模の大きさに依存する概念である(詳しくは「」を参照)。 海外の場合は株式上場しているが、現在のところ日本では上場している団体は無い(2015年7月にが3年から5年後の株式上場を目指すことを表明している。 それ以前にも2006年9月にが株式を公開して将来的に上場するという予定を発表していた)。 インディー団体は運営規模から、総じて地域密着型の団体が多く所属レスラーもメジャー団体に比べて小柄なレスラーが多い。 規模や旗揚げの経緯からメジャーにもインディーにも括りきれない団体は「準メジャー」、「ボーダー」と表現されることもある。 地上波テレビ中継の有無• 全国規模の巡業• 団体または関連会社が管理する道場(寮とリング他練習用具が一体となった施設)の有無 かつては小規模団体は自前でリングを持たないため、練習は他団体の施設を空き時間に借り興行ではリング屋から賃貸することが多かったが近年は小規模団体でも練習設備が充実している団体が多いことから現在この条件を用いることはほとんどない。 一部マスコミでは新日本プロレス、を「2大メジャー団体」、これにを加えて「3大メジャー団体」と呼称しており、(現:)が活動していた時期にはこれを加えて「4大メジャー団体」などと呼称していたが団体がプロレスリングZERO1-MAXに改称して以降は活動規模を大幅に縮小したために上述の準メジャー団体、など一部のレスラーからはインディー団体として扱われている。 また(旧:)はインディー発ながら興行規模においてメジャー団体に匹敵、あるいは凌駕しておりメジャー団体の一角に数える向きもある 他にも同じくインディー発だが今日ではメディアによってはメジャーとして扱われることもある。 さらにも既にインディーのカテゴリーではないという意見もある。 一方で全日本とノアが地上波放送を失い選手層が薄くなったことなどもあり2013年現在では新日本を唯一のメジャー団体とする見方もある。 女子プロレスにおいてはが絶対的なメジャー団体として存在していたが解散後は女子プロレス界の縮小及び団体の細分化が進み女子団体すべて足しても男子インディー1団体のシェアにも勝てないと言われる。 プロレスを題材としたフィクション作品 [ ] 小説 [ ]• 漫画、アニメ [ ]• 実写作品 [ ]• ゲーム [ ]• goo辞書. 2019年7月10日閲覧。 『大辞林』• 松村明『大辞泉』• 『広辞苑 第三版』(1987年)• 編集部『imidas現代人のカタカナ語』(2006年)• 岡村正史「プロレスという文化」(2018年)ミネルヴァ書房 21頁• なお、プロレス評論家のによると「『ラスリン』は侮蔑的用語」「知ったような顔で得意げに『ラスリン』と口にしてレスラーに殴られた人間が何人もいる」という。 ぼくらのプロレス 2016年1月21日. 2016年8月22日閲覧。 早稲田大学. 2016年8月22日閲覧。 この場合の6角形リングは単なる目新しさでは無くメキシコにあるルチャリブレ・クラシカという関節技とポイント制によるルールを用いた競技形式のために使われたものである。 現在でも平成維震軍で一緒だったでもあるから受注しているとのこと(著書『やってやるって!! 』より)。 『ケーフェイ』新装版 pp. 161-162• 日刊SPA! 扶桑社. 2015年8月2日. 2017年4月18日閲覧。 ベースボールマガジン社刊『プロレスの教科書 "人間風車" ビル・ロビンソン直伝 "蛇の穴"のレスリング キャッチ・アズ・キャッチ・キャン スキルブック (SPECIAL)』著• 高木圭介 東京スポーツ(2012年11月2日)• (サイト運用停止中)• 私のプロレス研究ノート 2010年10月13日. 2016年8月22日閲覧。 日刊SPA! 扶桑社. 2015年8月22日. 2017年4月18日閲覧。 日刊SPA! 扶桑社. 2015年9月25日. 2017年4月18日閲覧。 原作・原案:、作画:にて、週刊少年ジャンプ1976年 昭和51年 第21~26号にかけて全6話にて連載。 木谷高明、新日本プロレス(、会長)、(、福田剛紀社長)、(副社長、石黒雅史広報)、(、高橋晃執行役員)、(代表、不破大志)、スターダム(、原田克彦社長)、東京女子プロレス(、代表)• ベースボール・マガジン社「週刊プロレス」2020年5月6日号 No. 2026 22-24頁• 英語のMidgetの発音は、日本語のミゼットより、ミジェットと言う方が近い。 ただし「著名」というのはプロレス界的な意味での著名ではなくやの死亡記事が掲載されなかったという事実がある。 週刊プロレスでコラムを持つ小橋建太など、ゼロではない。 日刊SPA! 扶桑社. 2017年5月19日. 2017年5月20日閲覧。 岡村正史「プロレスという文化」(2018年)ミネルヴァ書房 214頁• なおギミックはプロレスに限った話ではなく例えばボクシングの「亀田三兄弟」など格闘技においてもギミックと理解出来るユニットが登場している。 またのような「兄弟や姉妹を名乗って活動している他人」はプロレスでも「他人同士による兄弟タッグ」として多数の例がある• 『ケーフェイ』新装版 p. 131• 代表的なものとしてを開催するハッスルエンターテイメントがある。 代表的なものとして、団体化前のがある。 のやの藤田事務所など。 一例としての• デイリースポーツ. 2015年7月18日. 「闘龍門大百科 -ULTIMO DRAGON GYM公認」東邦出版刊• 週刊ポスト. 2015年6月26日. 5 女子プロレスエロカワ主義III p. ファイト! ミルホンネット マット界舞台裏10月3日号 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

次の

新日本プロレス入門順まとめ 新弟子編(入門年表シリーズ)

プロレス まとめ

プロレス選手達の面白い発言であったり、迷言・珍言などをまとめました。 発言内容それだけを見るとよく意味がわからなかったり、何が面白いのかわからないかと思いますので、その背景にある事情や条件などを説明欄で解説していますので合わせてご覧下さい。 プロレスはリング上で行われる迫力ある試合だけでなく、リング外での舌戦やパフォーマンスも魅力の1つですが、真剣な場面だからこそ思わず口に出てしまった事や、非日常の空気感の中で生まれた言葉はその人の人柄であったり本音なども垣間見れるという楽しみもあります。 そして、テレビやマスコミ業界の作家さんにプロレスファンが多いのか、プロレスの出来事を元ネタとしたテレビのコント(特に深夜番組)、ネットテレビのAbemaTVなどで見かける事がちょくちょくあるので、「ああ、あの発言のパロディーか」といった風に、知らずに見るよりは元ネタを知っておくことでより理解しながら笑える場面もあるかと思います。 例えばバラエティー番組の乱闘シーンなどで「何コラ!タココラ!」や「またぐなよ!絶対にまたぐなよ!」というセリフが使われる事がありますが、これはプロレスラーの長州力さんが喧嘩相手に対して使ったフレーズで、知っている人にとっては爆笑ですが、予備知識が無い状態で聞くと少しは面白いですがただ乱暴な言葉に聞こえちゃいますよね。 それでは覚えておきたいプロレスの面白ネタをご覧下さい。 内容 発言者(敬称略) 説明 1+1は2じゃないぞ。 オレたちは1+1で200だ。 10倍だぞ10倍 小島聡 2じゃなく200なので100倍が正しいわけですが、10倍と発言してしまいました。 雑誌「宝島」の読者コーナーで紹介されたことがきっかけでネットにも画像が広まり話題になり、現在でも定期的にネタとして出回るので、頻繁にツイッターやSNSを覗いている方は知っているかもしれません。 2014年には小島さん本人のツイッターアカウントで「」というツイートもされました。 時は来た!それだけだ 橋本真也 「破壊王」として知られる橋本真也さんが、蝶野正洋さんとのタッグで試合をする直前の控室での発言(1990年2月)。 対戦相手はでアントニオ猪木さん・坂口征二さんという超ビッグネームで、舞台は東京ドームという緊張感ある試合前インタビューでしたが、まずは蝶野さんが「潰すぞ今日はおい!見とけオラぁ」と気合を入れ、次は橋本さんにマイクが向き「時は来た・・・それだけだ」と発言し、思わず蝶野さんが口を押さえ爆笑をなんとかこらえる姿がカメラに一瞬映ってしまいました。 「時は来た」の後に、蝶野さんをチラッと様子見し反応がなさそうだったのでボソッと「それだけだ」とつぶやくような小声で言ったためこの空気感で思わず爆笑しそうになったようです。 2012年にはこれをネタにPlayStation 3のテレビCM「大作ソフトがゾクゾク篇」でこの映像が使われました。 この日の対戦相手の猪木さんの発言「出る前に負けること考えるバカいるかよ」もCM化されています。 両CMはこちら「」をご覧ください。 出る前に負けること考えるバカいるかよ! アントニオ猪木 1990年2月、橋本真也さん・蝶野正洋さんとのタッグ戦直前の控室でのインタビュー中、「もし負けるという事があると、これは勝負の時の運という言葉では済まないということになりますが」と質問された猪木さんが「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」と怒り出しインタビュアーにビンタします。 このビンタをきっかけにいわゆる「闘魂注入ビンタ」と呼ばれるパフォーマンスが誕生したと言われています。 俺と蝶野 蝶野正洋 蝶野さん本人が「俺と天山」と言おうとしたところ、自分の名前を言ってしまいました。 言った瞬間、天山さんが蝶野さんの方向を確認するような目でチラッと見ます。 2003年に両国国技館行われたIWGPタッグ選手権で、天山広吉さんとタッグを組み勝利し、試合後のインタビューで発言しました(試合相手は村上和成さん・安田忠夫さんタッグ)。 映像は天山さんの顔に血が付いているため、苦手なかたはこちらのリンクは飛ばないようにしてください。 オラエー 蝶野正洋 蝶野さんの迫力ある声で煽る際に最後に「オラ!エー!」と付け加える事が多いことからファンの間でネタになっています。 ツイッターを見回してみるとときどき「オラエー!」と怒ってる(怒ったふり)ツイートを見かける事があります。 正直スマンかった 佐々木健介 IWGPヘビー級チャンピオンだった佐々木健介さんと、そのベルトを狙っていた藤田和之さんの対決が決まりましたが、その後対決前に健介さんがスコット・ノートンさんに破れベルトを失う事態となりました。 そんな状況ではありましたが、藤田さんが試合を行うことを自らの口から表明(2001年3月20日に代々木競技場第二体育館にて)、その場にいた佐々木健介さんは(ベルトを失ったしまったことを)素直に「正直、すまんかった」と発言。 不利な状況でも虚勢を張ったパフォーマンスが多い中、正直な心境をそのまま言葉にするという非常に珍しい場面だったといえます。 2ちゃんねる(現・5ch)ではこの場面を再現したAAなどが作成されました。 僕は自分の明るい未来が見えません! 健想 KENSO 新日本プロレスの現状について猪木さんが蝶野さん天山さんらに意見を求めていたところ、次々とレスラー達がリングに上がり猪木さんに訴えます。 「お前は怒ってるか」という猪木さんに問いに対して1人ずつ発言するなか、健想さんは「僕は自分の明るい未来が見えません」と叫びますが、これに対し「見つけろ!テメエで」と回答(2002年2月1日 北海道立総合体育センター)。 自ら問うたにもかかわらず「俺に言うな」などと突き放すような発言が続いたため会場では笑いが起きていました。 これらのやり取りは「猪木問答」と呼ばれています。 スタイナーズは日本人離れをしていますね マサ斉藤 解説席に入ったマサ斉藤さんが、外国人選手であるスタイナー兄弟のタッグ「スタイナー・ブラザーズ」(ザ・スタイナーズ)に対し「スタイナーズは日本人離れをしていますね」発言したとされています。 お前平田だろ! 藤波辰巳(藤波辰爾) 「スーパー・ストロング・マシン」というマスクの選手に対し藤波さんが放った一言(1985年5月17日熊本)。 当時は今以上にマスクの選手の正体に対する発言はタブーに近い状況の中での発言でした。 マスクの中の人である平田淳嗣さんもかなりの衝撃を受けたと語っていて、藤波さんは「マイクを向けられた時に話すことが無いので、つい言ってしまった。 」とのこと。 またぐなよ 長州力 2000年7月30日に対戦が決まっていた長州力vs大仁田厚戦でしたが、電流爆破マッチを希望する大仁田さんが直接それを伝えるべく練習中の長州力さんの元へ突然現れます。 これに対し長州さんはリングサイドの境界線を「入るなコラ、入るな、入るな、入るなよ、またぐなよコラ、またぐな、またぐなよ、またぐな、またぐなよ絶対に」と警告。 「またぐなよ」と連発したこの一連のやりとりがうけ、プロレスファンの間ではネタとしてかなり有名な出来事で、テレビのバラエティー番組などでもこのやり取りを再現したと思われるコントを見ることがあります。 おらたこたこコラ 長州力 橋本さんが長州さんを批判しスポーツ紙の紙面を飾ったため、怒った長州さんが橋本真也さんの会見中に突然乱入して来てのやり取り。 「何コラタココラ」「何がコラじゃコラ」「噛みつきたいのか、噛みつきたくないのか」という耳に残るフレーズがファンの語り草になっています。 内容です。 「何がやりたいんだコラ、紙面飾ってコラ、何がやりたいのか、はっきり言ってやれコラ。 噛みつきたいのか、噛みつきたくないのかどっちなんだ。 どっちなんだコラ」「何がコラじゃコラ、馬鹿野郎」「なにコラ、タコ、コラ」・・・と続きます。 この後しばらくやり取りが続き「吐いた言葉飲み込むなよオマエ」という名言も生まれています(下の欄で説明します)。 これらのやり取りは「コラコラ問答」と呼ばれ、ファンの間ではかなり有名で、テレビのコントでも見かける事があります。 吐いた言葉飲み込むなよオマエ 長州力 こちらの発言も有名です。 上の欄にある「コラコラ問答」の続きになりますが、以下のようなやり取りがありました。 カッコは長州さん橋本さんの順で交互に表示しています。 「おまえ今言ったなコラ」「おう言ったぞ」「吐いた言葉飲み込むなよお前」「それはおまえもじゃコラ!舐めとんなよこの野郎」「よーしわかった、じゃあそれだけだ。 おまえ今言った言葉おまえ飲み込むなよ、なあ吐いて、わかったな。 本当だぞ、本当だぞ、なあ」 カテゴリー• 122• 175• 64 最近のコメント• 3月24日 さんより あぁなら!私に質問しないで!って言ってぇもうぜっっっっタイにわかる1+1=?とか聞いてー3. 3月22日 さんより インターネットを普段使われないアナログな方でしょうか? 若者の間では「w」も「草」も比較的知られていますし、よく使われています。 変な含みを持つ表現でもありません。 煽り表現だと一部では認識されているからです。 3月22日 ゆうなさんより 家族にしてみたら、みんな楽しんでくれた。!! また、違う10回ゲームをたくさん考えてください!!!!!! 3月15日 カツ丼さんより お母さんに出したら全然引っかかってくれなかった。

次の